第30話 「救出作戦」

 碧海は低くつぶやいた。


――どうすれば、結城くんを助けられる?


 扉には鍵がかかっているだろうが、それは久瀬の力があれば突破可能だ。そのまままっすぐ結城に駆け寄り、男の攻撃をかわしつつ逃げだせばいい。


――……なんてことが、できるはずがない。


 鎌田がいるならまだしも、見かけ倒しコンビに、実戦はからっきしな犬人間しかいないのだ。やれることには限度がある。


 それなら、窓から侵入しようか。カーテンが引かれていて、鍵もかかっているというが、これは正面の扉同様どうにでもなる。中にこっそり忍び込み、男の意識が結城から逸れた瞬間に救出、男に攻撃させる間もなく倉庫を後にする。


――あの男が、簡単に目を離すか?


 結城を拉致した男が、碧海を襲った男と同一人物だという確固たる証拠があるわけではない。あくまで背格好、そして碧海の直観によるものだ。もし別人であるなら、窓から侵入する方法でいけるかもしれない。

 しかし、同一人物であったなら。碧海を殺しかけ、鎌田相手に本気を出さず、その後竹蔵春生を殺したような人間である。そう簡単に、拉致してきた結城から目を離すとは思えない。


「おーい、碧海はーん?」


 こめかみを押さえる碧海に、渡利が陽気な声を投げかける。


「渡利はこう、どうしてそんなに能天気でいられるんだ」


 苦笑いとともに問うと、渡利は軽妙に笑った。


「なんでかって、そんなん訊かれても分からん。強いて言うなら、俺が馬鹿やからやろ。なーんも理解できんと、なんや知らん力が湧いてくるもんや。根拠のない自信だって、一丁前な自信やで?」


 碧海が暗い顔をしているのを見て取ったか、一つ嘆息してから呆れ顔を作る。


「ええか、自分は考えすぎなんや。そら考えるのも大事やけど、頭でっかちなまんま何にもできへんかったら意味がない。それやったら、壁にぶち当たって爆散する馬鹿の方がよっぽどマシや」

「そ、そんなこと考えてたのか、今まで」

「アホ抜かせ。いま適当に考えただけですー。けど、悪うないやろ?」


 そう笑う渡利を、碧海は瞠目しながら見つめた。


――ちゃんと考えてるんだな……即興だとしても。


 これが、渡利なりの生き様なのだろう。


「どや、なんや思いついたか」


 内緒話をするように囁く。

 碧海は感謝の言葉を述べる代わりに、大きくうなずいた。


「考えるより先に行動しろ作戦だ」

「おっと? 俺が言いたかったこととちゃうなあ。俺はこう、もっと自信持て! ってスピーチしたつもりやったんやけど」


 顔をひきつらせた渡利を尻目に、碧海はこめかみに指をあてた。


――情報は万金に値する。


 不思議と頭痛はしない。

 ぐるぐると思考が回転する。


 碧海は唇を舐め、倉庫から目を逸らした。


「久瀬、肩貸してくれ」

「え? 別に構わんが……」


 倉庫の横に回り、かがんだ久瀬の肩に足をかける。窓は高さ九、十メートルほどのところにあり、普通に肩を借りただけでは到底届かない。


「あれを伝っていくつもりか?」

「うん」


 久瀬が首を曲げて見つめる先には、五センチほど突き出した細いとっかかりがある。それが同じ間隔で五本ほど伸びており、倉庫をぐるりと囲っていた。遠目に見れば、倉庫が縄で縛られているように見える。

 このとっかかりを梯子の要領で上っていけば、窓枠に手をかけることができるだろう。


「俺がやろうかー?」


 とっかかりの一つに足を引っかけたところで、渡利がこちらを見上げた。


「届く?」


 とっかかりからとっかかりまでは、二メートル弱の距離がある。渡利の背丈は一七〇センチほどだ。手を伸ばすのでいっぱいいっぱいになってしまう。


「なめんなや」


 渡利は不敵に笑い、碧海を押しのけてとっかかりに足をかけた。


「無理しないでよ」


 その警告には答えず、長く息を吐く。


「見とき?」


 華麗とは程遠いウィンクを放ったときには、もう渡利の姿はない。足を軽く曲げ、片手を伸ばすと同時に跳躍する。その手が次のとっかかりに触れるや否や、垂直の壁を蹴って体を持ち上げ、さらに上のとっかかりへと手を伸ばす。

 まるで壁を駆けるように上り続け、ついに渡利は窓のサッシに手をかけた。


「どや」

「どうもこうも……恐れ入りました」

「やるな、景虎!」

「おおきにー!」


 ひょいと体をねじり、幅数センチほどのサッシに足を乗せる。もともと身軽だとは思っていたが、まさかここまでとは。

 碧海は壁に手を当て、久瀬の方を振り返った。


「ここで待っててくれ」

「俺だって行くさ!」

「さすがに登れないだろう」


 碧海は、体格の割にはあまり運動ができないというだけであって、人並みほどには動ける。対して久瀬は、ある程度動けたとしても、体重のせいで身軽に動くことができない。


「まあ、そうだが……分かったよ。なら、俺はどうしたらいい?」

「合図をする。大きな音が聞こえたら、すぐに来てくれ」

「ああ。……待て」


 うなずき返して倉庫に向き直った碧海の腕を、久瀬がぎゅむっとつかむ。


「俺が行くまで、もし結城に何かあったら、ただじゃ済まないぜ」

「後輩想いだね」

「だろう?」


 碧海は口元を緩めた。


「指一本触らせないよ。そっちも、僕らの合図を聞き逃さないでよ」

「大きな音だな。分かった」

「じゃあ、行ってくる」


 かじかむ指に息を吹きかけつつ、碧海はゆっくり壁をよじ登り始めた。片手が窓のサッシにかかる。歯を食いしばって体を持ち上げると、右肩が痛みに悲鳴を上げた。手当てをしたとは言え、痛めてから一日もたっていない。


「くそっ……」


 うめきながらも、左腕を駆使して窓に引っ付くことができた。伝って来たとっかかりに比べれば幅のある窓のサッシに爪先を乗せ、中を覗き込む。

 久瀬の言った通り、窓には内側から黒いカーテンが引かれていた。当然鍵がかかっている。耳をぴたりとつけてみても、思わず息をのむほどの冷たさが耳朶を襲うのみだ。


「さっきよりも聞きやすいな。やっぱ、工具とかカチャカチャやっとるで」


 渡利ほどの聴覚がなければ、壁越しに音を聞くなどという芸当はできまい。


「渡利、ちょっと場所貸して」

「かまへんで」


 碧海は長く息を吐き出し、右手でサッシをつかみながら、左手で窓そのものをつかんだ。鍵の種類は、三日月のような金具がついているクレセント錠。一般的な家の窓にも使われるありきたりな鍵である。

 そんなクレセント錠には、防犯上の欠点が一つある。


――右手が使えれば、もっと楽なんだけどな。


 足に力を籠めて体勢を保つ。窓を上下に揺らしながら持ち上げると、クレセント錠の三日月の金属が少しずつガタつき始めた。


「よし……!」


 一分もたたずして、三日月の金属が完全に持ち上がった。窓の振動を利用して摩擦を起こし、徐々に開錠するというやり方である。まだ幼いころ、鍵を忘れ家に入れなかったとき、ある人に教えてもらったのだ。


――もう十年以上前か……。


 記憶力はいい方だ。人はそれを羨ましいと言う。


――そんなことないんだよっ……!


 強引に窓を開けながら、ひっそり心の中でつぶやく。


――記憶が得意なんじゃない。忘れることが苦手なんだ。


 忘却は悪いことではない。時として、忘れることが前へ進むきっかけになる。

 それなのに、碧海は忘れられない。

 楽しく心躍るような思い出も、脳裏をよぎるだけで吐き気がするような過去も。


「あ、開いた! 自分、ほんますごいな!」

「そりゃどうも」


 内部に身を乗り出し、左右を確認する。天井まで届きそうな棚が壁一面に並んでおり、下りる分には苦労しなさそうだ。


――頭が痛い……。


 こめかみを押さえかけた手でサッシをつかみ直し、一メートルほど下にある棚に飛び降りる。がこん、と金属の板がたわむ。見上げて手招きをすると、渡利は物音ひとつ立てずに、碧海の隣に着地した。

 窓を開けたときから聞こえていた金属音が、ぴたりとやんだ。

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