五話
「うっ……!?」
長剣を袈裟懸けに振り下ろす際、赤みと凛々しさを帯びた端正な顔が少し歪んだ。
「はぁ、はぁ……」
そこはマグヌス村の少し外れにある、夕陽が射し込む小さな墓地の前、クレア=アデリヤードは時折痛む右肩を押さえつつ鍛錬に励んでいた。
(あの世へと旅立った村人たちの手前、これしきのことで弱音は吐けない。それに、この程度で鍛錬を怠るようでは、師であるシャドウ様の足元にも及ばない……)
クレアは数年前、優秀な回復術と剣の腕によってS級冒険者として名を馳せていたが、突如として行方をくらまし、この辺境へと赴いた。
それは一人の男との出会いが影響していた。
(シャドウ様……【英雄】の中でも飛び抜けているあのお方に一生敵わないのは重々承知している。それでも、せめて、剣の腕だけでもシャドウ様のようになりたい……。そのためにはなるべく厳しい環境で心身を鍛錬せねば。古傷が疼くくらいで弱音を吐いていては、到底追いつけぬのだ――)
「――おい、クレア、やっぱりここにいやがったか」
「あ……」
そこへやってきたのは、立派な顎鬚を生やした体格のいい男――マグヌス村の長である戦士のマグナだった。
「クレア、何考えてるんだ? 今は次の戦いに備えて休まなきゃいけないってときに、逆に体を痛めつけるようなことをしやがって」
「……放っておいてくれ。自分の体くらい自分で治す」
「いやいや、治せねえものもあるだろうが。てめえの肩の古傷とか。わかってんだよ」
「……頼む、見逃してくれ、マグナ。剣の腕というものは、毎日少しでも磨かなければ容易に錆び付いてしまうものなのだ」
クレアの頑なな態度に若干引き気味のマグナ。
「なんでそんなに頑張るのかねえ。少しは骨を休めるのも必要だろ。そういや、例の噂聞いたか?」
「……例の噂?」
「なんだ、知らねえのか。最近、酒場でな、【英雄】の一人が辺境に流されるかもしれねえって、そんな話がまことしやかに流れてんだよ」
「……【英雄】か。所詮は肩書だけの存在に興味などない」
「【英雄】にすら興味がねえとか、さすが孤高のクレアらしいな。んで話の続きだが、この辺境に来るかもしれねえってのが、シャドウとかいう、存在すらよく知られてねえ【名も無き英雄】らしい」
「な、何? シャドウ様だと……? 馬鹿を言うな。あの方がこのような辺境になど来るはずもあるまい」
クレアの反応に対し、マグナがさも意外そうな顔を見せる。
「へえ、様付けとはなあ。クレアにも憧れの存在がいたのかよ。そんなにすげーのか? そのシャドウってのは」
「凄いという言葉ですら、あの方の前では陳腐だ」
「おいおい、そんなにかよ。俺が尊敬してる【英雄】オルダンよりもか?」
「『爆発する剣』の異名を持つ男か。確かにやつは強い。だが、あの方を知ったら紛い物の強さだと感じるだろう」
「……おいおい、そんなにか……」
マグナの額から汗が零れ落ちる。
「自分はあのとき、傲岸不遜だった――」
クレアが宙を睨みながら語り始める。
男であれ女であれ、自分に敵う者などこの世にいないと確信していた。
『フン、まあ確かに強いが、そこまでだ。実にくだらん……』
【英雄】たちの戦いを見ても、鼻で笑うだけでその認識は変わらなかった。
あの程度、大したことはない。いずれ、自分は【英雄】たちを打ち破り、【神】を名乗るだろう。
この考えがいかに愚かなものであるかをクレアが思い知ったのは、当時からまったくといっていいほど知られていなかった五人目の【無名の英雄】が鍛錬しているところを目撃したときだった。
【殺気の塊】。
それが、クレアがシャドウを見たときの最初の印象であった。
普通、殺気というのは対象への憎しみによって生じるものだが、彼の場合は違った。純粋な意味での殺意であり、桁外れなものだった。
クレアは気付けばひれ伏し、震えていた。そうしなければ殺されると確信したからだ。人生で初めて味わった屈辱だったがどうしようもなかった。
『見たな。お前は誰だ』
シャドウの殺気に満ちた台詞が耳を突いたとき、クレアは涙を流しながら『あなた様の弟子にしてください』と、消え入りそうな声で懇願したのである。
それからどうなったのかは、クレア自身もよく覚えていない。ただただ、まるで赤子のようにシャドウに捻られ、自身の無力さをこれでもかと教え込まれただけだ。
「と、こういうわけだ。正直な話、シャドウ様とは師弟関係なのかどうかも疑わしい。自分が一方的に弟子入りしただけだから」
「……や、や、やべえな。本当に人間なのかよ、そいつは――」
「――村長様ーっ!」
「お、シルルが新入りと一緒に戻ってきたみてえだな」
「新入り?」
「あぁ、クレアは忙しかったから知らねえか。シェイドっていう小僧みてえな優男がこの村へやってきてな。ほら、噂をすれば」
「あの男か」
マグナが指差す方向をクレアが見やると、そこからいつも元気な修道服姿の少女と、見慣れない細身の男が近付いてくるのがわかった。
「おいおいシルル、どうして俺がここにいるってわかったんだあ?」
「村長様が墓地のほうに行ったって聞いたんで、それで駆けつけたんですよ! もう役目は終えましたって報告を……って、ク、クレアお姉様っ……」
マグナの後ろにいるクレアの姿を見て、びっくりした様子で固まるシルル。
「シルル、おめーは相変わらずだな、クレアは確かにつええけど怖くねえよ。なあ?」
「…………」
クレアの視線はシェイドのほうに移っていた。
(妙だな。この男、どこかで会ったことがあるような……)
「そ、それじゃ、私たち、そろそろ行きますね。シェイドさん、夕ご飯食べに行きますよー!」
「ちょっ、行くからそんなに引っ張らないでよ」
「おーい、クレア、聞いてんのか? さっきからぼーっとしてどうしちまったんだよ」
「あ、い、いや、なんでもない」
「疲れてんだよきっと。そろそろ俺らも飯にしようぜ」
「いや、もう少し訓練をさせてもらう……ん?」
「ほら、古傷が痛むんだろ? もうよせって――」
「――き、傷が塞がっている……」
「へ?」
(一体何故だ? この古傷だけは、あの『デモンズヒーラー』でさえ治すことができないと諦めていたのに……)
怪訝そうに自身の右肩を撫でるクレア。その懐疑の眼差しが和らぐ気配はしばらくなかった。
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