第13話 「武芸者の道」

 飯野は手帳をポケットにしまい、日向の方を向いた。


「それでは、浴場に寄りつつ次のところへ行きましょう。時間もない」

「了解です!」


 日向が元気よく返事をする。


 神楽は心臓が激しく脈打つ胸を押さえてから、渡利にささやきかけた。


「注意を逸らしてください」

「しゃ、しゃあないな」


 渡利は何も訊き返さずにうなずいた。普段は子供のように好奇心丸出しだが、いざという時は即座に指示に従ってくれる。

 いつだったか鎌田が、渡利をしつけ途中の子犬だと評したことがあった。


 渡利は部屋を見回したあと、大げさに声を上げた。


「あっ!」


 出て行きかけていた三人が振り返る。

 それと同時に、神楽は袖に入れてあったボールペンの芯を出し、扉の蝶番に勢いよく突き刺した。蝶番のピンが抜け、がこっと鈍い音がして扉が外れる。

 三人は渡利の方を向いていて気付いていない。


「…………」


 耳がいい渡利は、金属のピンが抜ける音に一瞬顔をしかめたが、賢明にも神楽の方を見ることはしなかった。

 その一方で神楽は、必要最小限の動きでピンを拾い上げ、袖に忍ばせた。


「どうしたの?」

「い、いや、今日、友達と遊ぶ約束をしとったのを忘れとった!」

「あらら。早く連絡してあげないと」

「はあ、不審者っちゅうのもええ迷惑や」

「本当にね」


 日向はにこりと笑った。それでは、と迷惑そうに言った飯野が回れ右をし、扉に手をかける。だが、枠から外れた扉は動かない。


「な、なんだ? 鍵をかけたのか?」

「ああ、その扉、結構な頻度で外れるんです。蝶番の機嫌が悪いみたいで」


 神楽は気まずそうな口調で言い、扉のそばに膝をついてピンを探すふりをした。日向も参戦し、いやいやながら飯野と飛騨も腰をかがめて探し始めた。


「渡利くん、返信は」


 探すふりをして渡利のそばににじり寄った神楽は、またしても口を動かさずに問いかけた。普通の人ならどこから声が聞こえたのだろうと見渡してしまうだろうが、渡利ほどの耳の良さがあれば話は別である。

 渡利は少しだけ首を傾げた後、やはり小声で返事した。


「ない」

「困りましたね」

「あいつ……帰ってきたら、どつき回したる」


 渡利は憤然としてうなり、再びピンを探す作業に戻った。そこに、苛立ちをあらわにした飯野の声が飛ぶ。


「そっちにはありましたか?」

「ええ加減にした方がよさそうや」

「ですね」


 インテリに見えて、意外と短気らしい。

 神楽はちらりと壁掛け時計を見上げた。


 腕を下ろし、袖から飛び出したピンを手の中に受け止める。探すふりをして飯野に近づくと、その進行方向にピンをそっと落とした。そして素知らぬ顔をして体の向きを変える。

 すぐに飯野のほっとしたような声が聞こえた。


「もしかしてこれですか」

「あ、それです!」

「やるなあ、刑事さん! こんなちっちゃいピンを見つけるなんて。俺たちなんか、前は小一時間探したんやで」


 渡利が心底驚いたような声で言う。大根役者もいいところだったが、もともと嘘くさい関西弁を話す渡利のことだ。怪しまれはしないだろう。


 飯野はというと、褒められて悪い気はしないのか、先ほどよりかは軟化した態度でピンを神楽に差しだした。


「それで、これをどうすれば?」

「蝶番に差すだけです。誰か、支えててもらえますか?」

「あ、俺がやるよ」


 気前よく名乗り出た日向に支えてもらっている間に、蝶番の下の部分にピンを当てる。なかなか入らなかったため、仕方なくボールペンの芯で杭のごとく打ち込んだ。


「これで大丈夫……」


 神楽がドアノブを押し下げようとしたとき、それより先に扉が開いた。

 そこには待ちわびた二人が立っている。


「お、お待たせ」


 鎌田は涼しい顔をしているが、碧海は息も絶え絶えと言った様子だ。全力が走ってきたのだろう。両頬が真っ赤である。神楽が願った通り、途中でジャンパーや竹刀袋を隠し、髪は濡らすなど小細工をしてきてくれたようだ。


「あ、きみが鎌田くん!?」


 話だけで鎌田のファンになったらしい日向が、目を輝かせて碧海に迫る。

 碧海は目をしばたかせ、鎌田を指さした。


「鎌田はこっちですけど」

「あれ、そうなの?」


 普通に考えれば、背が高い碧海の方を鎌田だと思うだろう。だが、鎌田に普通は通用しない。


 なんとなく話の流れが分かったらしい鎌田は、いたずらを思いついた悪餓鬼のように笑い、いつも以上に低い声で言った。


「どうも」

「わ……きみが、剣道の?」

「まだまだ半端者ですが」

「すごく強いんだって?」

「人よりは遣える方だと思います」


 日向の熱量に押され気味な鎌田だが、褒められて嬉しそうだ。


「かっこいいなあ。俺なんか、ひょろひょろだからって習ってた空手を途中でやめちゃった」

「なんだ、もったいねえ。ひょろひょろだとか背が低いだとか、そういうのを乗り越えるために、武道を習うんすよ」


 とは言うものの、鎌田本人はそんな大層な理想は掲げていないだろう。鎌田が県道を続ける理由はただ一つ、強くなりたいからだ。


 日向は今にも手帳に書き留めかねない勢いでうなずくと、飯野に向かって敬礼した。


「飯野さん、次行きましょう! やる気が出てきました!」

「やる気が出る分には構いませんが、あまり無駄口をたたかないようにしてください」

「無駄じゃないですよ。私、感銘を受けました!」

「武芸者ならみんな通る道です」


 そう言って、鎌田は肩をすくめた。その仕草が余計刺さったようで、日向は飯野と飛騨の背を押して部屋を飛び出していった。


「ファン第一号じゃない?」


 碧海は不思議そうに日向が去っていった方向を見た。来たばかりの碧海たちからすれば、日向一行はまるで嵐のように感じるのだろう。


 鎌田は口を開けてけらけらと笑った。


「ファン第一号が刑事とはな!」

「今度の試合に呼んであげなよ」

「いや、アイドルのライブみたいになりそうだからやめておく」


 あの熱量では、うちわや鉢巻を自作して声援を送りかねない。


「俺についてどんな説明をしたら、あんなになるんだ?」

「あの話をしたんですよ。ほら、表彰式で喧嘩売ったやつ」

「ああ、あれ」


 表彰式で、『トロフィーなんかいらないから竹刀をくれ』と言い放ったのは本当のことである。たまたま虫の居所が悪かったところに大きなトロフィーを二つ持たされ、さらに不機嫌になったときの台詞だ。

 トロフィーを手渡したなにやら偉い人は絶句し、周囲の人々が全力でフォローする羽目になったのだという。


「だって、トロフィーなんかかさばるだけだし。それなら賞状の方がマシだ」

「よくやるよ」


 剣道の大会の中で行われたその出来事は瞬く間に広がり、それまでは『よく表彰されてる剣道部のやつ』程度だった鎌田の名が広く知れる一助となった。


「それじゃあ……」


 何かを言いかけた碧海は、そこで顔をしかめた。顔を背け、あいうえお、とつぶやく。


「まだ舌が変だ」


 改めて聞いてみると、どことなく呂律が怪しい。あまり舌が回っていないようだ。


「碧海くん、何があったんです?」


 様子がおかしい点は他にもある。碧海の頬から赤味が抜けないのだ。最初は全力疾走した結果、顔が上気したのかと思ったが、すっかり息が整った今でも頬が赤いままである。


 碧海は片手を上げて神楽の質問をとどめ、洗面所に向かった。うがいをする音に続いて、痛みをこらえるようなうめき声が聞こえてくる。


「あいつも少しは根性あるんだな」

「根性?」

「伏兵を撃退したのさ」


 訳が分からない。


 渡利と顔を見合わせていると、仏頂面の碧海が洗面所から出てきた。やはり頬が赤い。というか、腫れ始めている。


「僕が撃退したんじゃない。やられっぱなしだったよ。癪だけど。口の中切れたし。ホントに最悪。僕の方が背が高いのに」


 普段の穏やかな口調が鳴りを潜めるほどには手ひどくやられたらしい。両頬が晴れているのは、どうやら鎌田の言う伏兵とやらに殴られたためのようだ。


「で、何があったんや。教えてくれてもええやろ?」

「ああ、うん。ただ、ちょっと僕にも分からないことが多くて」


 碧海は困ったように首を傾げ、寮を出発してからのことを語った。

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