第48話 蟻

 




 木漏れ日が差し込む林の中をゆっくりと進む。

 空気は清涼で、とてもじゃないがここに害を為す隠がいるようには思えなかった。いるとするなら、まだ噂の域を超えない隠なのだろう。


 春の温かい風が吹く。

 木の葉がさわさわと揺れる音がした。



「おかしいわね」


 ふいに日花が立ち止まり声をあげた。


「?」


 柚月には何がおかしいのか見当がつかず、火花を見つめた。


「何がおかしいんですか?」


 クラスメイトの中井が思わずと言った様子で聞いた。


「……」


 それには答えずに警戒色を強める日花に緊張が走る。

 穏やかな木漏れ日が何故だか少し気味悪く感じた。

 ざわざわと木の葉がすれる音がやたらと大きくなる。



 ふいに嫌な気配を感じて上を見上げる。


 黒ずんだ緑色の糸が、目に映った。



 アハハ、アハハハハ



 そこには人間の子供くらいの大きさの蟻が宙に浮いていた。

 胴体には眼下の窪んだ子供の頭が付いており、それがいびつに笑みを作っている。


 ブワリと鳥肌が立つ。

 蟻の足が木々を伝うたびに木の葉がすれる音がする。

 先ほどまで感じていた清涼な空気など、今はどこにもなかった。

 じとりとした嫌な空気が肌に触れ、余計に怖気が走る。



 ネエエネエ……アソボウ……




 子供の頭から身の毛のよだつ声が発せられている。

 遊ぼうと言いつつも蟻の頭は牙をキシキシと鳴らし、今にも襲い掛かってきそうだ。

 あの牙につかまってしまえば、腕や足がぽっきりと折られてしまうだろう。


「っ! 冗談きついわ」


 日花が警戒したように吠える。

 土屋が一年を庇うように手を広げ、ハンドサインで下がるように命令される。


 そうだ、端末で西チームに情報を送らねば。

 柚月は急いでポケットから端末を取り出すと隠へ向ける。

 ピピっと音がなる。隠の穢れの量が測定されたようだ。


『妖と測定』


 導き出されたのはその文字。

 妖、と。


「えっ!?」


 柚月は驚きの色を隠せなかった。

 何せ、自分たちが調査に来たのは怨霊や悪霊になる前の段階の隠だったはずだから。



「いやな感じがすると思ったら、やっぱりね!」


 日花が焦ったように術を展開する。火の玉が彼女を包むように浮かんだ。

 土屋も術札を掲げ、いつでも迎撃できるように構える。



 アハハ、アハハハハハ



 蟻は嬉しそうにバタバタと足を蠢かし、地に降り立つ。


「一年後退! 防御札を展開しなさい! 天見! 端末で先生に情報を伝えて!」

「は、はい!」


 彼女は命令を伝えると同時に蟻へと火の玉を放つ。

 柚月は緊急と書かれたボタンをタップした。

 その途端けたたましいアラームが数回なる。



 じりりりりり



 どうやら情報が伝わったようだ。


 アラームが鳴りやむのと蟻が火の玉をよけて進み出てくるのはほぼ同時だった。


「土屋!」

「分かってる!」


 土屋は札を地面に落とすと、その地面が土壁となって蟻の行く手を阻んだ。


 どどどっ


 土と火の術が交互に放たれる。

 だが蟻は素早く這いまわり、うまく術が当たらない。

 先日の隠とは違い随分と動きが早く、明確にこちらに狙いを定めているようだ。



 アハハハハハ



 蟻は楽しそうにはしゃいでいる。

 いくら先輩と言えど、妖レベルの隠を2人で相手取るのは厳しいようだ。


「ああ、もう! すばしっこいわね!!」


 苛立ったように日花が叫ぶ。

 その苛立ちが僅かなブレを起こした。


 攻撃のタイミングがずれる。


 蟻はそれを狙っていたように一気に近づいて来た。

 ブシュっと液体が放たれ、日花が食らってしまった。


「ぐっ!」


 薄緑色の液は彼女の纏う戦闘着の裾を溶かした。溶解液のようだ。


 幸い皮膚にまでは届かなかったようだが、あの液があるのなら気軽に近づくことができなくなる。

 日花は舌打ちをすると火の玉を一つ体に纏わした。

 火の鎧をまとうことで液を食らっても蒸発させるつもりだろうか。


「おいっ! 日花! 応援を待て!」

「そんな悠長なことも言ってられないじゃん!?」


 隠の方を見ればその言葉通り蟻は液を辺り一面に飛ばそうとしているようで、力をためている。


「あれ打たれたら、私たちはともかく一年はやばいのわかるでしょ!?」

「土壁を作る! その中に入れお前ら!」



 2人の追儺師の怒号と隠の笑い声。

 ここは地獄の何丁目なのだろうか、というありさまだ。



 2人は1年生を守りながらの戦闘で思うように動き切れていない。自分たちが足かせになってしまっていると嫌でも実感してしまう。

 せめて自分の身くらい自分で守れるようにならなければ、いつまでたっても足枷のままだ。


 柚月は持たされた人型を取り出した。


(これで素早い動きを少しでも足止めできればっ)


 蟻は今も力を蓄え続けている。

 その口には今にも溢れそうな溶解液が見て取れた。


(あそこに投げ入れれば)


 自爆とまではいかないかもしれないが、少しでもダメージを与えられるかもしれない。


 柚月は素早く走り土壁へと転がり込むとその横から人型を一気に投げつけた。

 ビュウという音を立てて5枚の人型が飛んでいく。

 蟻はそちらに気を取られたようで、人型目掛けて溶解液を飛ばした。


「ナイスアシスト!」


 その隙間をかいくぐり日花が炎の拳を顎の下へと叩き込む。



 ぐぷっという音が聞こえた。

 顎に拳がめり込みためていた液が逆流でもしたのだろう。

 日花が素早く後ろへと飛びのくのと液が一気に流れ出るのはほぼ同時であった。


「よっしゃ! ちょろまかとうっとおしいのよ」


 悪態づく日花は、完全に興奮状態だった。

 ハアハアと肩で息をしながらも楽しそうに笑っている。



 蟻は顎を砕かれ林の奥へと逃げていく。


「待ちなさい!」

「日花、いったん戻れ! 消耗しすぎだ!」


 追いかけようとする日花を土屋が止める。

 よく見ればかなりの汗をかいており、荒い息遣いとなっていた。土屋の言う通り、一気に攻撃していたため消耗が激しいのだろう。


「……ち」



 それは本人も自覚しているようで、息を切らしながらも土壁へと戻ってくる。

 ゼイゼイと苦しそうな呼吸音だ。

 術も多量に使っていたし、1年にも気を配り続けていたのだから無理もないだろう。既にばて気味となってしまっている。


「一気に霊力を使いすぎたな」

「こういうとき、ぜぇ、気力を使える奴うらやましいよ」

「そうはいっても気力使いだけじゃ火力が弱くて攻めきれないの知ってるだろう」

「まあね。とりあえず西チームが来るまで少し休もう。相手が妖は私だけじゃ荷が重い」


 日花は1年の持ってきていた物資の中から飴のような丸いものを取りだした。


「それは?」

「これは一時的に霊力を底上げする飴よ。乱用はおすすめできないけど」


 ポイっと口に含むと荒かった息が少しずつ落ち着いて来た。


「それよりさっきはありがとう」

「え?」

「人型よ。貴方が投げてくれたでしょ? あれに蟻が反応してくれたおかげで一撃食らわせれたし何とか引かせることができたわ。あのままだったら私が先につぶれてたと思う」

「あ、はい! あ、いえ…」

「ふ、どっちよ」



 柚月は無我夢中で式を投げただけで、蟻が反応してくれるという自信があったわけではないが、褒められるのは当然ながら嬉しかった。

 思わず顔をほころばせてしまう。柚月はなんだかやる気が満ちてきた。

 だって隠と実際に戦っている人から褒められれば、誰だってやる気が出るというものだ。





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