第65話 「血の行く末」

「どうだった?」

「骨は無事だったから、後遺症がないようならすぐに治るってさ。そっちは?」

「俺は縫ったよ。十数針だぜ? キョウロウと戦うよりよっぽどしんどかった。あとで糸を抜きに来なきゃならねえし。傷跡残ったらやだな」

「名誉の傷だろ? 箔が付くよ」

「顔に傷があったって、寄ってくるのはむさくるしい男だろうが! 俺は女子にモテたいの! ただでさえ怖がられてんのに、傷までついちまったらしゃべってもくれねえよ……」


 悲壮な顔をする鎌田に、碧海は思わず吹き出してしまった。すぐにげんこつが飛んでくるが、一度ツボに入ってしまったらそう簡単には抜け出せない。


 鎌田が本気で拳を握ったのを見て、碧海はようやく笑いを鎮めた。


「ごめん。あんまり深刻そうに言うものだから、面白くてさ」

「俺にとっては死活問題だ!」

「大丈夫だよ。そもそも外見で判断してくるような人は、鎌田には合わないって。口が悪くても、顔に傷があっても、チビでも短気でもいいって人が現れるよ」

「悪口が聞こえたぞ! 誰がチビで短気だ!」

「事実」


 ぎゃいぎゃい言う鎌田を押しのけると、自動ドアが開いて神楽が姿を現した。しきりに肩をさすっているのは、そこが警棒で殴られた場所だからだろう。だが、それ以外は元気そうだ。


「竜さん」

「ああ、碧海くん」


 神楽は微笑み、碧海の正面に腰を下ろした。


「二人とも、怪我は大丈夫ですか?」

「僕は安静にしてれば大丈夫。キョウロウさんが簡単な手当てはしてくれたしね。鎌田は縫ったって」

「おや、いよいよその筋の人ですね」


 鎌田の頬には大きなガーゼが貼られている。その下には生々しい傷跡があるのだが、鎌田ほどの頑丈さがあればすぐに治るだろう。


「竜さんの肩は?」

「しばらく冷やしてもらったら、だいぶマシになりました。まだ違和感はありますが、痛みはほぼないですよ」

「ならよかったよ」

「それで……」


 神楽はわずかに声量を落とした。


「渡利くんの容態は」

「…………」


 碧海と鎌田は黙りこくり、互いに視線を交わした。


「今も手術中だ。もう二時間もたってるが、なかなか出てこねえ。終わったら、医者が知らせてくれることになってるんだけどな」


 鎌田が端的に説明をする。

 神楽は表情を変えなかったが、手の中で弄んでいた一ドル硬貨が、甲高い音を立てて床に落ちた。


「すみません。……見込みは?」

「二十パーセントもないと思う。いや……十パーセントも切ってるんじゃないかな」


 碧海は静かに言った。涙がこみあげてくるのを必死にこらえる。


——泣いたらだめだ……泣いたら、おしまいだ。


 なんとなく、そんな予感がある。


「しかし、二時間もこもっているのなら、まだ生きているということです。僕らが勝手に悲観してちゃ、頑張ってるお医者さんや渡利くんに申し訳ない」


 神楽は強い口調で言い切った。それからふっと表情を和らげる。


「さあ、いつまでも暗い話をしていても何にもなりません。……飯野さんたちと会ったそうですが、どうでしたか? さぞご立腹だったでしょう」

「日向さんはむしろ楽しそうだったけど、飯野さんはめっちゃ不機嫌だった」


 救急車と警察を呼び、最初に到着した制服警官に事情を説明していたところに、飯野と日向が慌てて駆け付けた。碧海が実は襲われていたこと、キョウロウと幾度となく遭遇していたこと、そして碧海が推理したことを包み隠さず話すと、二人は驚き半分呆れ半分といった表情を浮かべた。

 が、それも一瞬のこと。二人はすぐに烈火のごとく怒り、二台目の救急車で手当てを受ける鎌田ともどもこっぴどく説教をを喰らった。伊達が裏切り者だったことを改めて告げると、渋い顔をして黙ってしまったが。


 搬送される救急車の中では、飯野からいくつか説明を受けた。

 一応、今回の事件の立役者ということで、碧海一行にはいろいろと便宜が図られることになったらしい。


 神楽が荒川の家に不法侵入したことと、夏目がシステムをハッキングしたことは見て見ぬふりをされ、鎌田による数々の暴行は正当防衛ということで処理された。実際、元管理人の加藤の家を襲撃、もとい訪問したとき以外は本当に正当防衛なのだから、それも当然なのだが。


 また、満身創痍の碧海たちは、無償で手厚い治療を受けることになった。


 その代わり、碧海一行に加え、夏目や佐川、久瀬、結城など、事件にかかわった杜葉生には厳しいかん口令が敷かれた。


 その理由が、伊達の存在である。


 殺し屋とつながっているということが判明した伊達は、すぐさま重要参考人として手配された。さらに、伊達が反社会的勢力とつながっていることを黙認したうえで、その恩恵にあずかっていた数人の警察幹部も芋づる式に露呈し、警察全体を巻き込んだ大汚職事件に発展したのである。

 さらに、二人の殺人犯のうち一人が大物議員の隠し子だったということもあり、事件はとんでもない盛り上がりを見せた。


 警察の威信にかかわるこの事態を一刻も早く収束させるため、混乱を招きかねない碧海たちの存在はマスコミにも伏せられることになっている。


 そうして、陰ながら事件は解決に向かう……と思われた。


 伊達が姿を消したという知らせが入ったのは、碧海が治療を受けている最中のことだった。身の回りのものを一切残して、所轄の交番からも自宅からも雲隠れしたのである。

 さらに、付近を根城にしていた暴力団もそっくりそのまま消えていた。こういう事態に備えて、姿を晦ませる備えをしていたとしか思えない。そう飯野は苦い顔をしていた。


 とりあえず今は、あらかた治療も終わり、病院の受付で羽を休めているところである。


「あ、そういえば、夏目さんからメールがありましたよ。筋肉痛になりそうだって、不満をこぼしていました」


 夏目の仕事は結城の救出と荒川の監視だったのだが、車での移動にもかかわらず疲労困憊してしまったらしい。


「まあ、キョウロウさんに見つからなくてよかったよ。久瀬は? 怪我したんでしょ?」

「そっち方面のお医者さんに治療してもらって、寮にとんぼ返りです。あれだけ頑丈な体を持っていれば、僕よりも早く回復すると思いますよ」

「その医者、免許持ってんのかよ」

「モグラって名乗ったらしいです」

「もぐりじゃねえか」


 まあ、怪我を治してもらえるなら何でもいいのだが。


「なんともねえなら、別に文句はねえんだけどよ」


 鎌田も同じ感覚の持ち主のようだ。特に気にしていない様子で椅子にもたれかかると、数秒の沈黙を挟んで碧海を見た。


「ホントに、推理を披露してるお前は別人みたいだったよ。その、叔父さんが亡くなるまでは、あんなんだったのか?」

「どうだろう……いや、違うと思う」


 むしろ、三年もの間、神谷の死という絶望の闇に囚われていたからこそ、あんな推理ができたのだ。どん底にいる人間は、そこにとどまるか、上に行くかしか選択肢がない。

 碧海は本来の自分よりも上にたどり着くことができた。それはすぐそばにいる二人、そして今まさに生死の境をさまよっている渡利、なんだかんだ協力してくれた夏目や久瀬のおかげだ。

 が、そんな恥ずかしいことを本人たちの前で言うのははばかられ、碧海は適当に答えを誤魔化した。


「昔の僕も頭よかったけど、今の僕の方がずっといいかな」

「癪に障るやつだな……赤点野郎のくせに!」

「でも、日本ジュニアJ数学オリンピック金賞もらってますー。普通の赤点野郎と一緒にしないでください」

「こいつ! 大体な、てめえはいっつも説明不足なんだよ! 実は天才だとかさ、最初に言っとけよ!」


 ぎゃんぎゃん吼える鎌田を押し返し、碧海はへらりと笑った。


「天才じゃないよ」

「じゃあなんなんだよ!」

「うーん、秀才とか?」

「この!」


 鎌田は碧海を睨みつけた。


「それとな、説明不足の件で、もう一つ言いたいことがある!」

「うん?」

「おっさん巡査が置いていったあのショットガン! あれがビリビリするだけのやつだったって知らなかったぞ! 俺はさ……」


 鎌田はそこで言いよどんだ。神楽が含み笑いを漏らす。


「碧海くんが人殺しになってしまうって心配だったんでしょう?」

「馬鹿、お前、黙ってた方が粋なこともみんな言っちまうんだな!」

「おっと、これは失礼」


 神楽は口元を袖で隠し、鎌田は顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。


 受付にいる看護師が咎めるような視線を向けてきたため、碧海は少し声量を落として説明した。


「渡利が『嫌な感じがする』ってよく言ってたの、覚えてる?」

「ああ、確か、火薬のにおいに反応していたんでしたっけ」

「そのおかげで気付いたんだよ」

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