第50話 爆笑、竹ノ内

 


 妖と遭遇した翌日、ホームルーム前ではその話題で持ちきりであった。

 妖に遭遇した柚月は、昨日のことを思い出してゆっくりと寝ていられるわけもなく、いつもより早く教室に来ていた。



 妖に遭遇したのは全部で3班。

 柚月のいたチーム、明治のいたチーム、そして侘助のいたチームだ。


 本来ならば、調査に出向いたのは妖のランクには程遠い隠ばかりであったはずなのに、出向いてみれば待ち構えていたかのようにそれはいた。


 まだ1つの班が妖と遭遇したのならば調査不足と言えるのだが、3班同時に遭遇するのはあまりにも多すぎる。



 これは調査不足ではない、何かしらの力が働いたのではないかと専らの噂であった。


 妖の襲撃では侘助のチームの上級生が1人重傷を負ったとの情報も入ってきている。

 それが噂に火をつけているようだ。




 そんなざわめきの中、柚月は一人黙々と式紙(しきがみ)を作るのに勤しんでいた。

 式紙とは人型や札を作るための材料となる紙で、術式を組み込みながら霊力を閉じ込めることで完成する。


 効果は作るときに込めた術式に順じ、防御の術式なら攻撃を食らっても身代わりに式が消費され、攻撃の術式を組み込んだのなら隠に向かって放てばたちまち起爆する。


 しかし、言ってしまえば式神やその下のランクの札や人型の材料になるモノだ。そのため効力はそれほど望めるモノではない。

 式神は陰陽師の素質のある者のみが作れるもので、札や人型はまだ作り方を習っていない為作れない。


 それでも、何もしていないよりは心が落ち着く。

 柚月は考えても仕方がないことは極力考えない主義であった。

 それに妖に直面した身としては、ざわめきに乗じる気など到底起こらない。


(ふう)


 紙一面に霊力を塗布し終わった柚月は一息に息を吐きだした。

 どうにも慣れない作業をするときに息を止めてしまうのが癖になりつつあるようだ。


 それはさておき、最近授業で作り方を習ったばかりのそれは霊力が均等に宿らず、ところどころ術式が乱れた歪なモノとなってしまっている。

 土の霊力を宿した紙は色の濃い場所と限りなく薄い場所ができてしまった。



 やはりまだ紙に霊力を込めるのは慣れていない。

 じっくりと時間をかければできるようになるのだろうが、今は少しでも早く隠に対抗できる術が欲しかった彼は、ため息とともにそれを机に置いた。


(これじゃあ使い物にならないか)



「はよ柚月」

「あ、おはよう明治。お互い大変だったみたいだね」


 がらりと開いた扉からは噂の中心の一人である明治が入ってきた。

 彼もいつもより早い時間に来たようだが、その顔はやはりどこか晴れない。


「……おー。お前もだったよな」

「……うん」

「悪い。それ、作ってる途中っだったか?」

「大丈夫、もう終わったから」

「そっか」


 彼は自分の席に荷物を置くとまだ来ていない悟の席に腰を掛けた。


「……」

「……」


 お互いに何を話すでもなく黙ったまま外を眺めている。

 昨日のことを口に出すのがためらわれたからだ。


 もちろん確かめたいことはたくさんある。

 どんな妖だったか。どんな戦闘だったか。そして、自分は何ができたか。

 けれどもそれを軽々しく口に出すにはあまりにも衝撃が強すぎた。


 そもそも口で説明できる存在ではない。それに、口に出せば妖がよみがえってしまうような気さえした。


 柚月はもちろん、同じように口を噤んでいる明治でも感じたことのない不気味な出来事だったのだろう。


 そういう訳で彼らはただ口を噤んでしばらく外を見ていた。




「お前ら座れ~」


 いつも通りの竹ノ内の気が抜けた声が聞こえる。


 昨日あんなことがあったばかりだというのにあまりにも平常運転過ぎるのではないかと思ったが、そうでなくては教師など務まらないのだろう。


 漠然とした不安の中にある今においては、そののんびりとした雰囲気はむしろありがたい。

 柚月は体中に不自然に入っていた力が抜けていくような気がした。

 自分でも気が付かないうちにずっと力んでいたのだろう。


「……」


 いつもならばここで悟や譲が先生にちょっかいを出したり質問が飛んだりするはずなのだが、どうやらその二人もまた、異様な空気を感じ取っているようで黙したままだ。


「なんだぁ? お前らやけに静かじゃねーの」

「そりゃあ……」

「ねぇ」


 こそこそとささやき合う声が嫌に響く。


「?」


 竹ノ内は本気で分からないというような顔だ。



「……昨日調査対象が妖だったってこと、何かあるんですか?」


 ややあって悟が確信をついた言葉を発する。

 途端にぽかんとする竹ノ内。



 一瞬の後に彼は大爆笑をしだした。


「だっはははは! なんだ、お前らそんなこと気にしてたのかあっははは」

「!?」


 一人笑い続ける彼に、クラスは困惑した雰囲気を醸し出す。

 それにしてもすごい笑い様だ。

 隣のクラスにも聞こえてしまっているんじゃないだろうか。


「あっはははは、腹! 腹いてぇごほっ」


 何故だか、竹ノ内に笑われているとだんだんと腹が立ってきた。

 それはクラスメイトも同じだったようで、皆赤くなってプルプルと震えていた。



「うるせぇー! 気になって悪いか!」

「そうだそうだ!」

「そんなに笑うことないと思います!」


 クラス中が色めきだっている。中には席を立つものまで現れた。

 けれども竹ノ内の笑いは収まらないようで、それが余計に油を注いでいる。


「あはっはははっはは、げほぉ、ごほごほっうぇ」

「笑いすぎだろ!」

「死ぬんかわれぇ」

「大丈夫かおじいちゃん!」


 初めは喧嘩腰だったクラスメイトも、なんだかつられて楽しくなってきたようで、皆笑いながら野次を飛ばすようになっている。


 柚月も先ほどまで深刻そうな顔をしていたのに今ではつられて笑いだしていた。



「おいだれだ、今おじいちゃん呼ばわりした奴!」


 それに目ざとく反応する竹ノ内。

 おじいちゃん呼ばわりが許せなかったようだ。

 酸欠で赤くなった顔で眉を吊り上げても怖くはない。


「おじいちゃんはおじいちゃんだろ」

「誤飲性食道炎に気をつけろよな」

「ジジイ言うな! 俺はまだ30代だ」


 その後、A組の担当の新浪が注意しに来るまで皆で笑い転げていた。

 新浪が仁王立ちで廊下に立ち、その下に竹ノ内が正座をさせられている場面にはクラス中が沸いたものだ。


 まあ、結局は自分たちも怒られてしまったのだが。




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