第33話 「酒喰らいの大蛇」

 目を覚ましたとき、最初に目に入ったのは黒い穴だった。

 徐々に感覚が戻ってきて、爆風で気絶していたのだと理解する。どれくらい気を失っていたのだろうか。


「ああ、起きたあ」


 黒い穴が少し遠ざかる。

 銃口だ。


「だっ……いっ⁉」

「おっと、安静にしてなよ。骨が折れてないだけ奇跡なんだから。きみは悪運が強いねえ」

「悪運なんて言われる筋合いはありません。悪いことはしていないんだから。……伊達さん」

「確かにそうかもなあ。きみが現れてから、毎日が楽しくて仕方ないよ」


 伊達は喉を鳴らして笑った。その両手には黒いショットガンのようなものが握られている。照準は碧海の眉間にぴったり定められ、人差し指が引き金に触れていた。


「伊達さん、どうして……ここが?」


 口にしながら上体を起こし、そばの壁に寄りかかる。ビルから突き落とされたときの打撲に加え、またしても背中に喰らってしまった。正面から爆風を受け、背中を壁に打ち付けたようだ。そろそろ背骨が折れてしまうのではないだろうか。


 碧海の動きに合わせて銃身を傾けていた伊達は、とぼけたように首をひねった。


「分からない? あんな推理を披露しておいて?」

「き、聞いていたんですか」

「さすがに私も驚いたね。警察内部ではいまだ揉めているというのに、きみは理路整然と渡辺くん殺しが別人によるものだと看破した。あっぱれだよ。まあ、当の犯人は逃げ出しちゃったけどね」


 いったいどこで聞いていたのだろうか。途中まで、外には久瀬がいたはずだ。棚の上には渡利も潜んでいた。ほかに盗み聞きできるような場所があったとは思えない。


――そういえば……。


 碧海はポケットに手を入れ、スマホを引っ張り出した。伊達の顔が輝く。


「正解!」


 電源を入れ、ホーム画面をスワイプしていくと、見慣れないアプリがインストールされていた。タップしてみると、黒い背景に大きなマイクのアイコンだけが表示される。


 碧海は苦い顔をして、アプリをアンインストールした。


「盗聴か」

「楽しかったよ、聴いてるの」

「……待て、久瀬たちはどこに行った⁉」


 碧海がいるのは同じ倉庫だ。外では、ワゴン車から火炎が立ち上っている。倉庫は正面の壁が大破し、冷気が直接吹き付けていた。気絶してから、そう時間はたっていないようだ。白っぽい太陽はまだ高い位置にある。

 冬は乾燥しているから、消火には時間がかかるだろう。しかし、まだ消防車やパトカーのサイレンの音はしない。遠くの方でかすかに聞こえるような気もする。


「ああ、きみと同じく気を失っていたから、寮に送らせたよ」

「三人とも?」

「うん。もちろん、正面から行ったらまずいだろうから、裏から入るよう指示してある」

「裏……非常口は鍵がかかってますよ」

「きみのスマホを借りて、竜太郎くんに電話したんだ。ドアを開けてくれてって頼んでみたよ。快く了承してくれた」


 まだ朦朧とする頭を押さえ、碧海は伊達のショットガンを見つめた。映画で見るようなものより、少し銃口が大きい。渡利ほどの嗅覚はなくとも、火薬のにおいが漂ってくる。


「指示してあるって、誰に送らせたんですか?」

「俺の部下だよ。安心して、いいやつらだから」

「その言い方だと、警察じゃないんですね」

「まあねー。それに、警察に知られて困るのはきみだろう?」


 囁き声で問われ、碧海はぐっと言葉に詰まった。

 車を爆発させようと思ったとき、真っ先に考えたのが警察への対応だった。全力で逃げれば何とかなる、とその時は無理やり自分を納得させたが、やはりそれは無理のある話だった。

 伊達がいなければ、徹底的に調べ上げられていただろう。


「いい加減に消防や警察が来るだろうし、早いところ話を済ませようか。どうしてきみだけここに残したんだと思う?」

「……分かりません」

「きみを殺すためだよ」


 伊達は告げた。柔らかく、子供に言い聞かせるように。


「悪いねえ、俺も仕事があるからさ」


 絶句する碧海の眉間に、黒い銃口を押し付ける。


 胸が痛い。頭が真っ白になる。


「ど、どうして、あなたが……」

「言っただろう、仕事なんだよ。冥土の土産に教えてやろうか? 俺はある人から依頼を受けているんだよ。きみを殺すようにね」

「こ、殺し屋……」

「殺し屋か。それはちょっと語弊があるかもな。俺は殺しが専門なんじゃない。たくさんある仕事の中に、殺しが含まれてるってだけだ」


 人差し指に力が籠もる。


――し、死ぬ……!


 碧海はぎゅっと目を閉じた。


 キョウロウに首を掻き切られそうになったときも、大勢のチンピラに襲われたときも、五階から突き落とされたときも、碧海はぎりぎりのところで生き延びてきた。

 だがそれは、仲間の助力があってこそ。


 こうして一人になってみると、碧海は自分の命を守ることすらできないのだ。


「――なんちゃって」

「え……?」

「そんな顔しないでよ。確かに、きみをターゲットにした殺しの依頼は出てる。でも、依頼されたのは俺じゃない」


 伊達はにっこりと笑い、ショットガンを下ろした。


「だ、誰が、僕を殺そうと……」

「それは教えられないなあ。守秘義務があるから。どの業界でも、信用が第一だろう?」


 人に言えないような業界を生きる人間がよく言う。


 とにかく、と伊達は続けた。


「こっちもいろいろ立て込んでてね。私自身は、できる限りきみをサポートしたいと思ってるんだよ」

「それなら、犯人とのつながりを断ち切ってください。そうすれば、僕は堂々と警察に相談できて、命の危険もなくなります」

「いやあ、そうもいかないんだよねえ。私が代わりに殺されちゃう」


 碧海は目をしばたかせるしかなかった。

 碧海の知らないところで、また別の問題が持ち上がっているらしい。


「伊達さん、あなたは何者なんですか?」

「それ訊いちゃう?」


 伊達はおどけたように肩をすくめると、着ていた綿のジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくった。


「これは……」


 伊達の引き締まった二の腕には、一匹の蛇が彫られていた。大きく口を開け、二股の舌を突き出す蛇の顔は、入れ墨を見たことがない碧海でも舌を巻くほど精巧に彫り込まれている。胴体はそのまま背中の方へと伸びている。


「寒いからこれ以上は脱がないけどね」

「蛇ですか?」

「ただの蛇じゃないよ。反対側の腕にもう一匹、背中には六匹いる」


 合計で八匹。ヤマタノオロチだ。


「裏の世界の人間っていうのは、まさか」

「そのまさかだと思うよ? 俺、蟒蛇なんて呼ばれてるんだよね」


 碧海は伊達を凝視した。


 表の顔は、酒飲みのダメ巡査。


 裏の顔は、ヤマタノオロチを背負う、蟒蛇の異名を持つ極道。


 それが、目の前で締まりのない顔をしている、伊達仁という男だ。


「それじゃ、寮まで送るよ」


 車の音が聞こえる。


「あ、そうそう。どうしてきみだけここに残したんだと思う? なんて質問の仕方をしたけど、別にきみだけを残した意味はないんだよ」

「どういうことです?」

「車、五人までしか乗れなくて。部下二人と、きみの友達三人」


 伊達は碧海の手を取って立ち上がらせた。


「きみに残ってもらったのは、ただの人数制限だったんだよねえ」

「…………」


 真剣に死を覚悟した自分が馬鹿みたいだ。


「この酔っ払い蛇」


 碧海はぼそりとつぶやいた。伊達の異名であるという蟒蛇は、大蛇を意味するとともに大酒飲みをも意味する。

 誰が考えたのかは知らないが、常にへらへらとしている伊達にぴったりだ。


「まあまあ、そう言わないでよ」

「言いたくもなります」

「それもそっかあ」


 爆ぜる火の粉を片手で払いながら、伊達は新しく現れた車の後部扉を開けた。運転席と助手席には、やはり堅気とは思えない二人組が乗っている。


「親っさん、すみません、手間かけさせちまって」

「気にするな。三人は無事に送り届けてくれた?」

「ええ。神楽さんに部屋まで案内してもらいました」

「じゃあ、最後にもう一人よろしく。くれぐれも丁重にね」

「承知しました」


 二人組は頭を下げると、碧海に乗るよう促した。

 腰をかがめて席に着くと、伊達がゆっくり扉を閉める。


「伊達さんは……?」

「親っさんはこれからサツとしての仕事に戻られる。そろそろ消防や警察も来る頃だからな。非番の日、たまたま居合わせたという名目で捜査に加わり、あなた方の証拠をとことん抹消するおつもりです」

「そんなことができるんですか?」

「あの人は私らの世界じゃ伝説です。ここだけの話、そうは見えないかもしれませんが」


 運転席の男が、車を発進させながら告げる。


「堅気の人間があまり深入りすると、ひと息に呑み込まれますよ」

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