第3話 「祈りを捧げろ」

『暗号を解け

 解ければの話だがな

 さあ、旧約聖書に祈りを捧げろ』


 暗号はそう言っていた。


「旧約聖書だって? 竜さん、持ってる?」

「まさか。僕は無宗教です」


 というか、そのうち自分で宗教を作りそうだ。


――まあ、文章はスマホで見れないことはないけど……。


 そういうことを言っているのではないだろう。


「学校って閉まってるよね」

「確か」

「じゃあ、本屋さんに行ってみるか」


 碧海が立ち上がると、神楽はおっと眉を上げた。


「珍しくフットワーク軽いですね」

「別に、暇だし……分かったよ、言えばいいんでしょ? めちゃくちゃ楽しいからだよ!」


 神楽の問うような視線に負けて本音を言うと、彼こそ珍しいことに声を上げて笑った。


「傍目からでも分かりますよ。じゃあ、僕も行こうかな」

「え、腰は大丈夫なの?」

「人類の叡智のおかげで」

「まだ言ってる」


 とはいえ、神楽がついてきてくれるのはかなり有り難い。どうも碧海は考え事の最中に独り言が出てしまう癖があるようで、一人でぶつぶつとつぶやいて不審者扱いされるのだけは避けたい。


 碧海と神楽は軽く身支度をして部屋を出た。


 いまさらだが、渡利と鎌田はそれぞれ自主練に励んでいる。渡利は朝からランニングに出かけたきり帰ってきていないし、鎌田も朝食を食べ終えるや否や道場へまっしぐら。二人の部活に対する意欲には脱帽させられる。

 一方でこちらは、三年ぶりに勉強をしようとしている帰宅部と、腰を痛めている将棋部だ。なんだか情けない。


「一番近い本屋って、駅前のとこ?」

「県立図書館なら近くにありますよ」

「あ、じゃあそっちにしよう」


 わざわざ買う必要もないだろう。


「行こうか」


 神楽に案内され、碧海は県立図書館に足を運んだ。春休み中とはいえ、平日の昼間とあってあまり人は多くない。懐かしい本のにおいが充満していて、静かで穏やかな空気が流れている。


――図書館かあ。


 碧海も昔はよく通ったものだ。


 最初は絵本を借りに、続いて小説を借りに、大きくなってからは論文を探しに。

 ふとした時に昔読んだ本を手に取り、自分の成長に子供ながら感動したことを思い出す。


「ありましたよ、聖書」

「うん」


 少しノスタルジックな気分に浸っていた碧海は、ゆっくりとうなずいて旧約聖書を受け取った。


「で、これをどうしろって……」


 聖書を開いた碧海は、はっと息をのんだ。


 また紙が挟まっていたのだ。


――これは……。


 神楽を見ると、彼は難しい顔をして紙を見つめていた。


「どうやってきみがここの聖書を手に取ると知ったんでしょう」

「……不気味だな」


 碧海は相槌を打ってから、二つ折りにされた紙を開いた。


『お見事』


 上の方にその一言しか書かれていない。


「これだけ?」

「だとしたら、僕らはただおちょくられただけになりますよ。骨折り損だ」

「あんな凝ったことをして? 僕らより暇人じゃないか」


 碧海はぶつぶつと不満をこぼしながら図書館を出た。聖書に挟まっていた紙は図書館のものではないだろうから、念のため持ってきている。


――お見事……お見事、かあ。


 なんだか釈然としない。おちょくりたいのなら、もっと煽り文句を入れてきそうなものだが。

 それに、文字が紙の上の方に偏っているのはなぜだろう。下にかなり空白がある。


――こういう時にありがちなのは……。


 碧海は紙に鼻を近づけた。ほのかに柑橘系の香り。

 神楽が目を丸くしている。


「よ……なにしてるんです?」

「レモンのにおいがする。竜さん、ライター持ってない?」

「マッチなら」


 紙を広げ、裏側からマッチの火で炙る。

 ほどなくして文字が浮かび上がった。


「炙り出しだな」


 レモンの果汁などを使って文字を書き、そこに熱を加えると文字が浮かび上がる。古典的な方法だ。


「なんて書いてあります?」

「えっと……」


 碧海は炙り出された焦げ茶色の文字を見つめた。


『お見事

 という言葉はお預けだ。

 褒め言葉は顔を見て言われたほうが嬉しいだろう?』


 なるほど、それも一理ある。


 碧海は紙を折りたたみ、隣に立つ神楽をまっすぐ見据えた。


「さ、褒めてもらおうか」

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