最終話 「解読完了」

「さ、褒めてもらおうか」


 神楽は数秒の沈黙の後、は、と呆けた声を出した。


「なんで僕が? 褒めて欲しいんですか?」

「いくらなんだってあからさまだよ、竜さん。百歩譲って、数オリの問題集になら実家で誰かが挟んだ可能性もあるけど、あの聖書に暗号を挟むことができたのは竜さんだけだ」


 数学オリンピックの問題集も、図書館で手にした旧約聖書も、碧海が開く前に神楽が触れている。彼ほどの器用さがあれば、碧海の目を盗んで紙を忍ばせることくらい造作もないだろう。


 神楽はうっすらと詐欺師っぽい笑みを浮かべた。


「そんなことをして何になるんです?」

「それが分かんないから、炙り出しに書いてあった通り褒めてほしいんだよ」

「分かんないんですか!?」


 今の今まで浮かべていた微笑みはどこへやら、神楽は素っ頓狂な声を上げた。


「まったく、きみって人は……。もはや尊敬に値しますよ」

「それって褒めてる?」

「彼ら的には、その判定のようですけど」


 神楽がため息交じりに碧海の背後を見る。

 碧海もそれにつられて振り返ったとき、すぐ横から雄叫びが聞こえてきた。


「死ねえっ!」

「は、はあ!?」


 すぐそばの小道から、ドスを持った強面の男が飛び出してきた。その目は殺意でいっぱいで、ドスの切っ先はまっすぐ碧海に向けている。


「なっ、ちょ、え!?」


 いきなりの展開で目を白黒させている碧海のもとに、ドスを持った男が迫りくる。

 反射的に目を閉じたとき、舌打ちと悲鳴が当時に響いた。


「竜さん、なんだこいつ!」

「僕が知るわけないでしょ! ああもう、台無しにしてくれましたね!」


 目を開けると、竹刀を構えた鎌田が男を迎え撃っていた。


「か、鎌田!?」

「伏せろ!」

「は、はい!」


 言われたとおりに伏せると、すぐ頭上を何かが飛んでいった。鎌田を強敵だと判断した男は、一か八かでドスを投げつけたらしい。


「何もかも台無しやないかい」


 今度はすぐ後ろから怒りのこもった声。振り返ると、ドスを遠くの方へ蹴り飛ばす渡利の姿が目に入った。


「渡利!」

「あいつ、許さへんで。俺たちの苦労をどないしてくれんねん」


 珍しく渡利が怒っている。

 碧海が目をぱちくりとさせると、渡利は一転してへらりと笑った。


「ま、俺らの出番は少なかったし、これもええか」

「お前の出番は少ないままだぞ!」


 鎌田は男の捨て身のパンチを片腕で受け止めると、流れるような身のこなしで竹刀を打ちつけた。さらに、今度は喉に熾烈な突きが見舞われる。男は喉を押さえてよろめいたが、鎌田のダメ押しの蹴りに沈んだ。


「渡利、どうだ?」

「どうって?」

「こいつ一人で終わりかって訊いてんの!」

「なんで俺に訊くん?」

「お前のその足りねえ脳みその代わりに発達した耳に訊いてんだよ!」


 ああ、と渡利はようやく納得したようにうなずき、左右に首を傾けた。いざというときは殺人鬼に飛びかかることも厭わないこの男だが、普段はどうもボケッとしている。やる気スイッチが相当押しづらいところにあるのだろう。


「もう居らんで」

「じゃあ、こいつ一人だったのか」

「何者なんでしょうね。よりによってこのタイミングで」


 三人は思い思いにしゃべりながら男を見下ろしている。


 さすがに耐えかねて、碧海は口を開いた。


「ねえ、何がどうなってるの? 台無しとか、苦労がどうとか……」


 三人は振り返り、呆れたように視線を交わした。


「聞いたかよ。あの暗号が竜さんの仕組んだものだってことは分かってんのに、その訳までは見抜けねえんだぜ」

「むしろそっちの方が簡単やのにな」

「集中すると自分のことはどうでもよくなっちゃうタイプなんでしょうねえ」

「わ、悪かったな! で、なんなんだ……わっ!」


 今日はいちいち忙しい。碧海がしゃべっている最中に、そばの塀に矢が突き刺さった。


「全然一人じゃねえじゃねえか!」

「一人やったの、さっきまで!」


 二人がぎゃいぎゃい喧嘩しながら矢が飛んできた方向に駆け出そうとする。碧海も同じ場所に目を向けたが、すでに矢を放った主はいなくなっていた。


「あ、ちょっと待ってください、二人とも」


 近くにいた渡利の襟をつかんで引き留めた神楽の手には、塀から抜き取った矢が握られている。


「どないしたん?」

「これ、手紙が結び付けてありますよ」


 神楽が広げた手紙を全員でのぞき込む。


『ごめんね!

 うちの中には、きみらのせいで夜逃げする羽目になったとか思ってるのもいてさ。そういうのとは俺が直接話して納得してもらったんだけど、それでもきみらへの逆恨みが消えないのがいたみたい。

 もうこういうことがないように徹底するから!

 今回は許してね!


 追伸

 そこの不届き者は転がしておいていいよ。

 こっちで沈めとくからさ。』


 ミミズがのたうったようなひどい字で、差出人の名はない。


「……伊達さんかな」


 この軽薄そうな字面や内容からして、差出人は伊達で間違いないだろう。


「伊達さんが組長をやってる組の中に、僕らを恨む人がいたんだ」

「逆恨みもいいところだな」


 伊達の組は、キョウロウの逮捕と同時に雲隠れしてしまっている。そんなことをする羽目になったのは、碧海が素直に殺されてくれなかったせいだと考える組員がいたとしてもおかしくはない。


「ていうか、この沈めとくって……」

「東京湾の底でパーティーが開けそうですね」


 なかなか洒落にならない比喩だ。


「まあ、あとは伊達さんに任せておけば大丈夫だと思うけど」


 しくじったら東京湾の底行きだ。そんな危険を冒してまで碧海たちに復讐しようという人はいないだろう。


 ひとまず碧海たちはその場を離れた。


「……で」


 寮の近くまで歩いてきて、碧海はようやく訊きたかったことを口にした。


「なんだったの? 今日の暗号とか」

「三月二十七日」

「え?」

「今日の日付だよ! ここまで言われても分かんねえか、馬鹿!」


 頭をぽかりとやられ、碧海は涙目になりながら頭を回転させた。


――三月二十七日って、どっかで……。


 あ、と碧海は声を上げた。


「分かったか?」


 渡利が問うてくる。

 碧海は気まずくなり、少しだけ目を逸らした。


「僕の誕生日……」

「ようやっと分かったか! いろいろ面倒な手続きも終わって、証拠固めも万全やってなって、そのお祝いも兼ねて誕生日会でもやってやろうってことになったのに!」

「い、いや、ごめんって! 暗号を解くのがめちゃくちゃ楽しかったから、すっかり忘れてたんだよ!」


 ぷんぷん怒る渡利に慌てて言うと、彼はぱあっと顔を輝かせた。何かと情緒が定まらないやつだ。


「ほんまか!? あの炙り出し、俺が作ったんやで! 大我に筆貸してもらってな……」

「久瀬もかかわってるの?」

「ちなみに、夏目さんもですよ。『踊る人形』を作ったのは僕と彼女です」

「俺らでお前が喜ぶものを考えてたら、とりあえず頭使わせようかってことになったんだよ」


 そこまで言ってから、鎌田は憤然と碧海を見上げた。


「俺らの計画じゃ、お前にこれはサプライズパーティーの余興だって気付かせて、そのまままっすぐ飯に連れて行くつもりだったんだ。まさかお前が気付かねえとは思わなかったぜ。あんな邪魔が入るなんて予想外だったし」

「う……いや、朝までは覚えてたよ、今日が誕生日だってことは! でも、参考書を整理したり、暗号を解いたりしてるうちに忘れちゃって」


 それに、この三人がサプライズパーティーなんて派手なことをするとは思ってもみなかったのだ。何かあったとしても、せいぜいおめでとうの一言くらいだろうとのんびり構えていた。

 もしかしたら、碧海がそう思っているのを察して、こんな手間のかかることをしようと思い立ったのかもしれない。

 派手なことはしたがらないが、いたずらは大好きなのだ。


 申し訳ないような、むず痒いような、そんな気持ちになって頬を掻くと、鎌田が碧海に背を向けた。


「行くぞ」

「ど、どこに?」

「言ったろ」


 鎌田は飲食店が立ち並ぶ通りの方へ顎をしゃくった。


「今日は俺らの奢りさ。……誕生日おめでとうよ」

「僕からも、おめでとうございます」

「おめっとさん! 今年もいい一年になりますように!」

「それは新年のあいさつですよ」


 いつもと変わらないやり取りに、碧海は頬を綻ばせた。


「ありがとう」


――――――――――


 生存報告も兼ねて、ちょっとした短編でした。

 第二部は25話分くらい書き溜めています~。

 投稿までもう少しお待ちください。

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