第64話 「暁天」

「てめえの相手はこの俺だ! 何度も言わせるんじゃねえ!」


 鎌田は声を荒げ、キョウロウの前に立ちふさがった。碧海がその横を駆け抜け、渡利の下に駆け寄る。何度か渡利に声をかけると、慌てたようにシャツを脱いで首筋に押し当て始めた。


――よし、まだ生きてるんだな!


 渡利が飛び退いたのと、キョウロウがナイフを振り抜いたのはほぼ同時だった。おかげでナイフの入りが浅く、即死だけは免れたらしい。

 だが、問題はあの出血量である。


 鎌田は木刀を頭上に構えた。


――秒で決着をつけなきゃならねえ。


 渡利には時間が残されていない。文字通り一分一秒の遅れが命取りになる。


 鎌田は目を閉じ、大きく深呼吸をした。傍目には隙だらけのはずだが、キョウロウほどともなると迂闊には攻めてこない。下手に攻めても手痛いしっぺ返しを喰らうだけだと分かっている。


 だから、待っている。

 鎌田に本当の隙が生まれる瞬間を。


 鎌田は自分でもじれったくなるほどゆっくり瞼を持ち上げた。鋭くなった五感が世界を鮮やかに彩っている。むろん、本当に五感の能力が向上したわけではない。極度の集中によって、普段なら気にも留めないような微細な感覚にまで気を配るようになっただけだ。


 碧海は両手を血塗れにしながら、必死に渡利の命をつなぎとめようとしている。錆びた鉄っぽい血の臭いが漂っているような気がするのは、決して気のせいではないだろう。それほど渡利は大量に出血している。


 鎌田は肺がいっぱいになるまで酸素を取り込み、天に向かって吼えた。


「ここからが本番だ! さあ、殺さば殺せ!」


 喉仏を狙って痛烈な突きをお見舞いする。キョウロウは片腕で木刀を横に弾き、ナイフを振り下ろす。その動きは一段と速い。いよいよ本気といったところだろう。

 木刀を弾かれた勢いを利用して半身になり、腰の竹刀を居合抜きの要領で引き抜く。惚れ惚れするような軌道を描いた竹刀はしかし、誰にも当たることなく空気を切り裂いた。

 両腕を開いているため、がら空きになってしまった鎌田の胴に向けて銀色の刃が迫る。鎌田は手の中で二本の刀を逆手に持ち替え、へそのあたりで交差させた。ナイフの刃は難なくすり抜けるが、それを握る手が大きなバツに引っかかり、強制的に動きを止めさせた。切っ先はへそから数ミリのところで止まっている。

 強引な力勝負に持ち込まれる前に、鎌田は刀を開いてキョウロウの手を弾いた。


「……小太刀を使っての二刀流ではなく、二本の同じ長さの刀を使いこなすとはな」


 不意に、キョウロウが淡々と賞賛の言葉を口にした。


 剣道の世界で二刀流といえば、普通の刀を利き手に、小太刀をもう片方の手に装備するのが一般的だ。利き手ではない方の手は、利き手に比べるとどうしても握力が弱くなりがちだからである。二刀流で有名なかの宮本武蔵も、右手に刀、左手に小太刀を持って戦っていたという。


――俺だってそうさ。


 左手で握っている竹刀は木刀より軽いとは言え、早くも腕に脱力感がある。

 それでも、鎌田が考える空中戦に持ち込むためには、左腕のエンジンもかけておく必要があった。


――ぶっつけ本番になるが……。


 なにせ、キョウロウとの戦いの最中に思いついた技なのである。


——あたりゃ強え。


 鎌田はずっと待っていた。

 キョウロウに隙が生まれるのを。


 再びナイフと刀が交差する。


 互いに決め手に欠けるまま、十秒が経過する。


――どちらが先にしびれを切らすかが勝負だ。


 ときおりナイフと木刀がぶつかる乾いた音だけが空しく反響する。


「…………」


 先にしびれを切らしたのは、鎌田とキョウロウのどちらでもなかった。


「早くしてくれ!」


 碧海が叫ぶ。集中している鎌田の邪魔をするまいとずっと黙っていたのだろうが、ここに来て我慢の限界に達したようだ。


 鎌田を睨む碧海の目がキラキラと光っている。


 鎌田ははっとした。


 そのきらめきは涙によるものか。

 あるいは……。


「ちと待ってろ!」


 怒鳴り返した途端、ついにキョウロウが動いた。予備動作もなしに、ナイフをダーツのように投げつけてきたのだ。突然のことに避けきれず、頬がざっくり切れてしまった。心臓の拍動に合わせて傷が痛む。


 頬を肩に押し付け、一時的にでも痛みを押さえられないかと苦心していると、強烈なパンチが心臓のある辺りを打ち抜いた。


――こいつは……効くなあ……っ!


 体が言うことを聞かない。今度は頬の傷をしたたかに殴られ、鎌田は悲鳴を上げながら後ずさった。


 キョウロウがちらりと碧海を一瞥する。


 鎌田はゆっくり後退した。

 鎌田は、キョウロウに隙が生まれるのをずっと待っていた。


——もう少し……もう少しだ……。


 次の瞬間、一筋の光明が差し込んだ。


「来た!」


 鎌田は背筋を伸ばし、木刀で床をたたいた。


「おいこら、キョウロウやい! 命かけたやり取りの間によそ見とは、いい度胸じゃねえか! この俺様の必殺技を喰らいてえのか?」


 キョウロウがさっと振り向く。


 その瞳孔が、きゅっと縮んだ。


 いまやキョウロウは光の中に立っていた。高い位置にある窓から差し込む光が、時間とともに少しずつ移動していたのである。

 碧海の目が光って見えたのは、その時点では碧海が光の下にいたからだった。


「くそ」


 キョウロウは目元を覆ってうなった。


 その隙に、鎌田はキョウロウに背を向けた。まっすぐ駆け出す。

 碧海が縛られていた椅子に飛び乗り、上半身をひねってキョウロウの方を向く。


「てめえの攻撃はどこまでもありきたりだ!」


 鎌田は吼えながら椅子を蹴った。


「それがてめえの弱点だよ!」


 堺井が言った通り、何もキョウロウと同じ土俵で戦う必要などないのだ。


 地上戦がだめなら、空から攻めればいい。


 ナイフを手放してしまったキョウロウは、光の存在さえ忘れて目を見開いた。とっさに両腕で防御の構えをとるも、太陽を背にした空からの攻撃には意味をなさない。


「仕舞いだ!」


 目を輝かせ、歯をのぞかせて笑う。

 両手に持った刀を大きく振り上げ、全体重を乗せて振り下ろす。


 脳天に二発もの斬撃を喰らったキョウロウがよろめく。


 さらに鎌田は空中で刀を手放し、強烈なドロップキックをキョウロウの胸に見舞った。


「てめえにゃあ、これはできねえだろう?」


 手近なものを踏み台に飛び上がり、斬撃ののちに蹴りを放つ。我ながら型破りな技だ。

 キョウロウとしばらく戦っていて分かったのは、殺し屋としての癖なのか、必要最低限の動きで攻撃、防御をしようとするということだ。あらゆる防御をかいくぐり、あらゆる攻撃をいなすのには最適化された動きなのかもしれないが、鎌田はそれを弱点ととった。

 キョウロウは、自分のデータにない攻撃に弱いのだ。


「くそ……まだまだだな」


 大の字に倒れたキョウロウは、弱々しくつぶやいた。

 鎌田は左右の腰に刀をねじ込み、にやっと笑った。


「俺の勝ち」

「ああ……だが」


 キョウロウはポケットに手を入れ、小さなリモコンのようなものを取り出した。


「死なばもろともだ」

「ばっ、爆弾か!?」


 キョウロウは息を吐くように笑った。


――やばい!


 鎌田一人が逃げられたとしても、重傷を負っている渡利はそうもいかない。


 鎌田は踵を返し、ぴたりと動きを止めた。渡利は同じところに倒れているが、そばに碧海の姿がない。


「鎌田、ちょっと避けてくれ!」

「は……」


 声が聞こえた方を見た鎌田は、はっと目を見開いた。

 碧海が、伊達が置いていった黒いショットガンを構えている。


「馬鹿、お前!」

「いいから!」


 血みどろの指で、碧海は引き金を引いた。

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