第22話 「独り言」

「痛ってえっ!?」


 三人に支えながら寮に戻ってきた碧海を待ち受けていたのは、三人分のげんこつだった。神楽などは幾分か控えめで、さらに殴った後は自分の手に息を吹きかけていたものの、渡利と鎌田はまるで容赦がない。たんこぶができている気がする。


「自分がこんな死にかけやなかったら、俺たちが半殺しにしたるとこやったで!」

「だ、だって、もうみんなに迷惑とかかけたくなくて……」


 もごもごとつぶやくと、三人は呆れたように視線を交わし、ため息をついた。


「お前に勝手に死なれる方が、よっぽど迷惑だよ」


 ももに肘をついた鎌田が言う。

 救急箱をしまいながら、神楽が後を引き継いだ。


「きみが殺されたら、僕らは仇討ちをしないわけにはいかなくなるんですよ。そんな面倒なことをさせないでください」

「仇討ちなんて、そんなことしなくていいよ」

「きみが何と言おうと、特にそこの二人が許さないでしょうから」


 そう言う神楽の目は、電気の光を受けて輝いている。明るい茶色の瞳に射抜かれ、碧海は無言で目を逸らした。


「渡利くんがきみの独り言を聞き取っていなかったら、本当に殺されていたんですよ」


 碧海の計画が露呈したのは、渡利の驚異的な聴覚に独り言を聞かれていたかららしい。無意識に出てしまう独り言を聞かれないようにするためにベランダに出たが、渡利の前では意味をなさなかったようだ。


「僕を尾けてたのか」

「ええ。ただ、三人で追うのはリスクがあったので、尾行そのものは渡利くんにお願いしました」

「ビルでたまに足音が聞こえたのは……」

「自分の足音の反響や、反響。俺は忍者みたいに忍び足で歩いとったんやぞ」


 あの静寂の中、果たして気配を察知されないなんてことができるのだろうか。しかし、渡利の犬のような動きを見ていると、それも可能なのではないかと思えてくる。


「で、追ってたんはええんやけど……」


 そこで渡利は、しゅんとうなだれた。


「碧海が突き落とされそうになっとるのを見て、助けよう思たんやけど、間に合うへんかった。ほんまにごめん」

「そんな、渡利が謝ることじゃないだろ!」

「ま、それもそやな」


 一瞬でもしゅんとしたのが嘘みたいだ。何事もなかったように話は続く。


「そんで、碧海が突き落とされたんを見て、すぐビルを出たんや。木にぶつかった音がしたさかい、もしかしたら生きとるかも思てな。そしたら、もうおらんかってん、びっくりしたで」

「僕を突き落としたやつが、死んだか確認しにくるかと思って。すぐに逃げたんだ」


 それからは碧海が見たとおりだ。渡利は即座に神楽へ電話、指示されたとおりに碧海を確保し、鎌田が待ち構えるイチョウ通りを疾走した。


「一つ想定外だったことがあるとすれば、碧海くんを襲ったあの人が姿を現したことですね」

「僕も驚いたよ」


 あのタイミングで現れたのは、本人が意図したことなのか、それとも偶然なのか。


 血まみれになって佇む襲撃者の姿が脳裏をよぎり、碧海は自分を掻き抱くように腕を組んだ。


「……本当に怖かったな」

「ありゃバケモノだよ」

「鎌田くんでもそう思いますか」

「当たり前だろ! 五人を相手に、躊躇いもなく皆殺しにしたんだぞ。しかも、二人は鉄砲を持ってたんだ。一丁ならどうにかできても、二丁もあったらどうにもできねえよ」


 でも、と鎌田は竹刀を握りしめた。


「あいつはやってのけた」

「……あの人の登場は想定外でした。本当は、鎌田くんに碧海くんを追っていた男たちを倒してもらう予定だったんですが、そうも言っていられなくなりまして。とにかく逃げることを優先した結果は、きみも見たとおりです」

「ペットボトル爆弾なんて、また物騒な……」


 ペットボトルに少量の水とドライアイスを入れるだけで作ることができる、非常に簡単な造りの爆弾である。材料が手に入りやすい割に威力が高く、中に釘を入れて爆発させるという悪質な犯罪も発生しているとか。


 神楽は詐欺師を彷彿とさせるような例の微笑みを浮かべると、事務椅子の上で体を揺らした。


「ペットボトルと水はもちろん、ドライアイスも簡単に手に入ったので」

「どこからだよ」

「食堂から拝借しました」


 神楽が黒い心の持ち主でなくてよかった。腹は黒いかもしれないが。


「さて、僕らの成り行きはお話ししました。次はきみの番ですよ、碧海くん。なんでこんな馬鹿で生産性がないアホみたいなことをしでかしたのか、一から教えてください」

「う……」


 なかなか手厳しい。

 碧海は包帯が巻かれた右肩をさすりながら言った。


「えっと、そもそも抜け出そうと思ったのが、伊達さんが部屋に来たときなんだ」

「なんや、ベランダでぶつぶつ言っとったときちゃうんか? あのおっさんが来たのって、昼くらいの話やろ」

「ベランダでは、いつどうやって抜け出そうとか、そういう細かいところを考えてたんだよ。初めて抜け出そうと考えたのは、伊達さんが来たときだ」

「なんでそのときに思ったんだよ?」


 ぼそぼそと防犯カメラの件について話すと、三人はそろって目を丸くした。


「あの時、そんなことを考えていたんですか……」

「赤点常連とは思えねえよなあ」

「何が赤点常連だ」


 中二の冬あたりまでは、碧海は赤点知らずだった。


「でも、抜け出した後どうすればいいか、それだけが思い浮かばなかった。そうしたら、伊達さんがあのビルの住所が書かれた紙を手渡してきたんだよ」

「あのおっさん巡査が?」

「うん。『困ってるんだろう?』って添え書き付きで。もちろん、罠かもしれないとは考えた。だけど、それにしては回りくどいし、もし僕がその紙切れをみんなに見せたら? だから罠ではないと思って、あのビルに行ったんだ」

「でも、結果罠だったんだろ? 襲われたんだからさ」

「いや、どうもそう単純な話じゃないらしい」


 男は、伊達の名前を知っている様子ではあったが、碧海が知り合いであることにはひどく驚いていた。


 神楽が椅子を軋ませて身を乗り出した。


「ということはですよ、伊達さんはれっきとした味方ということになります」

「そうは言うけどなあ。あのおっさん、みんな面白半分でやっとるんとちゃう? どっちの味方しようとか、正義だとか悪だとか、そんなんお構いなしに、自分がおもろい思う方に手え貸しとるんやろ」


 不思議と説得力のある意見だ。もともとは殺人鬼側に加担していたが、実際に碧海に会ってみて、こちらに手を貸す方が面白くなりそうだと思い、鞍替えした。

 素面なのに酔っぱらっているような、いい年をした大人なのに子供っぽいような、そんな伊達の締まりのない表情が浮かぶ。


「まあ、その、そういうわけで、ちょっと寮を抜け出したっていうか……」


 成り行きを話し終え、碧海は目を伏せた。


「そんなに俺らが頼りなかったかよ?」

「そんなことない! そんなことないよ……」


 頼りになりすぎた。

 だから、どこまでも頼ってしまいそうだった。


 会話の片手間に竹刀の手入れをしていた鎌田は、竹刀を脇に置いて舌を鳴らした。


「なに馬鹿なことを。お前に気を遣われるほど、俺はガキじゃねえんだよ」

「俺もやでえ」

「この中じゃ、きみが一番子供ですよ」

「なんで……」


 三人の自信に満ちた言葉を聞き、碧海の中で何かがあふれ出した。形容しがたい感情が、疲労と痛みを上回る。


「なんでそう、赤の他人に命を懸けられるんだよ!」


 三人がそろって驚き顔をする。碧海が怒鳴ることなどめったにない。鎌田と渡利は好きなお笑い芸人をめぐってたまに喧嘩するが。


「そら、友達助けるのに理由も何もあらへん」

「これに尽きますよねえ」


 その渡利があっけらかんと言い、神楽が緩く賛同する。

 鎌田が鼻を鳴らして笑った。


「月並みな台詞だが、そういうことだよ。確かにお前を助けてやる義理はねえが、お望みの通り見捨ててやる義理だってねえ。となりゃ、どっちを選ぶかって、もう決まってんだろうが。なあ、渡利?」

「せやせや、それが言いたかったんや! 分かっとんなあ」


 二人はけらけらと笑っている。半分くらい深夜テンションが混ざっていそうだ。

 碧海はすっかり肩透かしを食らった気分になって、唯一平静を保っている神楽を見やった。


「竜さん……」

「鎌田くんがなんやかんや言ってくれましたが、つまるところ渡利くんの言葉そのままです。……命は金じゃ買えないってよく言いますよね。ならなにでなら買えるかのといえば、それは同じ命ですよ」


 神楽は肩をすくめた。


「きみの命を救うには、僕らの命を懸けるしかなかった。それだけです」


 さも当然のように放たれたその言葉。碧海は冷水を浴びせられたような気分になった。


——命は命でしか買えない……。


 碧海の命をあの世から買い戻すために、神楽たちは自分の命を懸けたのだ。


「ああ、くそ……」


 碧海はつぶやき、目元に手を当てた。


「やっぱり、お前らの方が馬鹿だ」

「おや、言ってくれますね」


 この三人のことを、碧海は見誤っていた。

 いつも他人事のように物事を見ている神楽も、自由気ままに生きているように見える渡利も、剣道以外には興味がなさそうな鎌田も、碧海の救出に文字通り命懸けで挑んでくれた。


「本当に……ごめん」


 そう言って、頭を下げる。

 鎌田が肩をすくめた。


「もう気にしちゃいねえよ。さあ、もう寝ようぜ。明日は普通に学校なんだからさ」


 時刻は午前二時前。碧海は軽く仮眠をとってから寮を出たが、いつ碧海が動くか分からなかった三人は一睡もしていないのだという。


 いそいそと寝る準備をし始めた三人を眺めながら、碧海は右肩をさすった。

 今の碧海の状態は、まさに満身創痍。明日学校に行くため、少しでも体力を回復しなければならない。


 窓の外、暗闇に沈む銀世界ではなお、雪が降り続けている。

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