第50話 「死……?」
命を懸けた競走だ。
「夏目さん、荒川さんの自宅の住所は分かります?」
神楽の問うと、夏目はどこかに電話をかけ始めた。
「談話室。来てくれないか。頼む」
それだけを言い、相手の返事も待たず通話を切ってしまった。
「今のは?」
「住所を知ってる人。……そう焦るな。らしくないよ」
どこかマイペースで他人事な夏目にの姿に焦りを募らせていたのは確かなのだが、どうやら見抜かれていたらしい。
神楽は苦笑し、窓の外を見つめた。
「二人分の命が懸かってますからね」
「……ああ。私も他人事すぎたかもね。ごめん」
「いえいえ、気にしないでください。夏目さんは十二分にやってくれていますから」
少しだけ重苦しい空気が流れたとき、夏目が不思議そうな顔をしてパソコンの画面を見つめた。
「いかがしました?」
「これ」
夏目はくるりとパソコンを反転してみせた。画面にはシンプルな地図が表示されていて、その上では点滅している赤丸が少しずつ動いている。
「この赤いのが僕のスマホですか?」
「そうなんだけど」
「ふむ……」
じっと信号を目で追っていた神楽は、夏目が不思議がった理由を理解した。
「高速に乗る気ですか?」
「行き先は明らかに高速だ」
信号はまっすぐ高速道路の料金所に向かっていた。
神楽と夏目が見つめる中、信号がついに高速に乗る。分かりやすく移動スピードが上がっているから間違いないだろう。
「妙ですね。料金所で記録をとられるのは避けたいはずですが」
「ちょっと見てみようか」
夏目がキーボードをたたくと、地図と代わって高速道路の料金所の映像が映し出された。かなり画質が悪く、車のナンバーはほとんど読み取れないほどだが、車種くらいならある程度特定できそうだ。
「その信号が通過した瞬間の映像だ」
四人乗りの白いセダン、白いファミリーカー、水色のコンパクトカー、薄汚れた軽トラ。信号とのラグを考えても、この四台のどれかだろう。
――このどれか……。
神楽は画面を凝視した。いくらキョウロウが冷酷で計算高い殺人鬼だとしても、どこかにボロを出さないわけがない。ちょっとしたことで気を抜いてしまうのは人間の性だ。
白いセダンには会社員らしき男が乗っているように見える。後部座席は見えない。
ファミリーカーにも運転席に男が一人で、やはり後部座席の様子は確認できない。
コンパクトカーには男女一人ずつで、後部座席には荷物がぎっしりと乗っているのが見える。
「……これだ」
神楽は四台目の車、薄汚れた軽トラを指さした。
「これ?」
「荷台を見てください」
何も積まれていない荷台の真ん中あたりに、白っぽい何かが乗っている。
「たぶん、僕のスマホです」
荷台が土か何かで汚れているおかげで、白いスマホを何とか判別することができたのだ。
――まさか軽トラで移動するわけがないから……。
神楽は顔を上げ、夏目と目を合わせた。
「僕のスマホに気付いたキョウロウさんが、たまたま通りがかった軽トラにスマホを投げ込んだんでしょう」
「……それ、まずいんじゃないのか」
表情には出さないが、夏目の声には狼狽が現れている。
「ええ、普通だったらまずいですね」
「普通だったら? 何か策があるのか」
「策というか、別のタネというか」
神楽は身を乗り出し、自分のスマホとは違う電話番号と機種を告げた。
「それを追ってくれません?」
「構わないけど、説明してくれ」
「むろんですとも。……まず、キョウロウさんは慎重な人です。だから、僕がスマホを忍ばせても気づかれる可能性は高いと思っていました」
しかし、どんな人間でもボロは出す。言い換えれば、油断をするということだ。
「僕のスマホを一度見つけたら、まさか二台目のスマホがあるなんて思わないでしょう? ある種の視線誘導ですよ。一台目のスマホは、分かりやすくキョウロウさん本人に忍ばせました。キョウロウさんはそれに気を取られてしまい、二台目のスマホ……碧海くんの体に忍ばせた渡利くんのスマホに気付かない」
「身体検査とかをするかもしれないじゃないか」
「それはありません。キョウロウさんは碧海くんを拉致する直前、机の上に置かれた碧海くんのスマホを確認していました。スマホがないなら何もできまい、と思っているのは明らかです」
神楽はにやりと口角を上げた。
「勝って兜の緒を締めよ、なんて言葉がありますが、緩まない人なんていないんですよ」
「……碧海くんたちが、きみをペテン師呼ばわりする理由が分かったよ」
夏目が言い、神楽は微笑んだ。否定しないのも一興だろう。
二人で新たな信号を追っていると、談話室の入り口から不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「ホントに人使いが荒いよね!」
そう言って歩み寄ってきた佐川は、じろっと夏目を睨みつけた。真っ黒の髪はポニーテールで結ばれ、少しずれている丸眼鏡はいかにも芸術家といった雰囲気を醸し出している。手指や頬のいたるところに貼ってある絆創膏は、久瀬の頬の傷と同じく、工作の最中に傷つけてしまったものだろう。
「急に呼び出さないでよ」
「別にいいだろう。どうせ起きてたんだから」
「だからってねえ」
ぶつぶつ言いながらも、佐川は神楽に目を向けた。早朝から女子と男子が一対一でいることには何も思わないらしい。あるいは、神楽の普段の行いの賜物かもしれないが。
「竜さん、おはよ。どうしたの? こんな朝に」
「あ、いえ……おはようございます」
挨拶を優先させた神楽を面白がるように見てから、夏目が端的に説明した。
「いろいろあって、荒川さんの家の住所を知りたい」
「警備員の?」
「他に誰がいるんだ」
「世の中に、荒川って人が何人いると思ってるの。まあいいや。荒川さんね」
さすがルームメイトなだけあって、夏目のあしらい方は十分に承知しているようだ。佐川は軽い調子で肩をすくめると、ポケットからスマホを引っ張り出した。
「言っとくけど、女子で知らないのってそらくらいだからね」
「興味ないんだから、仕方ないでしょ」
「ちょ、ちょっと待ってください。女子みんな知ってるんですか?」
聞き捨てならないと思って訊くと、佐川はさも当然といったふうにうなずいた。
「男子は知らないのが普通だけどね。ほら、荒川さんってイケメンな方だから……」
神楽はあっと声を上げた。
「ファンクラブか」
「あれ、知ってるのか。珍しいね」
夏目が意外そうに首を傾けた。
荒川は誰もが認める美男子だ。東京を歩いていれば、十歩に一回はスカウトに声をかけられるだろうと思うほどには整った顔つきをしている。熱っぽい視線を向ける女子も多く、いつ見ても数人の取り巻きとともに校内を闊歩している。
そんな荒川にはファンクラブが存在するのだと、以前風のうわさで耳にしたことがあった。そしてクラブ会長は、学年集会で人目もはばからず大泣きしていたあの三宅。
神楽が三宅に対して遠慮なく演技がかった台詞を口にするのも、三宅の本命は荒川であると知っているからだった。面倒な女子軍のリーダーを味方につけておくに越したことはないのである。
「私は別にファンクラブに入ってるわけじゃないんだけど、ファンクラブ自体は結構大所帯だから、どうしても話が耳に入っちゃうんだよね。今じゃ、そこのパソコンオタク以外みんな知ってるよ」
「誰がパソコンオタクだ」
「モニター三つも持ってて、誰がパソコンオタクじゃないって言うの」
決して口には出さないが、夏目は見た目からしてオタクっぽい。だぼっとした服に、眠たげな半目。丸眼鏡の一つでもかければ立派なオタクである。
「それはともかく、住所は?」
「あ、そうだそうだ。紙とかある?」
「あります。言っていただければ、メモるので」
言われた住所をメモ用紙に書きつけ、神楽はそれをしげしげと見つめた。頭の中に地図を思い浮かべる。車で三十分くらいかかる場所だ。もちろんこれは法定速度を守った場合の所要時間であり、今回は法令を遵守するつもりはない。
「ありがとうございます! 助かりました。この借りはいつかお返しします」
「いいよ、借りなんて」
なにが起きてるか分かってないけど、と佐川は頬を掻いた。彼女は今回の件を何も知らない。互いの身のためにも、ここは何も話さないでおくのが一番だろう。
「今度、何か奢りますよ」
「そんなことしてもらわなくても……あ、そこまで言うなら、部の展示会を見に来てよ!」
名案だとばかりに佐川が目を輝かせる。神楽は苦笑し、絶対に行くと約束した。
「それじゃあ、僕はここで失礼します。すみません、朝からお呼び立てしてしまって」
それから、夏目に向かってかすかにうなずきかける。もっとも、夏目はノートパソコンの画面に見入っていたし、もし目が合ったとしても、空気を読むことが苦手な彼女に通じないことは明らかなのだが。
久瀬を呼びに言った渡利と合流しようと出入り口の方に向かうと、椅子の背に座っていた佐川が夏目に話しかけた。
「ねえ、昨日頼まれたやつって、今のと関係あるの?」
「全部終わったら教えてあげるよ」
「またそうやって……びっくりしてた?」
「……まだ言ってない」
「え? 言ってないの?」
「忘れてた。いろいろあったから」
夏目がぼそぼそとつぶやいた瞬間、佐川が、竜さん、と神楽を呼び止めた。
「はい?」
「超軟質ウレタン樹脂って知ってる? ウレタンゲルっても言うんだけど」
「ちょっと落ち着け。それじゃ急すぎる」
「忘れてた人に言われたくないね」
佐川は鼻を鳴らすと、どこか弾んだ声で説明を始めた。
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