第20話 「陽気な男の意地」

 両肩に雪を乗せた渡利は、そう言ってへらりと笑った。


「だ、誰だてめえ! そこをどけろ! ぶっ殺してやるぞ!」


 突然の渡利の登場に目を白黒させていた男たちが、渡利を指さして怒鳴り散らす。


「うひゃ……」


 渡利は立ち上がった。が、数秒前とは打って変わって腰が引けてしまっている。足も震えていて、表情はこわばっていた。


「お、俺、こないに多いって聞いてへんかったんやけど」

「ええ……」


 呆れる碧海をよそに、男たちは渡利が及び腰だとみるや、一転して笑い声をあげた。


「何だこいつ、正義のヒーロー気取っといて、本当はただのビビりじゃねーか!」

「よっしゃ、そこのでかぶつと一緒にぶっ殺してやる」

「聞いてへんて! 碧海、助けてや!」

「僕が助けて欲しいんだけど!」


 口論している間にも、男たちはじりじりと近づいてくる。


「ケンカしろよ、前みたいに!」

「ありゃ俺の黒歴史や! 掘り返さんといて!」


 いつでも陽気なこの男だが、過去にたった一度、流血沙汰の大ゲンカをしたことがある。相手は三年生の先輩二人。もともと渡利はこの二人をひどく毛嫌いしていた。

 あの日、渡利は二人がタバコを吸っているところに偶然出くわし、そこから口論に発展したのだという。どちらが最初に手を出したのかは、あまりのケンカの激しさから当人たちもよく覚えていないらしい。


 それはともかく、血を流して争っているところに碧海、鎌田、神楽の三人が通りかかり、取り返しがつかなくなる前に終わらせることができた。本来なら停学処分ものだが、相手二人にも一応メンツがあるのか、神楽の説得もあってこの件は門外不出とすることになった。

 ところが、事件が起こってから数か月後、二人は突如として退学になった。理由は未成年喫煙と飲酒。

 神楽が一人笑みを浮かべていたような気がするが、きっと気のせいだろう。


「俺、タバコ嫌いなんや」

「ああ、鼻いいしね。でも、あの人たちだってタバコ吸ってるぞ」

「タバコの臭いもするけど、なんやもっと嫌な感じがするさかい、手え出しとうない!」


 嫌な感じがするのは当然だろう。相手は間違いなくやくざ者だ。

 そんなヤクザたちとの距離が数メートルまで縮まったところで、一人が勝ち誇ったように言った。


「お前ら二人とも、ぶち殺してやる。覚悟しろや!」


 碧海は思わず動きを止め、渡利を見上げた。

 本物の関西人を前にして、エセ関西弁を使うのはご法度である。たとえ、その関西人の方がよっぽどエセっぽいとしても。


 渡利は不敵な笑みを浮かべ、男たちの前に立ちはだかった。


「まだまだやなあ。ええか、関西弁ってのはこう使うんや」


 息を吸い、男たちを睨み据える。


「ええ加減にせえよ、おんどれ。震えとるだけ思うとったらあかんで。こっちにも限度っちゅうもんがあるんや」


 戦闘モードに入ったときの鎌田とはまた違う、言葉による圧が男たちを圧倒する。


 渡利は顔を上げ、天に向かって吼えた。


「いっぺん死んでみんと分からんか? いてもうたるぞ、こらあっ!」


 余韻を自分で味わうように黙ってから、またにかりと快活に笑う。


「ってな。どや?」


 男たちは数秒ほど無言でいた。


 たかが数秒、されど数秒。


 渡利は素早く後退し、思いっきり地面を蹴り上げた。水分の少ない粉雪が霧のように舞い、男たちを襲う。


「うわっ!」

「ほな、逃げるでえ!」


 混乱に乗じて、渡利が碧海の腕を掴んで立ち上がらせた。


「に、逃げるって、どこに?」

「んなもん知らん! 俺は竜さんに言われて来ただけやさかい、なんも知らんのや!」

「竜さんに?」


 いったいどこで気付かれたのだろうか。バレるとしたら飛騨に届け出を出しに行ったときだが、他三人には気付かれないよう慎重を期したはずだ。


「せや。とりま助けてこい言うてな。まさか四人相手とは思わんかったで!」


 さすがに碧海を肩に担ぎながら走るのは辛いのか、渡利はため息をつくように言葉を発してから、黙々と足を回転させた。

 碧海は決して足が遅い方ではないが、陸上部に所属する渡利が異常に速いこと、そして碧海自身が怪我を押している身であることも相まって、間もなくして息が切れてしまった。


「ど、どこまで……」

「知らん言うとるやろがい! ただ走るんや!」


 渡利もかなりきつくなってきたらしい。らしくもなく吐き捨てると、碧海を半ば背負うようにしてイチョウ通りを疾走した。碧海の重みでやや前傾姿勢で走るその姿は、さながら犯人を追う警察犬である。実際のところ、追う側ではなく追われる側なのだが。


「止まれ! 撃つぞ!」


 すぐ後ろから声が聞こえ、碧海はぎょっとして振り返った。もう残り数メートルのところまで迫っている。渡利が生んだリードはものの数十秒で詰められてしまったようだ。


「そりゃ警察の台詞やろ!」

「黙れ! 堪忍しろ!」

「お断り申し上げますー! 自分らが止まったらええんちゃいまっか?」


 関西弁を使う渡利が会話に混ざると、緊迫した状況でもコントのようなコミカルさが出てしまう。それが男たちを余計に苛立たせている。


「あまり怒らせない方が……」

「ええのええの、なんとなくやる気出るやろ?……碧海、竜さんに電話かけてや。もうあかん、どないしたらええんやって!」

「僕スマホない!」


 目出し帽の男にとられたままだ。


 渡利は目を皿のようにして碧海を見つめた。


「なんや、スマホも持たずに出てきたんか?」

「盗られたの、あいつらに!」

「ほなしゃあないかあ。俺の貸したる」


 碧海を担ぎ直しながら器用にスマホを引っ張り出し、背中に向かって放り投げる。

 碧海は慌ててキャッチし、手っ取り早くメッセージアプリから電話をかけた。すぐに神楽の声が聞こえてくる。


『もしもし、渡利くん? 無事に逃げられたんですか?』

「逃げられてません! どうしたらいいんだって渡利が!」

『碧海くん! きみって人は、本当に……! いや、小言は後にしましょう。今どこです?』

「イチョウ通りが終わりそう!」

『そのまままっすぐ! そこに――』


 渡利の体が大きく跳躍する。銃弾の餌食にならないよう、イチョウの露出した根っこを飛び越えたり、ジグザグに蛇行したりしながら走っているためだ。


「そこに、なんだって!?」


 通話は切れてしまっていた。体が跳ねた拍子に、終了ボタンを押してしまっていたらしい。碧海が舌打ちをしてもう一度かけ直そうとすると、そこに雪の塊が落ちてきた。


「ふぎゃっ!?」

「わ、雪や!」


 碧海は頭を抱え、渡利は嬉しそうに雪の塊を手に取った。大阪出身の渡利は、つい数年前まで積もるほどの大雪を見たことがなかったらしく、少し積もるだけで大興奮する。

 かくいう碧海は渡利以上に雪を見たことがないが、東北地方の雪にはうんざりさせられることの方が多い。


「興奮してる場合か?」

「雪に力をもろてるんや」

「嘘つけ!」

「そう怒んなって。見てみ?」


 ついに渡利は足を止めてしまった。

 碧海はずるずると渡利の背からずり落ち、その場に尻もちをつく。


「何やって……」

「われらが最強の侍の登場や」


 渡利が誇らしげに笑う。その視線の先にあるのはイチョウの木。


 雪をかぶった枝がぶるりと揺れ、またしても雪の塊が落ちてきた。


「待たせやがって」


 イチョウの枝の中、特に目立つ大きな雪の塊から、不機嫌そうな声が聞こえてきた。


「俺だって寒さは感じるのに、まったく人使いが荒い……」


 雪の塊がボロボロと剥がれ落ちる。その真下で雪まみれになりながら、碧海は口を半開きにしてイチョウを見上げていた。


「アホ面さらしてんじゃねえぞ、この馬鹿碧海が」


 地を這うような低い声。雪にくぐもっていたそれが、少しずつ明瞭に轟いていく。


 雪の塊の中から姿を現したのは、神楽の羽織にすっぽり包まれている鎌田だった。


「鎌田っ!」

「碧海てめえ、お前のせいでこんな冷たい思いをしなきゃならなくなった俺の気持ち、分かるかあ?」


 木から飛び降り、碧海のすぐ目の前に片膝をつく。夜風に羽織の裾をたなびかせているその姿は、本物の武者のようだ。背中にはいつもの竹刀袋、さらに腰に木刀を凪いでいる。


「つ、冷たい思いをしたのは、竜さんのせいだろ」

「ほう、言うじゃねえか。あとでぶん殴ってやる」

「は!?」

「冗談だよ。……ぶん殴るだけじゃ済まさねえ」


 鎌田は歯を見せて笑うと、男たちを牽制している渡利の隣に並んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る