第35話 人波
こちらの動揺を素知らぬ顔で受け流しあっけらかんと言うところには苛立ちを通り越して呆れてしまう。
「なんでそんな重要なこと言ってくれないの毎回毎回!!」
「ごめんって。だって普通に知ってると思ってたし、寺の人達も言ってなかったんだ」
「知らないよ! 聞いてないよ!」
似たようなやり取りを繰り返している。
「おかしいなぁ。僧正あたりが話してるかと思ってたのに」
「
(っ本当にこの人は!!)
確かに寺の書庫で神子に関する本を読んだことはあっても、今代の神子について載っている本など見当たらなかったし、そういう話が出た時に柚月から聞くこともしなかった。
確かにそういう話題になったら自分がそうだというだろうと高を括っていた柚月にも非はある。
だが、そんな大事なことを言い忘れる澪も澪で非があるのではないか。
柚月はやりどころのない気持ちを拳に力を入れることでやり過ごす。
うわー(ダンダン)と地団太でも踏みたい気分だ。
「あら、この子が例の子ですか」
凛とした声が耳に届く。
振り返ると紫色の瞳がこちらをじっととらえていた。
校長先生との話はいつの間にか終わったようだ。
(衝撃で忘れていたけれど、この人もいたんだった)
柚月に掛かっていた威圧はいつの間にか解けていたようで、澪に文句を言うときには自由に動けていた。
女性はじっと柚月の顔を見つめている。歓迎と好奇、そして少しのドロッとした感情を織り交ぜたような何とも言えない目線だった。
なんとなく柚月は居心地の悪さを覚えた。
「ふうん。なるほど」
じろじろとう上から見下ろされると後ろにさがりたくなる。
彼女は女性にしては背が高かった。柚月が165なのに対して、彼女は180くらいはあるだろう。ずっと顔を見ていると首が疲れてしまう。
柚月は視線から逃れるために礼をした。
「こ、こんにちは。天見柚月と申します」
「はい、こんにちは。
鼓はそう言うと澪を小突いた。
「ちょっとおひい、なにすんの」
「貴方ね、ちゃんと彼を取り巻いている状況とか説明してあげなさいよ。あまりにも可哀そうではありませんか」
「えっ」
澪はすごく以外そうな顔をした。
「えっじゃありません。保護者の義務ですわよ」
呆れたように肩を落とす鼓。
本当に二人の関係性が分からなかった。
「えっと……」
「ああ、ごめんなさいね。わたくしは戌の当主でこの葦の矢学院を澪と造り上げたのよ。ほかにも『
「ええっ」
とてつもなくすごい人ではないか。
そんな人と、今自分が話をしているのが信じられえなかった。
それにそれを信じるのだとしたら、やはり澪は神子様であるということになる。
(僕、もしかして大変な人の弟子なのでは……)
今更ながらに緊張が襲ってきた。
「貴方のことはよく聞いていたのよ。この子、貴方の話を本当に嬉しそうにするの。今日だって弟子の晴れ舞台を見に行くって聞かなくてね」
「ちょっ、ちょっと」
顔を少し赤らめた澪が止めに入る。
「それは言わないでって言ったのに!」
「あら、いいじゃない。別に隠すほどのことじゃないでしょう。今日も本当は入学式に出るつもりだったのに突然の出陣要請で出られなかったからって、終わらせてから直接ここに向かうっていった時にはわたくしも驚いたもの」
「ちょっと、恥ずかしいじゃんか」
「ふふ、罰だと思いなさいな」
鼓に詰め寄る澪。それを軽くかわす鼓という図だ。
師弟というよりは親子のような関係なのだろう。
そうすると鼓はいったい何歳なのだろうか。もしかしたら実年齢はもっと上なのかもしれない。
「ちょっと貴方、今失礼なこと考えたのではなくて?」
「! い、いえ」
思考を見透かされていたようだ。
こちらなど見ていなかったのに、どうやって分かったのだろうか。
「あはは、柚月、おひいの年齢は考えない方がいいよ」
澪にまでばれていたらしい。
そんなにわかりやすい顔をしていただろうか。
「……さて、おしゃべりはこのくらいにして、そろそろ戻りましょうか。お邪魔になっていますし」
「じゃあ料理ちょっとつまんで……」
「時間がありませんのよ」
「ちょっとだけ!」
「……はあ。ではぱっぱとお食べなさい」
「はーい」
いそいそと肉コーナーへと向かう澪。
サーブ係に注文を言って礼をして受け取っている。
鼓は動かなかった。食べる気がないのだろう。
「……あの」
「何かしら?」
「……」
本当に澪が神子なのだろうか。
――それを聞いても良いのだろうか
ふとそんな不思議な気持ちが沸いて来て押し黙る。
そんな柚月を見て鼓は少し微笑んだ。
「大丈夫ですよ。貴方が考えていることは合っていますから」
分かるんだか、分からないんだか、どちらともとれる解答をして鼓はこの場を後にした。
2人が去っていく中、柚月はただ黙って小さくなっていく背中を見つめるしかできなかった。
「ちょっとあんた!! いったいどういうことよ!」
元の場所に戻るとどどっと人が押し寄せてきた。
(まあ、そうなると思っていたけれど)
とりあえず手に持っていたお皿は壁際に置いておくのが身の為だろう。
とてもじゃないけれど、この場では食べられそうにない。
それにしてもすごい人の波だ。
その中でも特に同じクラスの奴らのグイグイ度は凄まじかった。
質問に答えるまで料理は食べさせないぞという強い気概を感じる。
熱いものを取ってなくてよかったと心から思った。
「ちょっちょっと、皆落ち着いて」
「落ち着いていられるか! 柚月お前ぇ、神子様と面識あるんだったら言えよ! 知らないふりなんかしてないで!」
「いや、僕も本当に知らなかったんだよ」
「嘘つけぇ! あたしは騙されないよぉ! ちょっと写真とかないの~?」
「いや、写真はないかな」
「じゃあサインは!?」
もはやだれがしゃべっているのか分からないほどの質問攻めである。
というか、写真とかサインとか、ほしいものなのだろうか。
柚月は自分がそれらを求めているところを想像して下唇を突き出した。
(ない。絶対ない)
そんなことをしてみろ。
絶対に揶揄われる未来しか待っていない。
柚月は澪がどんな人格か知っている。
彼女は絶対に柚月を弄るだろう。それも嬉々として。
そうなることが分かっていながら、サインや写真をもらうなど自殺行為も甚だしい。
絶対にお断りだった。
(忘れていないぞ)
昔から揶揄われ続けてきたことを。
それにしても波は収まるどころかどんどんその勢いを強めている。
もはや最前列にいる人がつぶされてしまうような勢いだ。
ちなみに、一つ一つに解答していくのは早々に諦めた。
同学年はもちろん、先輩たちも集まってきている。
「ちょっと君、詳しく話を聞かせてくれ!」
「ずるいよ、私が先!」
「普段神子様とどんな訓練してたの?」
一向に質問が途切れる様子がない。
だんだん腹が立ってきた。
なぜ自分は腹が減っているのに食べられないのだろう。なぜ、目の前にあるのに食べられないのだろう。
それも全部、澪が肝心なことを言い忘れたからだ。
いっつもそうだ。
彼女は忘れる。大事なことほど、自分に言ってくれないのだ。
そんなに自分が頼りないのだろうか。
それともまだ自分に隠していることがあるのだろうか。
いや、どっちらでもないだろう。
ただ単に、うっかり。そううっかりなのだ。
ついうっかり言い忘れてしまうのだ。
なんで? 何故そんなに忘れる?
一度病院に連れて行った方がよいのではないか?
柚月は怒りながらそんなことを思う。
澪から出された試練の時だって、彼女は何を試すか言わなかった。
それに直前になっても忘れていた。
事前告知が全くできていないのだ。
思い出してこれば徐々に溜まっていくのはフラストレーション。
そんな状態で、目の前にご飯があるのに待てを食らい、その上一斉に質問攻めにされてしまえば爆発するのは必須。
柚月の何かが破裂した。
「ああああーーーー!!!!! もう!!! うるせーーーー!!!!!」
結局この状況を見かねた教師陣が間に入ってことを鎮めるまで、柚月はもみくちゃにされながらご飯を食べることができなかった。
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