第5話 「いざこざ」
「しかないでしょうね」
碧海たちが立ち上がる間にも、渡利はさらにヒートアップしている。加藤も負けていられないと思ったか、口角泡を飛ばして怒鳴り返していた。
「黙れ! それ以上言うと学校に報告してやるぞ!」
「やってみいや! その代わり、自分のサボりをチクったるで! おかんに連絡して、スマホ没収してもらおか?」
二人とも煽るばかりでろくな議論になっていないが、こういう言い合いなら渡利の方が一枚上手だ。加藤の顔がみるみる赤く染まっていく。
碧海は強引に二人の間に割って入った。
「渡利、その辺にしとけ。管理人さん、すみません」
「うちの者が失礼しました。今日はここらで」
碧海と神楽がそろって低姿勢なことに驚いたのか、身構えていた加藤が目をしばたかせる。てっきり増援に来たと思ったのだろう。
碧海たちが自分の味方だと見るや否や、加藤は一転してにんまりと笑った。
「今すぐ謝れば許してやらないこともないぞ。学校に報告されたくはないだろ? 怖ーい先生に指導されちまうからな」
「ああ!? 誰が自分なんかに……」
「ちょっとちょっと、暴力はだめ」
拳を振り上げた渡利を羽交い絞めにし、ずるずると後ろに引きずっていく。殴り返そうとした加藤は、神楽が正面から体当たりするように受け止めていた。
「ここで待ってて」
「あのアホの味方するわけちゃうよな?」
「まさか。鎌田、渡利を頼んだ」
「おうよ」
にやにやと笑いながら高みの見物を決め込んでいる鎌田に渡利を預け、碧海は神楽の元に戻った。
「殴ろうとしたな!? 今すぐに土下座しろ!」
「まあそう言わずに」
神楽はいつも通りの柔和な笑みを浮かべている。
細められた目の隙間からのぞくのは、底光りする茶色の瞳。それがさっと横に動き、碧海の顔を捉えた。
「時間を」
「分かった」
神楽が一歩後ずさる。
――時間稼ぎか。
一体何を企んでいるのだろうか。
碧海はさりげなく加藤の前に移動した。
「お前、なにか言いたいことでもあるのか?」
背の高い碧海に気圧されたか、加藤の声が少し震えている。威圧しているつもりはないのだが、これはこれで好都合だ。
碧海は気持ち身を乗り出した。
「いや、僕はありません。思うところがあったとはいえ、先に声を荒げたのは渡利の方ですから」
「わ、分かってるなら……その渡利を連れてこい! 殴ろうとするなんて言語道断だぞ」
「もちろんそれは分かってますけど、ほかの生徒がいる前では……ね?」
碧海は食堂をぐるりと見まわした。面倒事にはかかわりたくないと感じているのか、飛騨だけは知らぬふりで手元の紙を読み込んでいるが、その場にいる生徒全員が遠巻きにこちらを見ている。
加藤は苦虫を噛み潰したような顔をし、生徒に向けて大声を張り上げた。
「訓練はこれで終了だ! 部屋に戻りなさい。無駄な私語は慎むこと。ほら、早く行け!」
下手にこの場にいると飛び火しかねないと思ったか、寮生たちはそそくさと食堂を出て行った。
残ったのは、二〇二号室のメンバーと加藤、飛騨だけ。
「よし、これで……」
「誰もいなくなったので、遠慮なく言わせてもらいますよ」
碧海と加藤に背を向けていた神楽が、いつものように淡々と言った。踵を軸にくるりと振り返り、一台のスマホを持ち上げる。神楽のものではない。
「そ、それは、俺の!」
「少し拝借しました」
「何を……返せ!」
神楽が手にしているのは加藤のスマホらしい。加藤が目を白黒させ、取り返そうと神楽に飛びかかる。
「わっ!」
いきなり飛びかかられるとは思ってもみなかったのか、とっさに避けようとした神楽の体勢が崩れた。
そこに加藤が迫る。
「よし……え?」
脂汗をにじませながらもにやりと笑った加藤は、いきなり動きを止めた。
「それ、何が入ってんだ、竜さん?」
加藤の眼前に突き出された白い剣先。
のんびりとした声で尋ねたのは、短い竹刀を手にする鎌田だった。
「か、鎌田くん。助かりました」
「いいってことよ。それより、ちょっと貸してくれよ」
「どうぞどうぞ」
鎌田は神楽からスマホを受け取ると、次々と画面をスクロールしていった。
「こいつは……女子の写真じゃねえか!?」
「えっ!?」
碧海は横から画面をのぞき込み、はっと息をのんだ。
女子が暮らす西館で撮ったと思われる、やや不鮮明な画像がずらりと並んでいたのだ。
たいていが女子の全身を映したものだが、中には下半身や胸にズームしているものもある。画像の角度や手ブレからして、盗撮してることは明白だ。
「この変態野郎め」
鎌田は笑みを消し、舌打ちをしながらスマホを放った。五十センチほどの竹刀を引っ込め、触れさせるのも汚らわしいといった様子で剣先を撫でている。
――盗撮してたなんて……。
碧海は床に落ちたスマホをもう一度見た。何人か知り合いが映っている。
ふつふつと怒りがこみあげてきて、碧海はスマホを思いっきり踏みつけた。パリ、と何かが割れる音がする。見てみると、スマホの液晶に細長い傷が走っていた。
その様子を無言で眺めた神楽が、にっこり微笑んで碧海の隣に並んだ。
「これでもまだ、渡利に土下座を要求しますか? もちろん、土下座をさせても構いませんよ。ただしその場合、あなたの方が土下座するだけでは済まないでしょうね」
「ほー!」
ここぞとばかりの決め台詞を吐いた神楽の後ろから、いきなり渡利が顔をのぞかせた。
「ろくに返事をせえへんうえに、女子の盗撮に手え出しとったとはな! ほな、俺は土下座でもしようかな?」
おちゃらけたように身振り手振りをつけつつ、渡利は片膝をついて土下座をしようとする。ただ目をぎょろぎょろさせるだけだった加藤もこれはまずいと思ったか、もろ手を突き出して制止した。
「や、やめろ! 土下座なんてしなくていい!」
「あらら、そらおおきにー」
「ど、どうか、その写真のことは内緒に……」
一転して低姿勢になった加藤が懇願してくる。
碧海はちらりと加藤の隣を見た。
「僕は構いませんが、飛騨さんはどう思うかは知りませんよ」
碧海に言われて、ようやく飛騨の存在を思い出したらしい。加藤ははっと目を見開くと、飛騨の方を向いて土下座した。
「どうか黙っててください! 馘になっちまう!」
「私に言われましても。いち警備員として、生徒の身の安全を守ることが私の仕事ですから」
飛騨は面倒くさそうに言う。顔から感情は読み取れないが、加藤を見下ろす視線に軽蔑が入り混じっているように見えるのは気のせいではないだろう。
「俺らは黙っててやるよ。俺らは、な」
意地の悪い笑みを浮かべた鎌田の言わんとしていることが分かったか、飛騨はむすっと渋面を作った。
「加藤さん、そういうことだ。今日は帰宅願いたい。明日、理事長から連絡がいくだろう。被害に遭った生徒への対応、そもそも警察に通報するか否か、それは理事長と被害に遭った人たちが決める」
加藤は膝をついたまま自失呆然としていたが、飛騨に促されてよろよろ立ち上がった。魂が抜けてしまった抜け殻のようだ。
「あ、これ」
碧海はスマホを拾って飛騨に手渡した。
飛騨はそっけなくうなずいてスマホを受け取った。その視線がふと神楽の方を向く。
「どうやってこのスマホを手に入れた?」
「廊下に落ちていたんですよ。たまたまです」
「パスワードでロックされていただろう」
「たぶん、電源を落とさないままポケットに入れたんだと思います。僕が見たとき、画面はついたままでした」
神楽はいつもの冷静さを見せながら言い、飛騨の方もその言葉を信じたようだ。飛騨はひとつうなずいて出入り口の方に歩いて行った。
「嘘つき」
碧海がぼそりとつぶやくと、神楽はとぼけ顔で振り返った。
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