第2話 「踊る獣」

「踊る人形」


 コナン・ドイルの小説『シャーロック・ホームズ』に登場する暗号、『踊る人形』にそっくりだ。その動物版と言えばいいだろうか。


「じゃあ、これも暗号……?」


 『踊る人形』は一体の決まった形をした棒人間に対し、決まった一つのアルファベットが与えられる換字式暗号だ。

 もしこの動物たちが『踊る人形』を模しているのなら、これもまた暗号ということになる。


「でも、いったい誰が?」

「父さんや母さんは違うだろうし……でも、それ以外にこの暗号を仕込める人はいないよな」

「兄弟姉妹は?」

「いない」


 神楽は顎に手を当て、じっと暗号に見入った。


「じゃあ、一時期誰かに貸し出していたりとか」

「それもない。親はそういうのちゃんと確認する人だから」

「あとは……叔父さんは?」


 碧海は否定しようとして、すぐに口を閉ざしてしまった。


――叔父さんならやるかな。


 神谷はどこか子供っぽいところのある人だった。数学オリンピックに向けて勉強を始めた碧海への挑戦状として、手づくりの暗号を挟み込んでいた可能性はある。


「……でも、違うと思う」


 やるとしたら、まず間違いなく数学を絡めてくるだろう。この暗号を解いたら数式が出てくる可能性も否定できないが、神谷は遊び心があっても回りくどいことはしない。


 碧海の説明を聞いて、神楽は少しだけ警戒心をあらわに暗号を見つめた。


「これを解けば、作った人も分かりますかね」


 碧海と神楽は顔を見合わせてうなずいた。


「やってみよう」


 碧海はノートとペンを手に取り、カーペットにどかりとあぐらをかいた。


「まずは頻度分析と言語の特定だ」

「ホームズも使っていた方法ですな」


 頻度分析とは、文字通り使われる頻度を分析する方法である。例えば英語なら『e』、続いて『t』が多く使われるので、一番使われる頻度が高い記号にはそのどちらかが当てはまると予測することができる。


 碧海は一つずつ動物の形をノートに書き写していった。


『 ***** *** ****

  ** *** *** ***** ** , **** **

  *** **** ** *** *** ********* 』


 動物は合計で七十三体。右端までいっていないのに改行している部分があることを考えると、おそらくは三文程度だろう。一つだけコロンがあるのは、文法的にそうせざるを得なかったからに違いない。


 神楽と協力して分類していくと、動物の種類は二十種類ちょうどであることが分かった。


「英語……でいいんですかね?」

「アルファベットは二十六個。たぶんだけど、英語で考えていいと思う。日本語だったら、もっと出現する動物にばらつきがあるだろうから」


 解く側としてはありがたいことに、その二十種類の出現頻度には顕著な偏りがあった。


「多いのはこの五種類だ。片方の前足を上げてるのが九個、尻尾と首を垂らしてるのが六個、尻尾がくるんって丸まってるのも六個だ。あとは伏せをしてるのが五個で、逆立ちしてるのが四個」


 これで合わせて三十個だから、この五種類の動物だけで暗号の約半分を構成していることになる。日本語だとこうはいかないだろう。


「じゃあ、英語だと仮定すると……」


 先に言った通り、英語では『e』、『t』の順で多く使われる。もちろん、それだけではない。


「いーてぃーえーおーあい」

「ど、どうしたんです、急に」

「アルファベッドの頻度が高い順。『e』、『t』、『a』、『o』、『i』ね。『u』以外の母音と『t』って覚えればいいよ」


 神楽はしばらく呆然と碧海を見つめてから、ふっと微笑んだ。


「楽しそうでなによりです」

「え?」

「きみがこんなにニコニコしてるのを見るの、初めてですからね」


 碧海は一つ瞬きをし、顔を赤らめながら服の胸元を引っ張り上げた。


「やめてよ、恥ずかしいだろ」

「おや、それは失礼しました。でも、本当に頭を使うのが好きなんですね」

「だって、一つずつ答えが分かっていくのは楽しいだろ? それに、勉強すれば解けなかった問題だって解けるようになるし」

「一年前のきみに聞かせたいですねえ」

「む……」


 それを言われると痛い。


「ま、まあ、それはともかく、さっさと解読してやろう」

「了解です」


 まずは『e』と『t』の特定をしないことには何も始まらない。この二つは、十中八九あの五種類の中に含まれているだろう。


「そこで手掛かりになるのが、この三つで一つになっている単語だ」


 片方の前足を上げている動物、大きく口を開けている動物、尻尾と首を垂らしている動物、の順に並んでいる。最初と最後の二つが例の五種類に含まれているものだ。

 これが一文目と三文目に一つずつ。


「『THE』だろうね」


 後ろについている名刺が特定できるときに使われる冠詞だ。日本語では『その』と訳されたりする。


 これで七十三文字のうち十八文字が分かった。


『 ***** THE ***E

  ** *** *** ****E *T , TH*T **

  *** **** T* THE *** TE*T**E*T 』


「二文目の『TH*T』は『THAT』かな」


 これは伏せをしている動物で表されている。これもまた五種類の中に含まれているものだ。


『 **A** THE ***E

  ** *** *A* ****E *T , THAT **

  *** **A* T* THE *** TE*TA*E*T 』


 出現頻度が高い五種類のうち、今は三種類が分かっている。残る二種類のうち尻尾が丸まっている動物は三文目の『T*』に使われていることを考えると、『O』である可能性が高い。


『 **A** THE *O*E

  ** *O* *A* *O**E *T , THAT **

  *O* **A* TO THE O** TE*TA*E*T 』


 さらに考察の余地があるのが、二文目に使われている『*T』だ。


「『A』は既に使われてるから『AT』ではないとすると、『IT』じゃないかな」

「なるほど」


 神楽は碧海の推論に真剣に聞き入っている。


『 **A** THE *O*E

  I* *O* *A* *O**E IT , THAT I*

  *O* **A* TO THE O** TE*TA*E*T 』


 あと考えられることがあるとすれば、全部で四個ある逆立ちをしている動物だ。


「『e』、『t』、『a』、『o』、『i』はみんな使っちゃってるし……。次に使われるのは『n』、『s』、『h』かなあ」


 そのうち『h』は解読済みだ。

 しかし、『n』と『s』を入れてみてもなかなかしっくりこない。


「仕方ない、そろそろ文法的に見ていこう」


 頻度分析ではもう限界だ。

 ここからは文法や状況から推測していくしかない。


「二文目のコロンの後にある『THAT I*』は、たぶん『THAT IS』だ」


 コロンの後に名詞となりうるものがあるのなら、その後ろはたいてい動詞だ。


『 **A** THE *O*E

  I* *O* *A* SO**E IT , THAT IS

  *O* **A* TO THE O** TESTA*E*T 』


 そこまでノートに書き加えると、黙っていた神楽が感嘆の声を上げた。


「すごいですね、とんとん拍子だ!」

「こういうの好きなんだよなあ。でも、難しいのはここからだよ」


 ある程度まで予測できたら、あとは純粋な語彙力勝負になってくるのだ。

 ただ、語彙力にはそこそこ自信がある。なにせ、毎日のように英語で書かれた論文を眺めていたのだから。


「最後の『TESTA*E*T』は『TESTAMENT』だろう」

「どういう意味です?」

「単体だと遺言とかって意味だけど……」


 今回はその前に『THE O**』がある。


「『THE OLD TESTAMENT』で『旧約聖書』という意味になる」

「一気に分かりましたね」


『 **A** THE *ODE

  I* *O* *AN SOL*E IT , THAT IS

  NO* **A* TO THE OLD TESTAMENT 』


 ここまでくればあと少しだ。


「『SOL*E』は『SOLVE』だとして……」


『 **A** THE *ODE

  I* *O* *AN SOLVE IT , THAT IS

  NO* **A* TO THE OLD TESTAMENT 』


「『SOLVE』は動詞だから、その前にくるものと言ったら助動詞か名詞。だとすると、『*AN』は『CAN』だ!」


 これが四個の逆立ちをしている動物の正体だったらしい。『c』はかなり出現頻度が低いから盲点だった。


『 C*AC* THE CODE

  I* *O* CAN SOLVE IT , THAT IS

  NO* **A* TO THE OLD TESTAMENT 』


「『C*AC* THE CODE』とくれば『CRACK THE CODE』に決まってる」


 『暗号を解読する』という意味だ。


『 CRACK THE CODE

  I* *O* CAN SOLVE IT , THAT IS

  NO* *RA* TO THE OLD TESTAMENT 』


「で、助動詞の前にくるのは名詞だから……」


 『CAN』の前にある『*O*』は『YOU』と考えていいだろう。


『 CRACK THE CODE

  I* YOU CAN SOLVE IT , THAT IS

  NO* *RAY TO THE OLD TESTAMENT 』


 そしてその『YOU』の前にいる『I*』は『IF』が妥当か。


『 CRACK THE CODE

  IF YOU CAN SOLVE IT , THAT IS

  NO* *RAY TO THE OLD TESTAMENT 』


 残すところはあと二個。どちらも違う形をしている。


「ローラーだな」


 一つずつアルファベットを当てはめていくやり方だ。


 残ったアルファベットを一つずつ当てはめていくこと数分、ついにしっくりくる文章が出来上がった。


『 CRACK THE CODE

  IF YOU CAN SOLVE IT , THAT IS

  NOW PRAY TO THE OLD TESTAMENT 』


『暗号を解け

 解ければの話だがな

 さあ、旧約聖書に祈りを捧げろ』

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