第5話 見える顔、見えない顔。

 鮮血のカマイタチの逮捕。そして脱獄。そして自殺という重大ニュースが流れる中、霜降探偵事務所に小さな客人が訪れた。

 ベレー帽に、シャツにネクタイ。サスペンダーが付いた半ズボンに、ブーツ。

 短い髪で、両手を腰に当てている。


「いらっしゃいませ、素敵なお坊っちゃま」


「ボーイッシュ!」


 響き渡る声には聞き覚えがあったが

 まさかそんなはずは、と戸惑いを隠せない。


「あら、美月みるなさん。今日のファッションすごく似合ってますよ。わたし好きです」


「ある綺麗なお兄さんの好みだって言って買って貰ったの。クラスでも評判いいのよ」


 皐月と美月みるなが笑いながら話しているのを、疎外感たっぷりに見ていた霜降は、女の子の変貌の凄さを感じていた。


「みるちゃーん!」


「あら、お友達ですか?」


「うん。たち今から遊びに行くの。じゃあまたね」


 少女を笑顔で見送った皐月は、依頼が無いからとチラシを配りに行った。重要事件を解決してもすぐ人気が出るわけではない。

 大探偵時代の依頼人争いは過酷だ。


 長い栗色の髪を風に揺らしながら、透明なドアの向こうに消えて行く。

 一人きりでコーヒーを飲みながらカマイタチの事件について考える。非常に自己中心的な犯人で、自殺をするタイプには見えなかった。

 被害者遺族は多い。恨みを持つ誰かに暗殺されたのかもしれない。


 ふと戸口に誰かが立っている事に気がついた。


「すみません。気がつかなくて。ご依頼ですか?」


 相手は答えない。

 フードを深く被り、耳あてをしている。

 首元にはスカーフがあり、肩パットの入った上着に、ロングブーツ。


 意図的に、判断材料を無くしている。

 それでいて顔にはサングラスなどの細工は何もしていない。


 霜降の事を知り尽くしていて、こんなイタズラをする相手は、一人しかいない。



「何してるの、皐月くん」



 後ろに回されたフードの中から、見慣れた栗色の髪が現れる。

 首を振る動きと連動して、風に流れる。


「もし分かってくれたなら、言おうと思っていた事があります」


「なに、かな?」


 霜降は浮かび上がる期待を、押さえつける。


「わたしと結婚してくれませんか?」


「待って。私たちまだ付き合ってもいないよね?」


 皐月は距離を詰め、霜降をきつく腕の中にしまい込む。

 呼吸が困難になる程に。



「わたしには、あなただけです」



 皐月はずっと自分の体が男であることに悩んでいた。可愛い服が着たいのに許されない現状は、死をも決意するほどだった。

 電車に飛び込もうとしたその時、手を掴んで止めてくれたのが霜降だった。


 ココアをおごってもらい、ベンチに並んで気持ちを話している内にボロボロ泣いてしまい、真剣に聞いてくれた霜降に好意を抱いた。


 先天性の障害で顔の見られない探偵──。


 可愛い服が似合うように整形しようが、元に戻そうが、老いて明らかな《オジサン》になろうが、この人には関係がない。

 ずっと自分の内面だけを見てくれる──。


 皐月にとって霜降は唯一無二の存在。


 獄中で、復讐者だけでなく霜降にまで殺意を向けていたカマイタチは、脱獄を成功させた直後に皐月の手により命を落とした。



「皐月くん、私にも君だけだ。結婚しよう」



 霜降は事件の真相を見ることが出来る。


 だが愛しい人に潜む闇までは至れなかった。

 どんな探偵をも欺く最大のトリックとは、愛と信頼なのかもしれない。


 二人は手を繋いで役場に向かって歩いていく。

 その顔は眩しく輝いていて、まるで梅雨明けの空のようだった。



 終わり。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

顔が見えない探偵は、真相を見つめる 秋雨千尋 @akisamechihiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ