第35話 「殺し屋と極道」

 神楽の推測が正しければ、そのうち二度目と三度目の背景が明らかになった。


 碧海はこめかみに指をあて、うつむいた。


「『こっちもいろいろ立て込んでる』。伊達さんはそう言ってた。これは、伊達さんが幹部をやっている組が、決して一枚岩ではないことを言っていたんだ。親である伊達さんに許可も得ず、下っ端連中で勝手に殺しの依頼を引き受けたんだから。できる限り僕を助けようとしてるのは、伊達さんとしては下っ端連中に失敗してもらった方がいいからだ」


 勝手に殺し引き受けた挙句に失敗したとあれば、組の看板に泥を塗ったとして、それ相応にケジメをつけさせることができる。

 組織が一枚岩ではない以上、伊達も表立って下っ端たちを糾弾することができないのだろう。


 だから、裏からこっそり碧海をサポートすることで、下っ端たちの失敗を誘おうとした。


「それなら、もっと教えてくれたっていいと思うんですけどね」


 神楽が苦虫を噛み潰したような顔をした。


「いや、それもできないんだろう。伊達さんは、渡辺くんを殺した人かキョウロウのどちらかとつながってる。裏切ったらそいつに殺されちゃうらしい」


 伊達も楽ではないだろう。


「たぶん、伊達さんがつながってるのはキョウロウの方だと思う」


 撲殺は、相手への鬱憤を晴らすには最善の方法かもしれないが、証拠の残りやすさから言えば最悪だ。渡利の件で証明されたとおり、殴りすぎると自分の皮膚が切れ、多くの証拠を残してしまう。

 渡辺万太の体からは第三者のDNAが一切検出されなかったとはいえ、人殺しとしては落第点だ。


 一方でキョウロウは、ナイフ一本でさくっと殺す。こちらの方が人殺しとしては優秀だ。


「ヤクザ幹部の伊達さんがつながってるんだとしたら、そういうベテランの殺し屋だと思わない?」


 碧海を救おうとしていることがバレれば、キョウロウに狙われるのだ。あの伊達が恐れるのも納得はいく。


「なるほど……ある種の板挟み状態なんですね」


 本来なら下っ端にバレない程度に邪魔をしたいはずの一件に、予想外の別口からキョウロウが参戦してきたのだ。

 伊達としては気が気ではないだろう。


 自分の部下とキョウロウに気付かれないように碧海をサポートしつつ、キョウロウのために捜査を撹乱する。常人なら音を上げるような状況だ。


 伝説のヤクザというのは、あながち間違いではないのかもしれない。


「警察に相談できない状況は相変わらずだけど……伊達さんが完全な敵ではないってことは分かった。こちらが隙さえ見せなければ、だけどね」


 『俺の想定外である限り』。この言葉は伊達の本心だろう。

 もし碧海が襲われてすぐに警察に保護を求めていたら、伊達としてはすぐにキョウロウへ報告するしかなかったはずだ。


 しかし、碧海は警察に通報しなかった。


 それこそが伊達の言う想定外であり、伊達にもキョウロウにも予測がつかないような動きをし続けることが、碧海の命をつなぐ命綱なのだ。


「なんやややこしいこと言うとるけど、つまり今まで通りやっとったらええっちゅうことやろ?」


 ふと声が聞こえた方を見やると、渡利が起き上がって大きく伸びをしたところだった。


「あ、渡利くん。起きてたんですね」

「だいぶ前からな。なに言うてるかよう分かれへんかったさかい、黙っとったんや……ってちゃう、それを言いたいんやない! なんで俺が床なんや!」


 二段ベッドの下段に寝かされている結城と久瀬を指さして、渡利は不満そうに声を荒げた。当の本人は、カーペットの上に転がされ、薄い毛布を腹にかけられているだけである。


「僕の力では、二段ベッドの上まで持ち上げられなかったので。かといって、客人にごろ寝させるわけにはいかないでしょう? 消去法できみが余りました」

「さては悪い思てへんな! 背中がひん曲がってしまいそうや」

「渡利くんならいいかな、と。碧海くんだったら頑張ってベッドに上げましたが」

「えげつないやっちゃな!……って、お?」


 そこで渡利は碧海をまじまじと見つめ、鼻にしわを寄せた。なんとなく、威嚇している子犬のように見える。


「なんや自分、まだ嫌な感じが残っとるやんけ」

「ええ? 何なの、その嫌な感じって」

「聞いたって無駄や。俺も分からんさかい」

「そんな堂々と言わないでよ」


 しかし、嫌な感じとやらを解消しないことには、一メートルも近づいてくれなさそうだ。それはそれで面倒だし、なによりいい加減しつこい。


 碧海はため息をつき、窓の外に目をやった。日が傾き始め、灰色のどんよりとした雲が少しずつ黒く染まっていく。地平線の奥にはまだ白んだ空があり、白黒映画のように絶妙な陰影を描いていた。


 自然と手がこめかみのあたりに動く。


 渡利の言う『嫌な感じ』は、何も加藤に始まったことではない。喧嘩をしたことのある先輩二人組にも同じことを言っていたし、ほかにも何人かの教師を前に顔をしかめていた。

 さらに初対面の伊達、鎌田、神楽と続き、今は碧海に対してそのしかめ面を向けている。


――もしかして……。


 碧海が口を開きかけたとき、鎌田の使っているベッドで寝ていた結城が、もぞもぞと身じろぎをした。それとほぼ時を同じくして、反対側のベッドでも久瀬が何やらつぶやく。


「二人してお目覚めやな」


 先に覚醒したのは結城の方だった。何度か瞬きをした後、きょろきょろと周囲を見回す。

 その視界に久瀬が入り込んだ途端、結城は訳の分からない悲鳴を上げてベッドから転がり落ちた。


「大我せんぱ……痛って⁉」

「あまり派手に動かない方がいいですよ。骨は折れていないと思いますが、ぶつけたところがひどい痣になっていますから。しばらく氷嚢を当てておきましたけど」


 神楽がゆっくり教え諭すように説明すると、結城はようやく状況を理解できたか、へなへなと渡利の隣に座り込んだ。


「僕、助かったのか……」

「久瀬のおかげでね。きみが不自然に寮を出て行くところを、たまたま目撃していたんだよ。そこに僕も居合わせたんだ。警察に通報してる暇もないと思って、僕と久瀬、あと渡利にも来てもらって、例の倉庫まで追っかけたんだよ」

「僕を助けるために、そんな命懸けで……?」


 結城は口をあんぐりと開けて固まってしまった。碧海側の事情を知らなければ、当然そのような反応になるだろう。

 久瀬はともかく、すれ違ったら挨拶する程度の仲の先輩が、いきなり命懸けで助けに来てくれたのだから。


「いや、命を懸ける気なんてなかったよ。もっとちゃちゃっと救出できるかなと思ったんだけど、甘かったね」


 あまり自分を責めてもらっても困る。

 碧海が笑いながら言うと、結城は胡乱な目つきを向けてきた。


「誘拐犯と変な会話してたし、ていうか銃みたいなの持ってたじゃないですか!」

「う、忘れてなかったか……」


 爆発の衝撃でうまく忘れてくれたかとも思ったが、そんな都合のいい話はないらしい。

 碧海が視線を泳がせると、結城はずいと身を乗り出した。


「先輩、一体どういうことなんですか⁉ 僕、誘拐犯に変な質問されたんです。怖くて答えられずにいたら、無言で工具を並べ始めるし……。あれ、なにしてたんですか?」


 もともと鈍感だとは思っていたが、拷問されかけていたことに気付かないほどだとは思わなかった。


――……いや、そうじゃなくて!


 碧海は素っ頓狂な声を上げた。


「質問されたって、本当か⁉」

「ふぁい⁉ きゅ、急に怒鳴らないでくださいよ……」


 拳を振り上げたわけでもないのに、何かから逃れるように首をすくめる。

 渡利が慰めるように肩を組んだ。


「碧海はん、パワハラはあかんでえ?」

「してないって!」

「怖がってるやんけ」

「それは……まあ、ごめん」


 碧海はむっつりと口をつぐんだ。自分より体格も年齢も勝っている先輩に大声を上げられたら、確かに委縮もしてしまうだろう。

 代わりに、物腰柔らかな神楽が口を開いた。


「すみません、こちらも驚いたものですから」


 少し間を置き、結城が落ち着くのを待つ。


「それで、何を訊かれたのか、教えていただいてもいいですか?」

「えっと……」


 先輩に敬語を使われるのが慣れないのか、少し戸惑ったように答える。


「『渡辺万太が捕まっていたこと、誰に話した?』って」

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