第4話 あたしのマネージャー
「辞めたく、なかった、の……?」
ちぎりは、子供っぽい仕草で頷くと、とうとう涙が零れた。涙を拭おうとしない。赤い目をぎゅるっと動かして頬を伝う粒を睨みつけると、振り払うように頭をぶんぶん振った。
「……目、擦ったら、荒れるから……泣く時はいつもこうなの」
心臓が痛い。世界で一番大切な夕焼ちぎりが、強かに泣いている。両手を潰れそうなほど強く握りしめられているが、彼女が踏ん張れるなら折れたって構わないと本気で思う。
「あたし。もう二十五歳で。五年も同じグループ続けて、同じ名前で頑張ってきたのに、結局揉めて追い出されてさ。もう、やんなっちゃうし、全部ぶっ殺してやろうかって思ったけど、無理。だって、そんなことしてもしょうがないじゃない。あたしのためにならない」
折れた爪が私の手に刺さって血が滲む。赤……。彼女のつらさを全て代わってあげたい。彼女が努力してきたことを私が誰よりも知っている。本当の年齢だって知らなかったし、本当の名前は今も知らないけど、私は夕焼ちぎりを魂で理解してる、と思えるほど愛してる。
「アイドルじゃないと息が出来ない」
ちぎりが歪んだ。私の目からもぼたぼた涙が落ちてゆく。ちぎりはそれを見て「なんでゆーたんが泣くのお」と掠れた笑い声をあげた。
ちぎり。私はちぎりがアイドルじゃないと息が出来ない。
「ゆーたん、あたしさ。五年もやってずっと地下だけど。バズってもフォロワーしか増えないけど。自撮りのリツイート大抵二桁だけど。バイトしながらじゃないとアイドル出来なかったけど。目頭切開してるけど。実はニキビ跡酷いけど。処女じゃないけど。女の子同士でうまくやっていけないけど。五年応援してくれたTO蹴っ飛ばして起こすけど。ゴミ人間だけど、さあ。ゆーたん。それでも、さあ」
朝が更けていく。薄い雲を通して屈折した太陽光が、ビルの間を抜けてスポットライトのように私達に降り注いでいる。夕焼ちぎりは赤く、私はみすぼらしく、燃えている。私のアイドル。光が似合う、私のちぎり。
「それでも、いなくなったら野垂れ死んじゃうくらい、あたしのこと好き?」
「……好きだよ」
「あは」
「笑わないでよ。本気だよ。できたら、死にたいくらい……ちぎりは私の人生、なんだよ」
「あは、は……」
ちぎりは、ゆるゆると笑い、もういちど涙をこぼした。圧迫されていた手がほんの一瞬解放され、すぐに握り直される。
「ゆーたん」
一転した強い声に背筋が伸びる。指の先までが緊張する。知ってる、よく、知ってる。ステージの上から、ファンのほうを向いて、ファンだけじゃなくメンバーと運営に語り掛ける時の声。
アイドル夕焼ちぎりの魂の言葉。赤い唇が動く。
憎しみで噛みしめた下唇に、口紅と違う、血の赤。
「あたしのマネージャーになって。あんたしかできない。やり直すの、見返すの、踏みつけて笑ってやるの」
ちぎりの視線は火矢のごとく、心臓を射抜いて赤い炎で燃やしてしまう。
夕焼ちぎり。真っ赤なハートのお姫様。みんなのハートも真っ赤に染める。
「あたしを、世界一のアイドルにして」
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