第44話 「タネは仕込み済み」

「ふぎゃっ」


 キョウロウに飛びついたはいいものの、軽くあしらわれた神楽は、突き飛ばされて尻もちをついた。鎌田はよろめいて壁に手をついている。


 黒いサングラスとマスクに隠されたキョウロウが、笑みを浮かべた気配がする。


「やり合うつもりでいたが、その必要はなさそうだ」


 ちらりと机の上に目をやってから、気絶した碧海を軽々と担ぎ上げ、キョウロウはベランダの柵を乗り越えた。


「碧海くん!」


 慌てて立ち上がり、ベランダから見下ろすも、もうそこに二人の姿はない。


 かすかに車のエンジン音が聞こえ、それも間もなくして夜の静寂に呑み込まれていった。


「くそ……くそおっ!」


 鎌田が咆哮する。


「…………」


 神楽が何も言わず唇を噛むと、どこからか着信音が聞こえてくる。音の出所を見ると、碧海の机の上でスマホが震えていた。画面には結城の名前。

 神楽ははっと目を見開き、通話ボタンをタップした。


「もしもし!?」

『俺や! いま結城の部屋におる』

「渡利くん?」


 ボールを投げてもらった子犬のように飛び出していったと思ったら、どうやら結城の部屋に行っていたらしい。


「どうして結城くんの部屋に?」

『碧海が最後に言い残したんや。「結城」って』


 渡利が聞き取ってくれると信じて、碧海が必死の思いで絞り出した一言なのだろう。

 どうしてそんなことをさせたのか。なんとなく嫌な予感がして、神楽は続きを促した。


『結城がおらんねん……部屋に入ってみたら、窓が開いとったんや』

「やられた……」


 まさか一日もおかずに再び拉致するなんて無謀なことはしないだろう、と油断していたのがまずかったようだ。碧海の言葉もむなしく、結城も連れ去られてしまった。


『それで、碧海はどないしたんや』

「こちらもまずい状況です」


 その一言で通じたようで、渡利は黙り込んでしまった。

 そのまま重々しい空気で通話を終わらせようとすると、渡利が珍しく強い口調で引きとめた。


『待てや!』

「は、はい?」

『碧海は、「結城」っちゅう言葉のほかに、もうちょっと残したんや』

「本当ですか!?」


 今は何でもいいからヒントが欲しい。碧海の明晰な頭脳が、事件の根幹にたどり着いていたことを祈るしかない。


「それで、なんと言ってたんです?」

『「あらかわ」って言ったんや。あ、ら、か、わ。その後に「いえ」とも聞こえた気いする。俺でもほとんど聞き取れへんくらい小っちゃい声やった』

「『あらかわ、いえ』……」


 どこかで聞き覚えがある。


――どこで聞いたんだ?


 腕を組む。碧海が絞り出してくれた一言だ。とても大事な言葉なのだろう。


「あ」


 思い出すのはそう難しくなかった。


「渡利くん、食堂に行ってください。そこで待ち合わせましょう」

『食堂? 分かった』


 そうして通話を終わらせた神楽は、鎌田が竹刀をじっと見つめたままうなるのを耳にした。


「あの爆発さえなきゃ……」


 堺井とともに巻き込まれる羽目になったパトカーの爆発のせいで、わずかに残っていた体力さえ持っていかれた、そう言いたいのだろう。


 だが、そんなものは言い訳だ。

 そしてそれは、本人が一番よく分かっている。


「……離れるべきじゃありませんでしたね」


 神楽がそうつぶやくと、鎌田は何も反論せず唇を噛んだ。手が白くなるほど竹刀を握りしめている。


――僕らの失態だ……。


 鎌田だけの責任ではない。キョウロウの動向が把握できていない段階で、碧海を無防備な状態に置いておくべきではなかったのだ。今まで、キョウロウの襲撃以外にも幾度となくピンチを切り抜けてきた。それが慢心を生み、結果がこのざまだ。


 昼間の出来事で、碧海たちが何かしらの方法で追跡ができると悟ったキョウロウは、そう簡単に尻尾をつかませないはずだ。途中で車を乗り換えるなどするかもしれない。


「おい、竜さん。早く碧海を追うぞ!」


 鎌田が穏やかではない眼差しを向けてきた。少しでも刺激されれば、容赦なく飛びかかってくるだろう。本人が疲労困憊しているとはいえ、神楽に対抗できるほどの力があるとは思えない。


――まずは落ち着かせないと。


 神楽は、できる限り冷静に鎌田を見つめ返した。


「少し待ってください」

「あ? なに言ってんだよ。何されるか分かんねえんだぞ。もう殺されてるかもしれねえ!」

「ですが、どうやって追うんです?」

「どうやってって、昼は夏目が何とかしてくれたんだろ? またやってもらえば……」

「そこなんです、問題は。キョウロウさんにとって、拉致は二回目だ。追跡できるような道を通るとは思えません」

「じゃあどうしろってんだよ!」


 怒りが疲労を上回ったか、気付けば鎌田に胸ぐらをつかまれていた。そのまま壁に押し付けられ、息が詰まった。


「鎌田く……」

「てめえはいつもそうだな! そうやって冷静ぶって、結局何もしないまま煙に巻いちまうんだ。一度だって真剣に向き合ったことあんのかよ!」


 怒りの中に、どこか懇願するような響きを感じ取った神楽は苦く笑った。碧海にも言われたような台詞だ。


「なにも、意図的に煙に巻こうとしてるわけじゃないんですよ」


 テレビで見た凄腕のマジシャンに憧れ、自分も手品で生計を立てていけたらと考えたのが、およそ八年前のこと。

 もともと手先が器用だったこともあり、独学で練習を始めるや否やめきめきと上達した。


「でも、唯一、何度やってもタネを見破ってくる人がいた」


 胸倉をつかむ鎌田の手が、わずかに緩んだ。突如始まった、神楽の一人語りの興味を引かれているのは確かだ。


「誰だよ?」


 そのことを表に出すのは気まずいのか、ぶっきらぼうに問うてくる。


「両親ですよ」


 告げてから、神楽は唇を尖らせた。


 どれだけ技術を磨こうと、どれだけ立派な道具を買おうと、両親の目だけは欺けなかった。ほかの人なら気付かない些細な表情の変化を、両親は見逃さなかったのである。単純にこれは、生まれてから誰よりも長く過ごしてきた両親だからこそのことだろう。

 だが、それがとにかく悔しかった。


「まあ、だから、相当なことがない限り感情を出さないようにしたんですよ。動画でびっくり映像を見たり、ホラーゲームをやってみたり……」


 話しているうちに気恥ずかしくなって、言葉が尻すぼみになってしまう。


 鎌田は目をしばたかせ、ぶはっと噴き出した。


「何だよお前、かわいげあるじゃねえか」

「よ、余計なお世話です」

「で? 特訓の成果は?」


 神楽は頬を掻いた。


「惨敗です。竜太郎は表情豊かだな、って笑われました」


 とはいえ、両親以外に対しては、特訓の成果はあったらしい。こちらが失敗しない限り手品のタネを見抜かれることはなくなったし、その失敗すらもほとんどなくなった。


 神楽は腕を組み、いつものように微笑んだ。


「そう、例えば、今きみのポケットには百円玉が入っていたりね」

「は?……なんだ、トランプじゃんか。いや、それも十分すげえけどさ」


 鎌田が落胆したように、手の中のトランプを見せつけてきた。程よい硬さのプラスチックトランプで、いつも神楽が愛用しているものだ。カードの種類はクローバーのエース。中心には古めかしいコインの絵が描かれている。


「ちゃんとあるじゃないですか。百円玉」

「馬鹿、こりゃ昔の銀貨みたいなやつだろ。絵だし」

「あれ、そうですか? よく見てくださいよ」


 差し出された鎌田の手に自分の手を重ね、すぐに持ち上げる。トランプが乗っていたはずの手のひらには、きれいな百円玉が乗っていた。


「うわっ、すげえ!」


 怒りはふっ飛んだようだ。鎌田は無邪気に目を輝かせると、百円玉をひっくり返したり、電気にかざしたりした。


 実際のからくりはそう難しくはない。親指をすっと動かし、鎌田にバレない程度に手首をかしげると、袖から百円玉が滑り落ちる。それを親指で受け止めてから、トランプと百円玉の位置を入れ替える。時間にして、一秒弱だ。

 手品とも言えない、手先の器用さだけを頼りにした入れ替え手品だ。

 普通に入れ替えただけでは、硬貨とトランプの重さの違いに気づいてしまうだろうが、自分の手で相手の手を軽く押しておけば、重さの変化に気付かれることはない。


 心の中で今の手品の出来を振り返っていると、鎌田がじっと神楽を見上げた。


「で? その話をして、何がしたかったんだ」

「まず、きみに落ち着いてもらうこと。二つ目に……」


 神楽は微笑んだ。


「僕みたいな凄腕手品師が、指くわえて傍観しているわけがないってことをお伝えしたくて」

「……もう、タネを仕込んでるってことか?」


 その手品らしい喩えに、神楽は顔を輝かせた。

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