第46話 隠、出る

 



 話がそれたが、このビルには曰くが付いているらしい。

 このビルが廃ビルとなったのは20年前であったが、何故か解体作業をしようとするとその会社に不幸なことが次々と起こったため気味悪がられ今なおそのままにされているのだという。


 そんな廃ビルは5階建てでそのすべてが焦げたような跡をつけている。

 それは当時の火災で燃えた煤の跡だ。


 火災で亡くなったのはこのビルの会社に勤めていた女性1人と男性2人。

 噂が噂を呼び、ついには心霊スポットと呼ばれるに至ったのだ。

 事前の調査でそこまではわかっていた。



 事前調査は大切な隠の対処法の1つでもある。

 何故なら、隠には依代となるモノが存在するから。

 依代となるのはその場所にかかわりが深い者。


 つまりここでは火災で亡くなった人の無念や痛み、苦しみからこの場に縛り付けられて悪さをしている悪霊や怨霊になったと考えるのが妥当なのだ。



 しかし、未だに目立った動きもない。

 噂は噂に過ぎないため、核を持つ(個とみなされる)前の段階であり、妖と呼ぶまでには至っていないようだった。



 とはいえ、隠は確実にいると判断されたので葦の矢の生徒たちが訓練もかねて派遣されたのである。

 柚月のチームの先輩たちは出陣前に軽く自己紹介をしてくれた。



 木属性の鈴木、火属性の日花、土属性の土屋、金属性の金子、そして水属性の水無月だ。


 今回派遣された場所は全部で10か所。

 チームごとに隠がいる可能性の高い場所へと向かい、一斉に討伐を始める。



 妖や物の怪と違い、はっきりとした核を持たない段階の隠は明るい時間帯にはまず出ない。

 陽の気の強い昼の時間帯ではその存在を維持できないのだ。



 黄昏たそがれ――誰そ彼。あなたは誰と尋ねる時間帯、魔に逢う時間帯。

 その時にならなければ姿は見えず。



 逆に言えば逢魔が時を過ぎてしまえば彼らの時間帯であるということ。

 夜が明ける彼は誰時、再びあなたは誰と尋ねる時間までは彼らの時間なのだ。

 夕暮れの濃い影が伸びれば彼らは、其処に現れる。




 割れた窓枠から指す光、その先に、影が伸びた。




 うおおおおと地響きとも聞き違えるほどのうめき声。

 けれども外に見える人々はそんな音聞こえないとでもいうように普通に歩いている。


 伸びた影はやがて一所に集まりうすぼんやりとした光を纏った。


 熱い。


 顔を庇うように腕を上げる。

 隙間から覗く異形は黒い炭の塊のようだ。

 柚月はその熱気に思わず顔をそむけた。



 隠が姿を現すと同時に先輩方が走り出す。

 まずは水属性の水無月が熱気を1年にまで届かせないように結界を張る。


 相手は事前の調査通り、火属性であろう。

 それは見た目でもわかる。

 すぐに水の膜が円形状に広げられた。


 肉の焦げる嫌な臭いはそのままであるが、熱気が消えうせた。

 柚月は再び顔を上げて先輩たちの動きを観察する。



 今自分たちは見学の意味もあれば、訓練の意味もある。

 つまるところ、先輩方が戦いやすいように援護する役割でもある。


 出発するときに一人につき人型の式神が5枚渡されていた。

 これは相手の動きを数秒封じ込める人型だと新浪は言った。

 要するに先輩たちが攻撃する合間を縫って隠の動きを止めろということだ。


 1年は素早く水の円を囲むように散開する。

 もちろん隠の標的にならないように身を隠しながら。



 土属性の土屋が降り積もった砂を自在に操り炎を打ち消していく。

 隠は単調な動きを繰り返す。その動きは依代となった人物の最期を現すかのように炎の間をひたすら掻き分けているかのようだった。


 その間に回り込んだ鈴木は、木気を練りこんだ短刀を隠へと叩き込んだ。



 ぎゃあああああぁぁああ



 瞬間、耳をふさぎたくなるようなうめき声が響く。

 一撃では倒れない。

 隠が接近戦をしていた鈴木に手を伸ばす。

 それを弾くのは水の塊だ。


 金の属性の金子はその間に霊力を鋭利な形へ変えて空中に浮かべた。

 それを距離を取った鈴木が風を呼び込み加速させて隠へと降り注ぐ。



 があぅうううううう



 再びの絶叫。

 少し弱ってきている。

 隠の纏う炎の威力が弱くなってきているのだ。


 だが、やはり金属性の攻撃は火属性には効果が今一つのようだ。

 穴が開いたところは緩やかに炎が埋めていく。

 隠が痛みにのたうち回るように、炎の渦をまき散らし始める。

 それは火災があった日の繰り返しのように、瞬く間にフロアが炎に包まれた。


 水無月の結界があるとはいえ、すべてが受けられるわけでもなく、柚月の足元に炎が渦を巻く。


「うわっ」


 あっという間に炎に囲まれる。


 焼ける。

 そう思い目をつむった。


 だが、少ししても熱が柚月に届くことはなかった。

 隠と同じ火属性の日花が放った術が炎を食い止めていたのだ。

 炎と炎がぶつかり合い拮抗している。


「早く!」


 そう言われ我に返る。

 急いで彼女が作った隙間から退避する。

 数秒後炎と炎が同時に揺らめいて消え失せ、その場には焦げた跡が残った。

 あのまま中に居たら柚月も焼けていただろう。


 ぞっとした。

 本当に今戦っているのは人知を超えた隠なんだ。

 分かってはいたが、直接感じてしまうと急に恐ろしくなる。


 思えば10歳で襲ってきた隠を見た以外、隠をまともに見るのはこれが初めてだった。

 それは他の1年も同じであるようで、皆動きが硬い。


 その中で一人、若夏だけは普段通りの動きを見せていた。

 黒い髪を揺らし人型を的確に投げ込んでいる。


 彼はいったい何者なのだろうか。

 若夏の投げた人型が隠に当たる。

 すると一瞬隠の動きが止まった。


 その隙を見逃す先輩たちではなかった。

 猛攻が隠に降り注ぐ。



 ぎぃいいいいいい



 3度目の絶叫。

 留めに水無月の放った水が隠の体を貫いた。


 じゅわわわという音を残し隠が倒れる。

 どんどんと纏っていた炎が小さくなり、やがて一人の人影だけが取り残された



「貴方は保野陰ほのかげさんですね」


 日花が静かに告げる。

 保野陰とは20年前の火災で亡くなった女性の名だ。


 あれが、かつては人間であったという事実。

 それを肯定するかのように人影がピクリと動いた。


「無念に捕らわれ、ここに縛り付けられて怨霊と化してしまった。今、貴方を解放します」


 ゆっくりとそれに近づいた日花は1枚の札を人影に張る。


「――」


 刹那、隠だったものが何かをつぶやいた。



 後に残ったのは静寂。

 今までの戦いがまるでなかったかのように廃ビルは普段の静けさと温度を取り戻していた。

 陽はすでに沈み、窓だったところから差し込んだのは月の柔らかな光だった。




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