異世界領都誕生編 第7話 タクシー運転手の一日


 次の日の朝。時刻はまだ六時だ。

 眠たい目をこすりながら洗面台で顔を洗う。


 昨日は日本に帰ってから絵カードを作るのに、だいぶ時間が掛かった。

 やる気があるせいか、少女たちも覚えるのが早い。分からない単語が出てくると次々にノートに書きこんで、俺が村まで来た時に聞いてくるのだ。

 イラスト付きの国語辞典を買ってやったりもしたが効果が無かった。そりゃ異世界だからな。おかげで連日連夜の絵カード作りで寝不足気味だ。これなら俺が異世界語を覚えた方が早かったかと悩む。


 それに最近は、写真では説明しにくい単語もちらほらと出てきたので困っている。

 アニメの影響もあるのだろう。猫とねずみの喧騒劇や、アンパンが一戦交える話とか。流石の俺でも抽象的過ぎて、上手く説明が出来なかった。

 うーん。まだフィクションは早すぎたか。童話以外のアニメなんて持ってくるんじゃなかったと後悔する。

 一度でも教えれば少女たちも伝達してくれるから、助かるんだが……まぁ文明の発達具合が違うので仕方ない。

 いずれ知育段階も終わりが来るし、今だけ辛いと思って頑張るしかない。


 とまぁ、ここまで順調に育児教育が進んでいるのは何よりだが、今日はとりあえず異世界のことは置いておく。


 それよりも今日は俺の本業。

 タクシー運転手としての任務をこなす時間だ。

 早朝からの出勤で眠たいが、異世界ばかりに構っては居られない。日銭を稼がないと、俺も暮らせないのだ。

 軽く朝食を済まし、気持ちを切り替えてから、自身が働くタクシー会社へと向かった。


 タクシーの勤務体系は二種類ある。規則正しい時間に出勤するタイプと、不規則な時間に出勤するタイプだ。

 正社員の場合は不規則な時間に出社する場合が多い。いわばローテーション型か。早番、遅番、夜勤と、毎日の出勤時間が違ったりする。

 俺の勤めている会社もその不規則型で、今日の出勤は朝八時からになっている。


 会社に着くとまずはアルコールが体内に残ってないかをチェックする。次にタクシーの点検作業となるのだが……今日の俺の担当車は、いつもとは違う車だった。

 セダン型の中型タクシー。

 リーマンショックやIT革命、バブルが弾けた時代を駆け抜けた、走行距離が数十万キロの車だ。昔はこの見た目こそが日本のタクシーの代表格だった。

 もうセダン型のタクシーは製造されていない。公道で見かける姿も年々減ってはいるが、それでも車両数からして、今でも一番見かけるタクシーだと言える。まぁ簡単に言えばクラ〇ンコンフォートだ。

 現存して走っているタクシーは、ほとんどが5人乗りだが、これはそれより前の6人乗り仕様。だいぶ古い。

 担当車が車検や法定点検の時に臨時用として残っているタクシーで、もちろんまだまだ現役。慣れないとシフトレバーの位置が違って、乗りにくかったりするので注意が必要だ。


 この車両に乗ると俺の場合、決まってトラブルに巻き込まれることが多い。二週間前に異世界へ迷い込んだ時もこの車だった。

 まぁそれもこれも、同僚が悪い。同僚が事故を起こしたせいで、営業出来るタクシが減って俺にまで皺寄せが来ているのだ。

 でもまぁ明日は我が身。いつ俺が事故を起こすかも分からない。他の同僚に迷惑かけるかもしれないし恨んでも仕方ない。今日は何事も無いようにと祈ろう。

 そうしてタクシーで車庫から離れて、公道を走る。

 大通りまで出て、さてこれからどこに行こうかと考えていると、カーナビからピピピと音が鳴った。

 画面には行先指示の文字。タクシーの無線仕事の表示だ。すぐに確認して案内を見る。


「ここから1キロ先の……、ああ、いつもの人か。こりゃ幸先悪いなー」


 カーナビの表示には、とある民家までの行き先が映っている。

 結構大きな屋敷で、何の仕事でこれだけの家を建てたのかは不明。同僚からはヤクザの住処だとか、政治家の隠れ家だとか色々噂になっている場所だ。すぐに目的地まで走行する。


 付近まで近づくとお客さんの姿が見える。松葉杖を持った女性だ。どうやら先に出て、玄関の前で待ってたらしい。ゆっくりと徐行しながら門前まで進み、停車してから後部ドアを開ける。

 程なくして、お客さんが松葉杖をポイっと投げて、席の隙間に引っ掛けた。そのまま流れるような動作でお客さんが座席に腰を下ろす。何度も乗っているからか手馴れた様子だ。乗車したことを確認してから俺はドアを閉めた。

 行先は何度も乗せたことがあるので知っている。今回もおそらく最寄りの駅だろう。一応聞いてみるかとお客さんの顔を視認する。


 年は二十歳くらいだろうか。

 眉目秀麗。整った鼻。座高から分かるくらいのスラリとした長身。今や見ることも少ない、黒髪ロングの女性だ。

 正直見てくれだけは良いんだよな。足も綺麗だし。

 ただ対照的に目つきが悪い。そりゃもう極悪で、まるでアニメに出てくる悪役令嬢かのように見える。眉根を寄せているし、今日も不機嫌そうだ。


 着物でも着れば日本人形を思わせるような黒い髪に目移りするが、生憎といつもスーツ姿しか見たことがない。上品そうなアクセサリーを付けているし、今日も完璧なファッションだ。

 ただ、足を怪我しているのか、いつも松葉杖を持って乗車する。

 毎回、保険会社の名前が書かれたタクシーチケットを渡してくるので、おそらく事故でケガを負ったのだろう。じゃないとタクシーで通勤してこないか。

 思わず目が合ったので、軽く会釈をする。


「西園寺様ですね。行き先はどちらまで?」


「決まってるでしょ。駅までよ。急いでくれない?」


 俺の問いかけに西園寺もウンザリした顔を見せるが、こればかりは仕方がない。勝手に進路を決めるわけにも行かないからな。

 西園寺の家から最寄り駅までは数分で着く。ルートも決まっているので楽な仕事なんだが、乗客が終始不機嫌だからか俺の気持ちも休まらない。それでも安全を心がけて走行する。


 特に会話を交わすこともなく駅まで着く。停車すると西園寺がタクシーチケットを手渡してきたので、頭を下げて応対した。


「御利用、ありがとうございました」


 いつでも降りられるようにと、俺は礼をしてから後部ドアを開けた。そのまま西園寺がドアから脚を出して降りようとするのを見ていると――突然、西園寺に睨まれた。

 松葉杖を担いだ西園寺が、俺を半眼で威嚇する。


「あまり脚を見ないでくれる? 同情されるのも嫌だし、あなたの目付きって何かいやらしいのよ!」


 言って西園寺が座席から立ち上がると、タクシーを降りて駅まで歩いていった。

 俺はドアを閉めて、忘れ物がないかを確認する。そうしてゆっくりとタクシーを発進させた。運転中は、あくまで冷静に。平常心を心がけって……出来るかっ!


「あの女め……俺に毎回、文句を言わないと気が済まないのか!」


 思わずハンドルをゴンと叩く。だから乗せるのが嫌だったんだ。あの客はいつも俺に対して文句を言ってくる。今日こそはと思ったら結局はこれだ。


 思えば最初に西園寺を乗せた時もそうだった。

 数ヶ月前に西園寺を乗せた時に、足が悪いのを見てドアサービスをしてやったのが始まりだ。

 荷物を持ってあげたり、雨に濡れるようだったら傘をさしたりと。その度に文句を言ってくるので途中からサービスをしないでやったら、今度はそれでも文句を言うようになった。

 他の乗務員からはクレームなんて一言も無いと聞くのに、なぜか俺には文句が出る。最近では車庫から出るタイミングからか、俺に配車が回ってくることも多い。正直勘弁してくれよと言いたい程だ。


 病気やケガをして、性格が変わってしまったお客さんは良く居たりする。その気持ちは分かる。分かるんだが、こっちに八つ当たりしてくんなと言いたい。

 目付きがいやらしいとか……、俺ってそんなにいやらしい目付きか? 人が気にしそう事を言いやがって。目つきが悪い悪役令嬢には言われたくないっての。

 とまぁ、こんな風に文句を言われるのは、タクシーでは日常茶飯事だ。気持ちも和らいできたし、気を取り直して次の仕事に移るとするか。


 朝は何かと忙しいが、昼になれば交通量も減って余裕も出る。

 そこで休憩をとる人もいれば、時間をずらして行動したりと、タクシー運転手のライフスタイルは様々だ。ある程度の自由が効く。それがタクシー稼業の良いところだ。

 タクシーは一日の拘束時間が長いので、大変な仕事と思われがちだ。確かに一日十五時間も働いたりするが……、実働時間は意外と少ない。

 乗車時間と清掃。あとは日報処理くらいか。実働時間はこのくらいしかない。もちろん走行時や待機中も仕事なんだが、一人の時間だからかそこまで気に病むことも無い。

 客を乗せていない間を空車中と言うが、その間は音楽やラジオ、小説なんかを聞いてもいい。オンライン小説なら一日一冊分くらいは余裕で聞けたりする。

 小説をこよなく愛する人にとっては、理想の仕事とも言えるかもしれない。


 そうして夜になって、駅のタクシープールで待機をしつつお客を待つ。

 あと数回お客を乗せたら帰ろうと思って前を向くと、松葉杖をついて歩いてくる人影が見えた。


 ……朝に乗せた西園寺か。歩くことに一生懸命でこちらに気づいてないようだ。

 参ったな。駅のタクシーは順番なので、西園寺から逃れることは出来ない。もし俺だと気づいたら断られるだろうか。

 朝に捨て台詞を言ったくらいだし、嫌われているに違いない。

 そう思っているうちに、西園寺がタクシーまで近づいてきたのでドアを開ける。同情するなと言われたからドアサービスはしない。

 西園寺が乗ったのを確認してから、ゆっくりとドアを閉めた。


「あー。行先は、どちらまで?」


 俺は少しぶっきらぼうな声で応じた。別に朝のことを根に持っている訳ではない。声で分からないようにと、目線を合わせずミラーだけで接客を試みるも……ばれた。

 西園寺もここまで歩いて疲れたような顔をしていたが、タクシーの運転手が俺だと分かると途端に顔が曇った。


「朝の人よね? 説明するのが省けるわ。家までお願いねストーカーさん」


「たまたまこっちに居たから待機しただけだ。別にお客さんを待ってもいませんよ」


 俺も憎まれ口くらいは商売上慣れている。こちとら酔っ払いも相手にしなきゃならないし、多少言葉が悪いのはお互い様だ。

 平然とした表情を保ちつつ、俺はタクシーを発進させた。

 軽く文句を言われるかと思っていたが、返事が無い。

 どうやら朝と様子が違うようだ。


「あなたは良いわよね。五体満足で。私は今日、もうこれ以上脚は治らないと言われたのに·····」


 陰鬱な雰囲気を漂わせて、西園寺が絡んでくる。

 いつもより遅い時間に帰るんだなと思っていたが、病院に行ってたのか。

 脚が治らないとか言われたところで、こっちは何も言えない。下手に言い返したところで、ロクなことにならないのは目に見えているので、黙っておくことにした。


「断裂で神経も麻痺してるし、あれだけ頑張ってきたのに全て水の泡よ。人から見られる目も変わったし·····ってちょっと聞いてるの!?」


「聞いてます。聞いてますって」


 俺はタクシー運転手であって、相談役ではないんだって。なにを言っても文句は言うくせに、どうすれば良いんだよ。

 誰かに話したい気持ちは分かるんだが、毎回俺に絡まないでくれと。はぁ……早く西園寺家に着かないかな。


 その後も散々愚痴を言われ続け、挙句の果てに泣き出す寸前のところで西園寺家まで到着した。いつもは文句を言われて終わりなのに、流石にこれだけ西園寺と話したのは初めてだ。よほど医者に言われた言葉が堪えたのだろう。

 西園寺がタクシーチケットを置いて、俺を睨んでくる。

 帰り際に文句でも言われるかと思ったが、何も言わずにそのまま玄関まで歩いていった。屋敷まで入るのを見送ってから、俺もこの場をあとにする。


 これだけ散々文句を言ってきたら、流石にもう西園寺も乗ってこないか。俺としても次に西園寺に会ったら、どういう態度で接すればいいのか分からない。

 帰りにタクシーの配車担当に事情を説明して、次から他の運転手に回してもらうようにしよう。

 少し俺も素っ気なさ過ぎたし、西園寺も俺とは当分会いたくないはずだ。乗客との相性もあるから、配車担当も分かってくれるだろう。


 それにしても今日は散々な一日だった。

 あと数回乗車したら業務を終えようと思っていたが、これでは気力が持たない。少し早いが、車内を清掃してから今日の業務を終えるとするか。

 どの仕事にも言えることだが、一人の客に振り回されて気持ちが落ち込むことなんて往々にある。往々にあるのだが……まさか最初から最後まで、文句を言われて業務を終えるとは思わなかった。

 今日もまた酒の量が増えるんだろうなと思いつつ、夜の公道を走っていった。

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