第4話 「野良犬は誰だ?」

 エントランスを抜けてまっすぐ歩くと、煌々と明かりに照らされる食堂が見えてきた。強い電気の光が目を刺し、一瞬目が眩む。


「俺らより早いやつもいるんだな」


 まばらに人が集まっている食堂を見渡し、鎌田が意外そうに言った。すでに二人組の男子寮生が三組ほど集まっている。三組とも一年生のようだ。一年生の部屋は一階と二階にあるから、早めに来られたのだろう。ちなみに、一年生は部屋数と人数の関係で二人一部屋である。


「よいしょ」


 碧海は手近な椅子に腰を下ろした。残る三人も座り、自然と二対二で向き合う形となった。


「これ、本当に訓練だと思うか?」


 腰を落ち着けた鎌田が問うと、碧海の正面に座る神楽が首を振った。


「そんなわけないと思いますよ」

「なんで言い切れるんや?」

「だってこれ、何の訓練なんですか」


 さらりとした様子で言われ、鎌田と渡利は呆けたように口を半開きにした。

 神楽は乱れた赤髪を控えめにかき上げ、碧海に視線を送る。


「地震なら地震のアナウンスが、火事なら火災報知器がそれぞれ鳴るはずです。訓練だとしてもね。でも、どちらも鳴っていません。そして不審者の侵入を想定した訓練なら、ほら、例の言葉が発せられるはずです」

「野良犬警報か」


 『野良犬警報』とは、敷地内に侵入した不審者を野良犬に見立てて警報を発するシステムだ。システムと言っても、何階のどこどこに野良犬が入り込みました、狂犬病に感染している恐れがあるのでその場から離れてください、と教師が放送するだけのものである。

 不審者と直に言わないことで生徒たちがパニックに陥るのを防ぎ、ついでに不審者の方が狂犬病にかかった野良犬という言葉に恐れてくれればめっけもんだ、というシンプルなものだ。


「地震、火事、不審者……このどれでもないなら、一体何の訓練なんでしょうね」

「そう言われてみりゃ、けったいな話やんな。何かから避難するんやったら、寮の外に出なあかんし」

「となると……」


 碧海は腕を組み、窓の方に視線をやった。


――何のために訓練を偽ってるんだ。


 あの襲撃と無関係ではないだろう。だが、どこにどう絡んでいるのかが分からない。


「厄介なことに巻き込まれたなあ、お前もよ」


 背もたれにもたれかかった鎌田がにやりと笑った。そこにあるのは、自分の実力に誰よりも信頼を置く強者の余裕だ。


「まったくだよ……僕がなにしたって言うんだ」

「まあしかし、お前に目を付けたが最後だ。何度襲ってこようが、この俺が返り討ちにしてやるよ」


 どんと胸をたたきながら、あながち冗談でもないことを鎌田が言う。


 ちょうどそのとき、食堂に二人の男が入ってきた。


「あ、管理人さんだ」


 碧海は二人の男を見やった。

 神楽が首をかしげる。


「管理人さんと……隣の方は誰です?」


 男子寮管理人の隣に、あまり見かけない警備服姿の男が立っている。


「うちの警備員だよ。確か夜間巡回をする人だから、あんまり僕らはなじみがないかも」


 碧海が通う杜葉もりは高等学校には三人の警備員がいる。そのうち二人は朝から夕方までを担当し、残る一人である飛騨ひだ正志まさしが夜間の警備を担当している。勤務時間の関係で、碧海たち生徒にはあまりなじみがない。顔を見せたのは入学式の時くらいだろう。


「よく覚えてたな」

「まあね」


 さらりと賛辞を受け流し、碧海は椅子の上で姿勢を正した。

 管理人こと加藤かとう要人かなめが咳払いをする。


「それでは点呼を行います。一年は飛騨さんに、二、三年は俺のところに、部屋の代表一名が来てください」


 静かだった食堂が途端に騒がしくなる。


「代表、誰にする?」

「行け、渡利!」

「俺はポケモンとちゃうぞ!」


 鎌田といつものように軽口をたたき合いながらも、最終的には渡利が行くことになったらしい。

 しぶしぶといった様子で立ち上がった渡利に、神楽がどこか上の空で言葉を発する。


「よろしくお願いします」


 渡利が駆け足で加藤のもとへ向かっている間、神楽はじっと加藤のことを見つめていた。


「どうしたんだ、竜さん」

「いえ……管理人さん、怯えているように見えません?」

「管理人が?」


 加藤はいかにも中年オヤジといった風貌をしている。隣に立つ筋骨隆々とした飛騨とはまるで対照的だ。ぎょろっとした目は手元の紙と目の前の生徒を交互に見比べている。


「二〇四号室です」

「二〇四? の誰だ」

竹内たけうちです」

「最初からそう言え」


 いつもと変わらずふてぶてしい態度だ。

 杜葉高校は運動部がそこそこ強い私立高校として有名だが、話によると加藤は高校に直接務めているわけではないらしい。そのせいなのかは知らないが、加藤は受付にいてもスマホをいじるなどの職務怠慢を繰り返している。


「言われてみりゃ……か?」


 鎌田は同じく加藤を見つめ、首をひねった。神楽の言うとおり、目を忙しなく動かす加藤は確かに怯えているようにも見える。ときおり窓の外に目をやっては、隣の飛騨に咳払いをお見舞いされていた。


「二〇二の渡利です」


 ようやく渡利の番になったようだ。渡利が元気よく名乗る。


「ああ」


 加藤は相変わらず不愛想にうなった。

 その態度が気に食わなかったのか、渡利の眉間にしわが寄る。


「なんや、聞こえとるんですか?」

「その口の利きようはなんだ」

「……あいつ、ケンカ売りやがった」


 鎌田は言わずもがなだが、渡利も意外と喧嘩っ早い。相手が気に入らなければなおのことだ。

 明るく陽気な性格をしているとはいえ、大阪の血は伊達ではないらしい。


「こっちの台詞や! 聞こえてるのか聞こえてへんのか、はっきりせん返事よこしよって! よう俺の言葉遣いを注意できたもんや」


 渡利が早口でまくし立てると、加藤は気圧されたように言葉を飲み込んだ。予想以上の語調の強さに怯んでしまったのだろう。それ以上に、渡利の主張が正論であると気づいたのかもしれないが。


「……もう行け。今のはなかったことにしてやる」


 それでも、素直に間違いを認めるのはプライドが許さないらしい。

 それが余計に渡利の神経を逆なでした。


「自分、いっつもスマホばっかり見て威張り散らしとるけど、いつ俺よりも偉なったんや?」

「お、いいこと言う」


 止めようと腰を浮かしかけていた鎌田だが、声を弾ませて座り直してしまった。


 碧海は神楽と視線を交わした。


「止める?」

「しかないでしょうね」

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