第28話 「狩人より賢者」

「いや、面白い動きするね」

「むちゃぶりしておいて、よく言う……」


 窓枠に足をかけた碧海は、苦い顔をして夏目を見やった。


 女子寮男子立ち入るべからず。

 これは鉄の掟とでも言うべきもので、決して破ってはいけない寮生だけの規則だ。見つかれば停学はまぬがれない。真夜中ならいざ知らず、人通りの多い昼時に夏目の部屋へ行くなど、自殺行為にも等しい。


 そこで碧海と久瀬がとった行動は単純明快。いったん寮を出て、外から女子寮の一〇二号室の窓をたたいたのである。夏目の部屋が一階で助かった。


「褒めてるよ」


 普段着に着替えていた夏目は、やはり着ぶくれして一回り二回りほども膨らんでいた。椅子の上で眠そうな半目をこちらに向ける姿は、昼間のフクロウである。


「それで、何のために呼び出したんだ?」

「電話口で話してもよかったけど、見た方が早いと思って」


 久瀬に窓を閉めてもらい、夏目に促されるがまま机のそばに立つ。男子寮生の半数しかいない女子寮生には、一、二年ともに二人一部屋が与えられている。

 部屋の基本的な構造は同じはずだが、人数が半分になっただけで部屋の広さが二倍になったように感じる。ベッドが二段ではなく独立して二つあるため、圧迫感が少ないというのもあるだろう。


 面白いことに、部屋は中央できれいに二分されていた。片側は飾りっ気がなく、床のいたるところにタコ足配線が走っている。机の上にはデスクトップパソコンが置かれ、その周囲だけ雑然と物が積まれている。

 対して、片側はいかにも芸術家な感じだ。壁一面に絵画のポスターが張られ、机やタンスの上には所狭しと工作が並んでいる。彫刻だったり、針金で作られた動物だったりと、種類は様々だ。


「もう一人は? 確か佐川さがわだよね」

「ああ、佐川と同じ部屋だったのか、夏目って」


 佐川も、久瀬や結城と同じく美術部だ。絵画、中でも水彩画が得意な久瀬と違って、結城は立体的なものを作る工作が得意らしい。二人はしょっちゅう互いの作品を見せ合う仲で、佐川は久瀬が苦手な事務処理を副部長として引き受けている。


「芸術はよく分からないよ」


 夏目はそう鼻を鳴らしたが、パソコンの裏にひっそりと針金で作られたフクロウが置かれているのを、碧海は見逃さなかった。そんな目につきづらい場所に置かれているにもかかわらず、埃は一切かぶっていない。なんだかんだ大事に思っているのだろう。


 夏目は事務椅子に腰を下ろすと、マウスを握りこんだ。


「いいか、今から見せるものはオフレコでお願い」

「俺たちがここにいること自体、オフレコだぜ」

「確かに」


 言葉を交わしながらも、夏目はパソコンで何やら操作している。黒い背景に意味不明な文字列が並ぶばかりで、何をしているかは分からない。


「なんだこれ? バグったんじゃねえのかい?」

「違う。ちょっとお邪魔してるだけ」

「お邪魔?」

「そう」


 訊き返した久瀬にマウスを向ける。


「さ、刮目せよ」


 かちりと音を立ててクリックする。途端にパソコンの画面が切り替わった。画面が分割され、どこかのライブ映像が映し出される。


「こ、これ、うちの寮の!」


 映っていたのは、正面玄関とエントランスの監視カメラの映像だった。


「そう、監視カメラの映像。ああ、どうやってるのとかは訊くなよ」

「聞きたくないよ」


 どうせ、グレーどころかブラックな回答が返ってくるに決まっている。


「それで、この映像が何なんだ」

「少し巻き戻す。いいか……この辺だ」


 夏目は映像を十五分ほど巻き戻したところで、一時停止させた。大勢の生徒が寮に入っていく中、明らかに外へ出て行こうとしている人影が二つある。


「結城だ! 後ろのやつは……なんだ?」

「うるさいな……けど、いま久瀬くんが言った通り、問題は結城の後ろにぴったりついてるこいつだ」


 文字通り、謎の人物は結城の背にぴったり密着している。映像が不鮮明で分かりづらいが、片手はポケットに、片手は結城の背にあてているように見える。服装は濃紺のスーツで、白いマスクと眼鏡をつけている。


 碧海は目を細めて謎の人物を見つめた。


「夏目、こいつの身長を割り出せたりしないか?」

「身長を? ちょっと待て、結城の身長は……」

「一六五! デッサンのときに教えてもらったぜ」

「よし、比率で計算してみよう」


 パソコンを駆使するかと思いきや、夏目はそばの紙を手に取って手計算を始めた。


――速いな!


 ただの割り算や掛け算をしているだけだが、計算の一つ一つが速い。全体で見れば、電卓を使うよりもずっと速い。


 乱雑な数字が並ぶ紙を一瞥し、夏目はあっという間に答えを出した。


「一七五ってところ」


「僕より低いくらい……」


 日本人男性としては平均的、あるいは少し高いくらいだ。

 取り立てて特徴のない中肉中背。


――あいつと一緒だ。


 碧海を襲ったあの男である。


 レインコートを着ていないとまるで迫力がないが、背格好はあの男と一致している。


「心当たりがあんのか!?」


 碧海の目の色が変わったことに気づいた久瀬が、いまにも飛び出していきそうな勢いで迫ってくる。

 碧海は久瀬を見返し、映像の中の仇敵に目をやった。


「いいや。特徴のない背格好だなと思って」

「俺みたいなやつだったら、分かりやすいのにな」


 分かりやすいどころか、全員が注目するだろう。


――話すわけにはいかないな。


 事情を知る人が増えれば増えるほど、それだけ警察に露呈する確率は上がっていく。碧海が襲われたと知れば、警察は問答無用で保護しようと押しかけてくるだろう。そのことを伊達があの男に知らせ、軟禁状態の碧海は身動きが取れずに殺される。


 碧海は身を乗り出し、映像を凝視した。


「こいつは、手に何を持ってる?」

「よく見えねえな……ナイフかなにかか?」


 男の右手は白く光っているように見える。


「こいつが何を持っているかは、この際どうでもいい」


 碧海と久瀬の推測を一蹴し、夏目はマウスを持ったままの手を碧海に突き付けた。


「まだ助かるうちに、助け出してくれ」

「それは分かったけど、どうしてそんなに結城くんのことを気にかけてるの?」

「特別気にかけてるわけじゃないよ」


 夏目はつぶやき、監視カメラの映像を消した。目元に垂れてきた髪を鬱陶しそうに横に払う。


「監視カメラを逆再生で見ていたら、たまたま誘拐の現場を見つけた。まさか見て見ぬふりするわけにはいかないでしょ。でも、私だけじゃどうしようもないし……」

「お前いいやつだな、夏目! マジでありがとう!」


 久瀬が拳を突き出すと、夏目はきょとんとした顔をした。それでもめげなかった久瀬は、夏目のマウスを握る手に拳を軽くあてる。

 ようやくグータッチを求められていたことに気付いたらしい夏目は、誤魔化すように咳払いをしてモニターに向き直った。


「と、とりあえず、町中の監視カメラをハッキン……えっと、こう、のぞかせてもらった。途中から追いきれなくなっちゃったけど、大体の場所はつかめたよ」


 ややアングラな言葉が聞こえたが、おそらく気のせいだろう。碧海は咳払いをして誤魔化し、映像に代わって表示させた地図を覗きこんだ。寮から一キロほど離れた場所に、半径三百メートルほどの赤い円が描かれている。


「ここに車で連れていかれたんだ」

「これ以上は絞り込めないのか……」


 かなり広い範囲だ。夏目は嘆息し、碧海と久瀬を順に見つめる。


「これ以上は無理だ。カメラがない。車の特徴は教えるから、現地で調べて欲しい。……脳筋と赤点に言うことじゃないけど。頼れるのはきみらしかいない。私は、動くことに関してはからっきしだから」


 夜の狩人としてのフクロウではなく、知恵の象徴としてのフクロウらしい。

 脳筋と赤点、もとい久瀬と碧海はそろってうなずいた。


「やってやろう!」

「頼んだよ」


 夏目は遠慮がちに拳を作った。ぱあっと顔を輝かせた久瀬が、勢いよく拳を突き合わせる。ごつっと鈍い音がした。その勢いで椅子ごと少し後退した夏目は、気恥ずかしそうに目を逸らした。


「早く行ってこい」

「おう!」

「けど、その前に……」


 見かけ倒しコンビだけでは、少々心もとない。


「用心棒を呼ぼう」

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