異世界領都誕生編 第22話 幕間 とある悪役令嬢の追憶(西園寺目線)


 わたしは……私はいったい何のために生まれてきたんだろう。

 雨の中を歩いている私は、ふと考えた。


 私は、とある名家の令嬢として生を受けた。

 まだ幼い頃から、ありとあらゆるものを学ばされて育った。

 物心ついた時から休みなんてなかった。全てが勉強の時間。

 青春なんて無かった。楽しみなんて無かった。

 全てが父親の跡を継ぐために時間を費やした。


 高校生になる頃には政済界のパーティーにも参加した。

 擦り寄って来る人が怖かった。人をビジネスの道具としか見ていなかった。

 それでも見聞を広めたり、顔を売ったりもした。


 大学に行っても、それは変わらず続いた。

 政財界の御曹司たちが通う大学。金とコネで生きる世界。

 少しの悪事を働いたところで、もみ消されるだけの環境。


 企業同士で派閥があったり、情報を売って荒稼ぎをしたり。

 蹴落とす為には手段を選ばない。

 そういう世界に、私は放り込まれた。

 ここから先は勉強の世界では無かった。社交の世界だった。


 私は他人を真似た。取り巻きも作った。派閥も作ってみせた。

 危ない誘いもあったけど正義を貫いた。

 誘った人間をマスコミや報道機関にリークをして、蹴落としたりもした。もちろん恨まれたりもした。

 そして、世渡り上手だけが生き残る世界で……私は負けた。


 今思えば同業他社からの指示だったんだろう。信じていた取り巻きに·····階段から突き落とされた。

 押された瞬間の相手の表情。その後の用意周到の数々。

 そこでようやく私も、裏切られたんだと分かった。

 幸い命に別条は無かったけど……、その日から足が思うように動かない。


 無論、大学では何事も無かったかのように扱われた。むしろ自分から足を踏み外したことにまでされた。


 親にも見放された。大学も辞めさせられた。

 政財界で有名になりすぎて、嫁ぎ先も決まらないからと、私は愛知にある祖父の実家に預けられた。

 祖父も元々経営者だったが、父親に経営を譲ってからは関連会社の取締役を務めているのみ。私はそこで働くことになった。


 社員らの私を見る目が嫌だった。

 経営トップの令嬢が何故こんなところに。そう見られているような気がした。

 そんなの私だって分かってる。

 ――決まってたレールが、壊れたんだ。


 私は夢を見ていたことがある。

 上場企業の代表取締役になる夢を。

 いつしか父親の跡を継げるかもしれない。女性で上場企業のトップに立つことを夢見ていた。

 でももうそれは叶わない。階段を転げ落ちるように人生まで転げ落ちていった。


 このまま腫れ物扱いされて終わるんだろうな。

 そんな風に思っていた矢先に……、例のタクシー運転手さんに出会った。


 始めの数回はなんとも思わなかった。気遣ってくれているのは分かった。哀れんでいるようにも見えたが、そう思われるのはもう慣れきっていた。


 だけど、とある帰りに乗車した時には、その運転手さんはもう私を見ていなかった。

 正確には客として見てるんだけど、どちらかというと他のことを考えているような気がした。

 私には分かる。嫌という程見てきたから。

 あれは……未来を見る目だった。何かを成し遂げようとする目、夢追い人の目だった。


 私には残酷な目だったから、つい嫌味を言ってしまった。

 それでも運転手さんは、ちゃんと返事をしてくれた。いつしかその乗車中だけは、嫌なことを忘れられるような気がした。


 次の日もその運転手さんを指名してみた。流石に鬱陶しそうな顔をされたけど、その目はやはり夢を追う人の目だった。

 この運転手さんにはどんな夢があるのかを聞きたかった。


 でも私には、その資格が無い。そう思って聞けないでいた。

 だって私の夢は、もう叶わないから。

 下手に聞いて同情されるのも嫌だったから、余計に文句を言ってしまった。それでも運転手さんは邪険にせず、ちゃんと相槌を打ってくれた。久しぶりに人として扱ってくれているような気がした。


 私は来る日も来る日も、その運転手さんが出勤する時には、指名でタクシーを乗るようになった。私が会社に行く時には、常にその運転手さんに駅まで送ってもらうようになった。


 そうしてある日、もう会社には私の居場所が無いことを知った。自分がやってきた仕事を、他の社員に回されたのだ。

 原因は何なのか分からない。

 自分に責任が有るのかも分からない。

 何もすることが無く、時間だけが過ぎる日々。

 あれほど幼少期から休み無く過ごしてきたのに、

 ――今はただ虚しかった。



 その日の帰りは雨が降っていた。

 梅雨に差し掛かった頃。

 天気予報は雨じゃ無かったのに、どうしてこうなるんだろう。

 家まで帰るのにタクシーを使おうとしたけど、待合所には行列が出来ていた。

 待っていても順番が来るのは当分先。それならといっそと思って歩いてみることにした。

 少し小降りになってきたから平気だろう。

 松葉杖を使っているので傘はさせない。

 それでも歩いてみたい気分だった。

 少し雨が強くなってきたけど、もうどうにでもなれと思った。


 そんな時に、例のタクシー運転手さんにまた出会った。

 いつもそう。私が本当に落ち込んでる時には、何故かこの人が目の前にいる。


 今日はタクシーでは無く普通の乗用車に乗っていた。

 どうやら乗せてくれるらしい。雨のせいで座席が汚れるはずなのに。

 連れ去られることも考えたけど、どうでもよかった。いっそのこと連れ去られて、もう全てを忘れたかった。


 気を使って運転手さんが話し掛けてくる。

 それはそうよね。ずぶ濡れなんだから。

 けれど、そんな目で私を見ないでほしかった。

 同情の目。哀れみの目。私の一番嫌いな目。

 私を対等に見てくれる人は、もうこれで居なくなったんだと実感した。


 そこでようやく、私も気づかされた。

 生まれた時から対等な目で見られた事なんて、一度も無かったんだ……。

 私はもう全てにおいて絶望してしまったんだろう。途中から運転手さんの声が聞こえなくなっていた。


 そんな私を見て、運転手さんが意を決したように見つめてこう言った。


「実は俺――魔法使いなんだよ」と。


 冗談だと思った。笑えない。だって当たり前でしょ。

 どうせ手品だし、有り得ないんだから。

 神様とか魔法なんてこの世に存在しないって、私が一番分かってるんだから。

 気を紛らわせるための、最低の言葉に近い。

 馬鹿にしてるんだと思った。


 でも運転手さんは実行した。指先から炎を出したり水球を出したりしてみたの。明らかに非現実的なことが、目の前で起きているんだって分かった。

 それでいて運転手さんは私に向かって、何度も強くこう言ったの。

 「諦めるな」ってね。


 私は運転手さんに依存してしまいそうになったわ。

 心が折れる寸前だったのが自分でも分かる。その場で泣き崩れてしまったの。運転手さんの車の中で。

 雨の音とハザードランプの音が交差する車内で、大泣きしてしまったわ。


 ひとしきり泣いた後で、運転手さんが私に帰るように促してきた。

 家の前に着いてるから、もう歩いて行ける距離。

 さっきの魔法のことを運転手さんに聞きたかったんだけど、また今度なと言われてはぐらかされてしまったわ。


 でも私には分かる。

 この人こそが私にとって『羅生門の蜘蛛の糸』だと。

 絶望の中に居る私に垂らされた、一本の細い糸。

 モノクロだった私の世界に、色がついたような気がしたの。

 もう絶対に離してやるもんかと心に誓ったわ。


 思えば今まで相談する相手なんていなかった。全て一人の世界だった。でも、この人だけが私の嫌味や愚痴を聞いてくれた。

 もしかして最初から、私はこの人に依存していたのかもしれないわね。

 やっと運命の人を見つけたんだと、心から実感したわ。

 

 おそらく、これが私にとって最大の試練。天が与えてくれた最後にして最高の機会のはず。だって有り得ないことが起きてしまったんだから。私はこの人のために生まれてきたんじゃないか。それくらいの錯覚に陥ってしまったわ。

 いや、実際そうなのかも?

 それは帰ってから考えるとしましょうか。


 もう私は、この運転手さんを絶対に手離さない。

 例え火の中、水の中。

 ――例え異世界に行ったとしても、絶対に手離してやるもんですかっ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る