四話


「――ふう。もうちょっとで到着しそうだ……」


 修道服姿の少女を背負い、自分たちの住む村を目指して下山する男がいた。


 なんとも冴えない雰囲気に包まれた、どこにでもいるような村人然とした容姿の人物で、その名をシャドウ=ベルリアスという。


 かつて、王国内で五人しかいないとされる【英雄】の内の一人だった人物である。


【英雄】に相応しくないという理由で辺境へ飛ばされた彼は、心機一転のためにシャドウからシェイドと改名し、本日の朝マグヌス村へとやってきたばかりだが、その正体に気が付いた様子の村人は誰一人いなかった。


(思った通りだけど、僕って本当に影の薄い男なんだね。名前を変えただけなのに誰も気付かないなんて。でも、このほうが騒がれずに静かに暮らせるし、却って都合がいいかな)


 それからシェイドは村の住人登録所へと赴き、案内役だというシスターのシルルと知り合ってギルドの依頼で薬草を採りに山を登ったものの、彼女が自身のスピードアップのバフを受けて先へ行きすぎたことが災いしたのか、弓を構えたハイオークたちに囲まれることになった。


(あのとき、この子に僕の力を見られちゃったけど、ああいう状況だったから仕方ない。それに、ごまかそうと思えばごまかせるしね)


 咄嗟の判断で自身が囮になって敵を殲滅する際、シェイドは師匠の教えに従って隠し持っていた本当の力をシルルに見られてしまったわけだが、彼女に対して今後どう言い訳するかについてはまったく心配していなかった。容易く揉み消せる自信があったからだ。


「――っ……」


 それからほどなくして、シルルが重そうに瞼を持ち上げた。


「あ、ようやく起きたみたいだね、シルル」


「……シェ、シェイドさん……? わたひ……一体、どうしちゃったんでしょうか……」


「あれれ、シルル、忘れたの? 薬草を採ってたら近くに巣があったのか蜂が沢山出てきて、それで気絶しちゃったんだよ。蜂たちはすぐどっかいったし、そのとき僕は離れてたから平気だったけど」


「え、えぇっ……!? そ、そういえば、そんなことがあったような、なかったような……?」


「ショックのあまり混乱しちゃってるんだよ。んで、気を失ったシルルを背負ってこうして山を下りる途中だったってわけ」


「なるほど……ご心配をおかけしました。あ、もう歩けますんで!」


「そう? 別に遠慮しなくても、このままでもいいのに」


「いあ、自分でちゃんと歩けるので大丈夫です! それにしても、蜂がいっぱい出たくらいで気絶するなんてお恥ずかしい……」


「ははっ」


 シェイドの虚偽の台詞に対し、シルルは照れたのか顔を赤く染めるばかりで、今ではもう疑う素振りすら見せなかった。


 それもそのはずで、シェイドはシルルの忘却力を大幅に向上させるバフをかけ、自分たちがハイオークの群れに遭遇したあたりの記憶を消去し、蜂の大群に襲われたということにしたからだ。


「なんかずっと魘されてたよ。蜂のせいで怖い夢を見てたみたいだね」


「そ、そうかもです……」


 ただ、忘却力を上げるといはいえ消せるのは最近の記憶だけで、ふとしたはずみで稀に記憶が蘇ることもあるため、シェイドはシルルが何か思い出しても夢の出来事であると印象付けるのも忘れなかった。


(……これでよかったんだと思う。僕が左遷されたのは影が薄くて【英雄】に相応しくないと思われたからだけど、だからって一般人に力を見せつけて怖がられても困るからね)


 そう心の中で言い聞かせるように呟き、自分を納得させるシェイド。その背中でシルルがはっとした顔を見せる。


「あっ、そういえばシェイドさん、薬草は……」


「あぁ、薬草なら、それらしいものを幾つか拾っておいたよ」


 シェイドが袋の中に入れた草を見せると、シルルが目を一層大きくした。


「毒を消すダミル草、麻痺に効くヒメハギ草、痛み止めと止血用のアカギリ草――探してたのが全部あります! でも、どうしてわかったんですか?」


「自分の嗅覚をバフしたんだよ。香りが強くて独特なものほど薬草として優れてるって聞いたことがあったから、そういうのを中心に選んでみた」


「へー、匂いまで強化できるんですね!」


「うん」


「シェイドさんって、本当になんでもバフできちゃうんですね。いいなあ、バフ使い……」


「いや、そういうわけでもないよ。バフしたいと思ってもできないものだってある」


「えー、たとえば何があるんですか?」


「んーと、人を大切に思う気持ちとかね」


 冗談っぽく笑ってみせるシェイド。


「ええ? どうしてですか?」


「一時的に忘れさせることはできるけど、他人が自分に対してどういう類の感情を抱いてるのかとか、あるいは思いの強さとか、そういうのはバフでは変えられないんだ」


 シェイドは心の中で続けた。相手の気持ちに干渉することはできない。それがもしできたなら、自分はここにいないと。


「あの……シェイドさんって、もしかして辛い過去とかあります?」


「え……?」


 シルルの台詞を耳にしたシェイドは率直に驚いた。自身の弱みというか、翳りのようなものを見せたつもりは一切なかったからだ。


「やっぱりあるんですね。自慢じゃないですけど私、そういう心の機微というか、抱え込んだ闇みたいなのはなんとなくわかるんです」


「ど、どうして人の闇がわかるのかな?」


「そりゃー、聖女と見せかけた闇女ですから……!」


「や、闇女って……」


「闇属性のシスターのことですよ? えへへ、大丈夫です。相談に乗ってもお金とか取りませんから。いや、どうしてもっていうなら貰いますけど!」


「はは……。中々面白い子だね、シルルって」


「そんな感じのこと、よく同僚から言われます。あ、それと一応言っておきますけど、私、こう見えて14歳ですからね? もう立派な成人ですからね?」


「そうなんだ。あっ……」


「えっ……?」


 唐突にシェイドが神妙な面持ちになると、じっとシルルのほうを凝視した。


「あ、あ、あの……シェイドさん?」


「シルル……」


 シェイドからまっすぐに見つめられ、シルルの顔だけでなく耳まで見る見る赤くなっていく。


「そ、そのぉ……わ、私でいいのなら、お付き合いとかは考えてもいいですよ? まだまだ子供みたいなものですし、物足りないかもしれないですけど、それでもいいならっ……」


「じっとしてて。頭の上に大きな毛虫がついてる」


「え……? きゃああああっ!」


 シルルの悲鳴が周囲にこだまするのであった。

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