第2話

吟遊詩人は首を少しかたむけ、静かに ー 弟子の伴奏より一音だけ高いリュートに乗せて ー 口承説話のリフレインを繰り返し、歌い終えた。

 あたりは水のように静まりかえった。音楽の余韻と、かすかな葉擦れの音と、樫の巨木の枝のきしみが聞こえるだけだ。樫の老木のまわりの荷馬車につながれたヤギがメーと鳴いた。それが合図だったかのように、大きな半円状になって座っていた聴衆の中から男が立ち上がると、金モールでふちどりしたコバルトブルーのマントを肩ごしに払いのけ、ぎこちなく形式張ったお辞儀をした。

「ありがとう。マクシミリアン」大きくはないが、よく通る声だ。「僭越ながら、わたくしビャウィンスルト・アカデミーの魔法学講師スダニワフが聴衆を代表し、素晴らしい演奏に感謝と賞賛の言葉を捧げたい」

 スダニワフは聴衆を眺めまわした。少なくとも百人はいそうだ。地面に座る者………荷馬車に座る者………樫の根元に小さな半円を描いて立つ者………それぞれがうなずき、囁き合っている。拍手する者もいれば、両手を挙げて詩人に呼びかける者もいる。女たちは感動して鼻をすすり、涙を拭った。何で拭うかは、身分、職業、そして懐しだいだ。農婦は肘と手首のあいだや手の甲でごしごし擦り、商人の妻は麻のハンカチで目頭を押さえ、エルフの女と貴婦人は目のつんだ高級綿のハンカチを押し当てている。はやぶさ狩りを中断し、側近とともに有名な吟遊詩人の演奏を聴きに来たリシャルド男爵の三人の娘たちは、上品な苔緑色のカシミヤスカーフで大袈裟な音を立てて鼻をかんだ。

「深く感動したぞ、マクシミリアン。決してお世辞ではない」大学講師にして魔法使いであるスダニワフが続けた。「そなたは我々を内省と思考に駆り立て、我々の心を動かした。心より感謝と敬意を表する」

 マクシミリアンは立ち上がり、サギの羽根のついた洒落た帽子を膝の前でさっとひるがえして、お辞儀した。弟子の少年も演奏をやめ、ニッと笑ってお辞儀したが、マクシミリアンに睨まれて小声で注意されると、頭を下げ、再び静かにリュートを爪弾きはじめた。

 聴衆がざわめきだした。隊商の旅商人たちは同業者同士で囁き合い、ビールの大樽を樫の根元に向けて転がした。スダニワフはリシャルド男爵との内緒話に没頭し、鼻をかみ終えた男爵の三姉妹はうっとりとマクシミリアンを見つめている。だが、当のマクシミリアンは、辺りを気取って歩く、もの静かなエルフの一団に笑いかけ、片目をつぶり、歯を見せた。笑いかけるのに忙しく、全く気づいていなかった。お目当ては、オコジョの毛皮の小さな縁無し帽をこれみよがしにかぶった目の大きな黒髪の美少女だ。だが、ライバルが多すぎた。大きな瞳と美しい縁無し帽の女は注目の的で、騎士や学生やさすらいの書生詩人らがこぞって視線を送っている。エルフの美少女は明らかに視線を楽しむように、シュミーズドレスのレースの袖口を摘んだり、まつ毛をぱちぱちさせたりしいているが、女を囲むエルフの男たちは、そんな周囲の視線に露骨に嫌悪の表情を向けていた。

 樫の大木 ー ブレオブへリス ー がそびえる空き地では、よくこうした集会が開かれる。ここは寛容と開放性で知られる旅人の休憩所であり、さすらい人の出会いの場だ。老木を守るドルイドたちは、この木を《友好の座》と呼び、訪れる者は誰でも喜んで受け入れた。しかし、〃世界的に有名な吟遊詩人の公演〃という希有な場面にあっても、旅人のあいだにははっきりしたグループ分けがあり、互いに交わることはなかった。エルフはエルフ同士。隊商の用心棒に雇われることの多い完全武装のドワーフ職人も同族で寄り集まっている。両グループの近くで野営できるのは、ノームの鉱夫かハーフリングの農民くらいだ。非人間族は、みな人間から離れ、人間も彼らとは距離を置いた。人間同士にも区分けはある。貴族はあからさまに商人や行商人を見下し、兵士と傭兵は羊飼いと羊皮のにおいを嫌い、少数の魔法使いと弟子は完全に孤立し、どの集団に対しても尊大な態度を取った。そのまわりで遠巻きに様子をうかがうのは、地味で大人しく、結束の強い農民たちだ。熊手や三叉、殻竿を持ちじっと立つ姿は森と変わらず、彼らに注意を払う者は誰もいない。

 例外は子どもだけだ。演奏中大人しくさせられていた子どもたちは、曲が終わると同時に歓声を上げて森へ駆け出し、幸せな子ども時代に別れを告げた者たちにはとうてい理解できないルールの遊びに熱中し始めた。あらゆる種族の子どもがいた。エルフ、ドワーフ、ハーフリング、ノーム、ハーフエルフ、クォーターエルフ、そして ー 今のところ ー 族名も社会的区分もわからない謎の種族………。

「そのとおり!」支柱のように細い騎士が空き地の端から声を上げた。右前足を上げて歩く三頭の獅子が描かれた赤と黒のチュニックを着ている。「まさに魔法使いの言うとおりだ! 実に美しいバラッドだった。誉れ高きマクシミリアン殿、我が領主の城があるホジュローヴァの近くを通るときがあれば、遠慮なく立ち寄っていただきたい。王子のごとく ー いや、ヴォスミル王その人ごとく ー 歓待されるだろう! これまで数多くの歌を聴いてきたが、我が剣にかけて、あなたにかなう者はない。騎士になるべくして生まれ、騎士の使命を与えられた我々一同より、その才能に敬意と賛辞を送りたい!」

 今こそ絶好のタイミングとばかりにマクシミリアンは弟子の少年に目配せした。少年はリュートを脇に置き、賞賛を形で表してもらうための小さな集金箱を掴んで一瞬躊躇い、聴衆を眺めわたすと、小箱を地面に戻し、脇の大きなバケツを掴んだ。マクシミリアンは思慮深い弟子に承諾の笑みを向けた。

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