第23話 「騒々しい夜は明ける」
朝、登校した碧海たち生徒を待ち受けていたのは、重苦しい顔をした教師陣だった。教室に行く前に体育館へ誘導され、学年ごとクラスごとに座らせられたのである。
事情を知る碧海たちは黙って寒さに身を縮こまらせていたが、何も知らない生徒たちは思い思いに憶測を披露しあっていた。
「碧海くん」
「あ、夏目……おはよう」
隣に座った夏目に声をかけられ、碧海は顔を上げた。制服の上に暖かそうなコートを着ていて、シルエットがどことなく球体っぽい。
「ちゃんと抜け出せたか」
マフラーの隙間からくぐもった声で問われる。碧海は慌てて左右を見回し、唇に人差し指を当てた。
「ちょっと、黙れよ! そんなんじゃないったら」
「ああ、そう。……食堂に行くって言うなら、食堂から戻ってくるところだった私とは正面から鉢合わせるはずだ。なのに、私が見たのは碧海くんの背中。外に出られるような恰好をしていたし、てっきり抜け出すつもりなのかと思ったんだけど」
「むう……」
さすがに鋭い。もう誤魔化せそうにないと悟り、碧海はため息をついた。
「そこまで分かってて、あんな演技をしたのか」
「迷子になった子供みたいに、きょろきょろして震えていたから。からかっただけ」
「からかわないでほしかったよ」
危うく心が折れるところだった。
碧海が唇を尖らせると、ずっと正面を見つめていた夏目がちらりと一瞥を投げかけた。
「抜け出した訳は秘密か?」
「……いいかい」
同じく目を合わせず、碧海は正面のステージをぼんやり眺めたまま言った。
「僕は昨日寮を抜け出したりしていないし、したがって夏目と出くわしたりもしていない。部屋でいい子に寝ていました。……分かるだろ?」
「分からないって言ったらどうするんだ」
「僕が困る」
「あっそう。じゃあ、分かっておく」
夏目は興味なさげに鼻を鳴らした。
「意外と不良っぽいことするんだな」
「事実無根だよ」
さも当然といった口調で否定すると、夏目はときおり見せるいたずらっぽい笑みをのぞかせた。
「何かあったら言え。機械いじりとか得意だから」
「機械いじり? パソコンとか?」
「全般」
得意げに鼻を鳴らした夏目に、碧海は目をしばたかせた。
「あ、そらちゃん、おはよ」
「おはよう」
夏目は別の女子との会話に移り、これで密談はお開きとなった。
特に誰かと話す気にもなれなかった碧海は、目立ちにくい肌色の絆創膏が張られた首筋を撫でながら、何を見るでもなくステージの上にある校章を眺めた。
――『杜葉生連続殺人』か。
昨夜はすぐに寝たが、起きてから登校するまでの間に、軽く捜査資料を流し読みしておいた。速読というほどではないが、読むスピードにはそこそこ自信がある。
とはいえ、警察の専門用語が随所にちりばめられた紙束から、いま碧海が必要としている情報を抜き出すのには苦労した。
捜査資料は大きく三つに分けられる。
一つが、渡辺万太が殺された事件について。二つ目が、昨日の午前三時から七時の間に行われたという殺人事件について。最後が、二つの事件にかかわる大量の写真である。
渡辺万太の殺人事件については、おおかた加藤が話していた通りだった。
二時半ごろ、飛騨の代わりに警備をしていたという
直接的な死因は後頭部を強打したためだというが、そのあと校舎裏の崖下に突き落とされたために遺体の損傷が激しく、身元の照会に時間がかかったということだ。
つまり、犯人は渡辺万太を殴った後、崖下に突き落とし、さらに何らかの理由で死体を校舎の地下階に運び込んだということになる。
警察の検証により、突き落とした現場、つまり最初に渡辺万太と犯人が乱闘したであろう現場は、校舎の崖側にある三階の教室だと判明したが、人が入った形跡はなかったようだ。それどころか、鍵がかかっていたのだという。
珍しく地下階があるという杜葉高校校舎の構造を知っており、さらに乱闘したと推測される教室には鍵がかかっていたという観点から、警察は荒川を容疑者として考えていた。
しかし、渡辺万太の死体から荒川のDNAは検出されず、また荒川と渡辺万太との間につながりがさっぱり見えないことから、捜査は難航している。さらに、死亡推定時刻は午前〇時であり、もし荒川が犯人だとするなら、殺してから通報するまでのおよそ二時間半、彼は何をしていたのかという疑問も残る。
こちらの事件の解決はまだまだ時間がかかりそうだ。
――次は、第二の殺人だ。
第二の殺人、こちらの担当刑事は飯野と日向だ。事情聴取を受けたとおり、被害者の死亡推定時刻は午前三時から七時の四時間。渡辺万太のときと違って大きな時間差があるのは、寒さによって死体の死後硬直が早まり、正確な時刻を導き出すのに手間取っているからだという。書類には一時間後と書かれており、もう今ごろは正確な時刻が分かっているはずだ。
そして、被害者の名前。寮で暮らす一年生、
同じ寮生として時々顔を合わせることがある後輩で、支度をしながら碧海の独り言を聞いていた鎌田たち三人は驚きの声を上げた。
「柔道部の春生か? あいつが……」
鎌田などは、校舎の地下階にある道場をともに使う武道仲間として、言葉を交わすこともあったらしい。しばらくむっつりと黙り込み、無心で竹刀の手入れをしていた。
竹蔵春生が発見された場所は寮の一〇一号室前の廊下。朝起きて、竹蔵春生がいないことに気づき、何気なく廊下に出たルームメイトが第一発見者である。
碧海たちが事件について何も知らなかったのは、通報を受けた警察がサイレンを鳴らさずに駆け付け、一〇一号室の生徒に厳しいかん口令を敷いたからだった。
――特筆すべきは、その死因だ。
なんとこの竹蔵春生、頸動脈を掻っ切られて死んでいたのだという。傷口を写した写真を目を細めつつ見たところ、碧海の首についた傷と酷似していた。死体の身元の照会が容易だったのは、首以外に損傷がほとんどなかったためだ。
渡辺万太と竹蔵春生の殺害方法に大きな違いがあるという点では、警察側の見解も碧海の推論と一致している。
すなわち、犯人はそれぞれ別なのではないか、ということだ。
しかし、殺された二人の死体に一致している点が一つある。
どちらからも、第三者のDNAが一切検出されていないのだ。竹蔵春生に至っては、数時間前まで一緒にいたであろうルームメイトの痕跡すら、きれいさっぱり消されていたのだという。
殺害方法はまるで対極、一方で事後処理はどちらも完璧。
警察としても、犯人はそれぞれ別にいると断定するには至っておらず、内部で意見が分かれているようだ。
――これが、今のところ分かっている情報だ。
さらっと流し読みした程度だが、さすが捜査資料とあってまさに情報の宝庫だった。
思考の海から浮上した碧海は、こめかみを押さえていた手を下ろした。周囲が騒がしいおかげか、そこまで頭痛はしない。
碧海がテストで赤点ばかり取るのも、静寂の中ではシャーペンがピクリとも動かなくなるからだった。その理由は分かっている。分かっているが、改善のしようなどないのだ。
ほどなくして、ステージ脇に教頭が立ち、マイクを手に取った。
「皆さん、お待たせしました。おはようございます。まず、校長先生からお話があります」
挨拶もほどほどに、校長が登壇した。背が低くぽっちゃりとした体形で、生え際は後退しかけている。校長らしい威厳はまったく備えておらず、何事も教頭に指示されなければできないという木偶の坊ぶりだ。
校長は立派な造りの演説台に両手を置き、大きく息を吸い込んだ。
「先日、私たちにとって、非常に悲しいことが起こりました。普通科一年の渡辺万太くん、同じく普通科一年の竹蔵春生くんが、この世を去りました」
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