第53話 「美術部の底意地」
「……竜さん、そいつを貸してくれ!」
「え? で、ですが、一発しかありませんよ」
「いいから!」
久瀬の声は、強い決意にみなぎっていた。熊のようにつぶらな黒い瞳が、じっと神楽を見つめている。
「三人でハチの巣になるくらいなら、一つ賭けに出よう」
「何を……」
躊躇する神楽の手からテーザー銃を奪い取り、久瀬は後部座席に戻った。後部のリアガラスはすでにヒビだらけで、あと数発も撃ち込まれれば粉砕されてしまうだろう。
「っしゃあ!」
自分の頬を叩いて活を入れ、久瀬はテーザー銃の銃床でリアガラスを思いっきり殴りつけた。暴力沙汰とは無縁とは言え、その巨体から繰り出されるパンチは重い。
ガラスが砕け、久瀬はそこに巨体を潜り込ませた。
「久瀬くん! なにをする気です!?」
「美術部の意地を見せてやる!」
久瀬は口の中でうなった。その声は、底の方でかすかに震えている。
「久瀬く……」
神楽が手を伸ばして止める間もなく、久瀬はトランクに片膝をついた。テーザー銃は口にくわえ、両手を使ってバランスをとっている。
追尾している車に乗っている男は、怪訝そうな顔をしながらも、照準をぴたりと久瀬に合わせた。
「うおおっ!」
久瀬が吼える。その巨体が宙を舞い、数メートル離れた後続車のボンネットにぶつかった。反動でずるずると体が滑る。足が道路をこすりそうになったが、すんでのところでワイパーをつかんで堪える。
テーザー銃の銃床をたたきつけてフロントガラスにひびを入れ、最後の仕上げに自らの拳をめり込ませる。
目を見開いて固まる助手席の男に、久瀬はテーザー銃を突きつけた。
「ねんねの時間だぞ」
普通の拳銃とは少し違った発砲音がする。四角い銃口から放たれた電極が男の胸に突き刺さり、電流を流した。一瞬悲鳴が上がり、ぐったりとうなだれる。
息つく間もなく久瀬は左を向き、手を伸ばしてハンドルを握った。運転手は両手、久瀬は右手でワイパーに掴まっているため左手一本。にもかかわらず、久瀬はいとも簡単に主導権を奪い取り、車を石塀に接触させた。制御を失った車体が反対側の石塀にも衝突する。
石塀にぶつかりながらひどい蛇行を繰り返し、ついに車が電柱に激突した。
ボンネットから灰色の煙が立ち上る。そこに久瀬の姿はない。
「ハンドル借りますよ」
神楽は意識を失う寸前の鷹山を後部座席に移動させ、代わりに運転席に収まった。もちろん運転などしたことはないが、真似は大の得意である。これも独学で手品を習得した賜物だ。一目見れば、ある程度似た動きはできる。
ゆっくりアクセルを浮かせ、ハンドルをわずかに傾ける。心臓がバクバク鳴っているのを極力無視し、静かに車を停止させる。
鷹山に傷口を圧迫し続けるように伝え、神楽は車から飛び降りた。
「久瀬くん!」
久瀬の巨体は間もなくして見つかった。大破した車から少し離れた場所に横たわっている。
「久瀬くん、大丈夫ですか!?」
「に見えるか?」
二枚ものガラスを粉砕した拳からは血が出ていた。バンパーから飛び降りた時に捻ったのか、ズボンの裾から除く左足首は赤く腫れ始めている。細かいすり傷を挙げればきりがない。
「すみません、僕が何か打開策を思いつければよかったんですけど……」
「馬鹿言え、お前が気に病むことじゃねえ。この無駄な図体は、こういう時に使うんだよ」
久瀬は堂々と言ってのけた。
――まったく見かけ倒しなんかじゃないな……。
よく、自分のことを見掛け倒しなどと自虐することがあるが、そんなことはない。
見かけ通り、いや見た目以上に豪快で大胆な性格をしているようだ。
苦笑する神楽を見て、久瀬は歯を見せて笑った。
「そんなに気になるんだったら、これからのことを指示してくれよ、手品師さん」
久瀬が立ち上がるのに手を貸し、神楽はうなずいた。
「まず、鷹山さんときみ、それに襲ってきたお二方を病院に連れていきましょう」
反対するかと思ったが、久瀬は素直にうなずいた。見殺しにする気は毛頭ないらしい。
「ただし、普通の病院じゃだめです。少なくとも鷹山さんはね」
彼は銃弾によって負傷している。伊達が不在の中、下手な騒ぎを起こすわけにはいかない。
神楽は鷹山の車に駆け戻り、後部座席に声をかけた。
「鷹山さん、そっち系のお医者さんの知り合いっていますか?」
耳にスマホを当てていた鷹山は、ゆっくりうなずいた。
「ちょうど連絡をしたところです。迎えに来てくれるそうなので、このまま待ちます」
「分かりました」
神楽はうなずき返し、塀に寄りかかっている久瀬を見上げた。
「きみはここに残っていてください。もし誰か来たら、交通事故に遭ってしまって、いま警察を呼んだところだと伝えてください」
「お前一人で大丈夫なのか?」
「何とかします」
こう答えるしかない。
久瀬はしげしげと神楽を見下ろすと、傷の走る頬を持ち上げた。
「気張れよ!」
「ええ……っ、げほっ、げほっ」
相槌を打とうとしたところに背中をたたかれ、思いっきりむせてしまった。とんでもない力だ。
目尻に浮かんだ涙をぬぐい、神楽は拳を持ち上げた。
「この場は任せました」
「こっちはどうってことねえ。そっちこそ任せたぞ。血の付いたナイフでも、人殺しマニュアルでも何でもいい。絶対に見つけて来いよ!」
ごつんと、小気味の良いと言うにはやや豪快すぎる音がした。
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