第51話 「総力戦」

 部屋に戻ってみると、すでに鎌田は目を覚ましていた。窓を開け、こちらに背を向けて夜風に当たっている。

 神楽はつられて窓の外を見やった。まだ夜が明ける様子はない。空には星々が瞬いている。


「鎌田くん」

「……お侍さんは正面からやるよなあ、きっと」


 鎌田はぼそりとつぶやいてから、ゆっくり振り返った。驚いた様子は微塵もないから、さすがに神楽たちの気配には気付いていたらしい。


「どうしました?」

「命を賭してまで自分の流儀を貫くべきか、考えてたところさ」


 鎌田が珍しく硬い語彙を使って答える。神楽は目をしばたかせて言った。


「命あっての流儀ですよ」


 今度は鎌田が目をぱちくりさせる番だった。


「そらそうか」


 鎌田は肩をすくめ、神楽の方に歩み寄ってきた。


「それで、GPS云々の方はどうだった?」

「GPSは捕まえました。現在移動中です」


 紆余曲折があったGPSの追跡劇について話すと、鎌田は考え込むように腕を組んだ。


「要するに……信号を追えばいいんだな」

「だいぶ要約しましたね。まあ、つまりはそういうことです。ですが、車で移動しているようで、とてもじゃありませんが徒歩では追いつけません。そこで伊達さんに協力していただきます」

「伊達さんって、あのおっさん巡査か? 協力も何も、居場所も連絡先も知らねえだろ」


 最寄りの交番に行ったところで、伊達がいるとは限らない。ぱっと現れて場をかき乱し、軽妙な笑みを浮かべてさっと姿を消す。神出鬼没の権化のような男だ。


 とはいえ、それは数時間前までの話である。


「大丈夫です。居場所も連絡先も把握済みですから」

「はあ? いつ手に入れたんだよ、そんなもん」


 鎌田が目を丸くする。神楽はゆっくり説明した。


「碧海くんの置き土産ですよ。彼のスマホに盗聴アプリが仕込まれていたことはお話ししましたよね。それを知らされてすぐに自分の手で削除したそうなんですが、なにせ相手はあの伊達さん。そんな簡単に削除できるものか不安で、夏目さんにスマホを調べてもらったそうなんです」

「したら、案の定、アプリは消せてなかったってことか」

「夏目さん曰く、そういうアプリはホーム画面に表示されないまま残るようにプログラムされているんだとか」


 そこで碧海は、夏目から二つの選択肢を提示された。

 アプリを徹底的に削除するか、アプリを通じてペアリングされている伊達のスマホを逆に荒らしてやるか。


「碧海くんは後者を選択しました。ただ、夏目さんが言ったようにデータを荒らすわけではなく、電話番号などの情報を引っこ抜くように依頼したんです」


 夏目はその依頼に忠実に応えただけではなく、さらに伊達のスマホのGPSを起動させ、伊達の居場所まで突き止めてみせた。

 これはさすがに予想外だったらしく、風呂の帰りにスマホを受け取ってきた碧海は、じゃっかん引き気味の笑みを浮かべていた。


「僕がキョウロウさんのポケットにスマホを忍ばせようと思い至ったのも、この出来事があったからです。夏目さんならGPS情報を抜き取れることを知っていましたから」

「この機会に情報を抜き取ってやろうと考えた碧海がすげえのか、その注文に応えた夏目がすげえのか……」

「どちらもでしょうね」

「ほー。俺らが碧海に感心する日が来るとはな」


 鎌田がにやりと片笑む。つい数日前までの、嫌そうな顔をして机に向かっていた碧海の姿を思い返しているのは確かだ。

 長い時間をかけて問題集を一ページ終わらせたと思ったら、すぐに頬杖をついて窓の外を眺めてしまう。同じく赤点常連者の鎌田でさえ、碧海の勉強に対する意欲のなさには呆れていた。


――ある意味、キョウロウさんには感謝しないといけないのかもしれない。


 手品をやり始めてから、人の表情の変化に敏感になった。

 だからこそ、神楽は碧海の変化を一番に感じていた。


――あんなに生き生きとした目をするなんて。


 命を狙われているというのに、推理を働かせる碧海の目は強く底光りしていた。

 まるで、これが僕という人間なんだ、と叫んでいるように。

 長い間抑圧されていた本当の碧海という人間が、檻を破って飛び出してきたように。


 キョウロウの襲撃がなければ、碧海を毎晩うなしていた何かから解放されることはなかっただろう。


――運命というものは不思議だ。


 碧海のような頭脳があっても、鎌田のような強さがあっても、渡利のような五感があっても、神楽のような器用さがあっても。

 明日、自分の身に何が起こるのかは分からない。


「だからこそ、いま全力を尽くすんだ」


 神楽はつぶやき、鎌田を見据えた。


「鎌田くん。きみは、渡利くんと伊達さんと一緒にGPSの信号を追ってください」

「こいつでいいのかよ?」


 鎌田がちらりと渡利を見る。いざ戦闘となったとき、渡利は撹乱以上の仕事はできない。下手に人数がいても、鎌田の足手まといになるだけだ。

 それを本人もよく分かっているのか、渡利は腰に手を当てて胸を張った。


「いざとなったら逃げる! 任しとき!」

「なんだそりゃ。……まあ、しかし、偵察する分には役に立つかもな」


 今日の昼間の一件でも、それは証明済みだ。渡利のおかげで早々に倉庫を発見できたし、倉庫内部の大まかな様子を知ることができた。機動力に関して言えば、他の誰よりも優れているだろう。


「それに、二人一組の方が、なにかと便利ですしね」


 片方が危機に陥ったとき、片方が応援を要請することもできる。好戦的な鎌田を一人行かせると、自分の体をかえりみず暴走しかねない。渡利はストッパーの役目も兼ねている。


「お前がやる気なら、来てもらうに越したことはねえか。頼むぞ、いぬっころ!」

「この景虎様に任しときや!」


 二人は互いに腕をぶつけ合い、笑みをかわした。考えるよりも先に行動するという欠点があるが、意外と悪くないコンビである。


 腰をかがめて竹刀袋を手に取りながら、鎌田は神楽を見上げた。


「お前は?」

「僕は久瀬くんと事件の根っこをたたきにいきます。もし何かあったら、久瀬くんに連絡してください」

「分かった」


 鎌田はうなずいた。背中には竹刀袋、腰には木刀をねじ込み、準備万端である。


「よし、渡利、行くぞ!」

「おう!」

「伊達さんには連絡済みです。寮の横の小道で待ち合わせています」


 二人は力強くうなずき、部屋を飛び出していった。

 あとに残された神楽は、袖に手を入れるようにして腕を組む。


「あとは、僕らにできることをやるしかない」


 目に見えないタイムリミットは、確かに迫っている。


 羽織の紐を結びながら部屋を出ると、廊下の壁に久瀬が寄りかかっていた。淡い絵描きであるという本質とは対称的に、狭い廊下を塞ぎかねない巨体は歴戦の軍人を思わせる。


「準備できたか?」

「ばっちりです。僕らも外に出ましょう。伊達さんが用意してくれたもう一台の車も到着しているはずです」

「荒川さんの家までは三十分くらいか」

「十五分で着かせますよ」


 今は悠長にしている暇はない。伊達に用意してもらって運転手には、限界までかっ飛ばしてもらうつもりである。


「行きましょう」

「おう!」


 久瀬は大きくうなずくと、どすどす音を立てて歩き始めた。

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