第13話 土壇場の試験
(助かった?)
鼬はなぜ坂の下には来なかったのだろうか。
獣だから知能が低い? そんなことはない。
狩りや危機察知能力などは人間よりもはるかに優れている。
ではなぜ柚月は逃れられたのか。
そういえば、と柚月はあることに気が付く。
あの鼬と目が合った時、鼬の眼には何かが張り付いているように見えた。
張り付いているというよりは何かの術みたいなものが掛けられていると言った方がしっくりくる。
目の周りがほの暗い薄緑色の光で円形に包まれていて、その光の中を小さな文字のようなものが動いていたのだ。
(まさかとは思うけど、獣としての五感をなくしたりとか妨害しているのか?)
でなければ今も、そして先ほど木の幹に隠れていた時も、これだけ近くにいて臭いや聴覚で自分を見つけられないのはどう考えてもおかしくはないか。
普通の獣であれば恐らくあれだけ近くにいたらこちらに気が付くはずだ。
そう考えて見れば坂の上での鼬の反応も、もっと言えば木の幹で見つかった時の反応もおかしかったではないか。
見つかった時、鼬は明らかにびっくりしていた。
それは柚月の声に驚いたのかとも思ったが、それにしては驚き方もおかしかった。
坂の上で石を確認していたのも、視覚に頼っていたり匂いを嗅いでいたりという反応でもなかった。
もっと別の何かを見ているかのような……。
そこまで考えると柚月ははっとした。
(そうか、そういうことか!)
もしも動物的な五感すべてが封じられているもしくは妨害されているのだとしたら、じっとみつめるような仕草で何を見ているのか。
――それはやはり霊力なのではないか
そう考えると辻褄は合う。いや、そうとしか考えられない。
(だってあれだけ近づいても僕に気が付いていなかったみたいに、驚いた僕の声に驚いていたから。五感を使えているわけではなさそうだし)
問題なのは、柚月は霊力など使えた試しがないことだ。
仮に霊力かを追ってきたのだとしたら、自分がそれを認識できていないこの状態は非常にまずい。
(待てよ……?)
ふとあることに気が付いた。
先ほど柚月が落とした石をじっと見ていなかっただろうか。
だとすれば石に柚月の霊力が多少なりとも宿っていたのではないか。
(必死で逃げる前に霊力を石に込めてみようとしていたから)
もしかしたらそのはずみで霊力を石に移せていて、それを鼬は見ていたのかもしれない。
順当に考えれば、霊力が自身に宿った生命力なのだとしたらなんの意図もなしに体外に微量の霊力は放出されていてもおかしくはない。
初めに柚月の居る方角へ真っ直ぐやってきたことも考えると、その推測は合っているような気がする。
そして柚月の隠れている場所をすぐに特定できなかったのはいろいろな場所を走り回り霊力自体が分散されていたからではないか。
(鼬にかけられていた術が視覚を奪うものだとすれば、目視は出来なかったけれど耳や鼻にも似たような妨害の術が掛けられていても不思議はないし)
鼬という獣の観点で見てもそれは間違いなさそうであった。
しかし逆に言えば、生きている以上常に放たれているならばそれを隠さない限りそう遠からず見つかってしまうかもしれないということだ。
(おちつけ。焦ってもいいことはないぞ)
森に入ってからすでに1時間以上経過しており制限時間の折り返しに入っているとはいえ、焦れば焦るほど思考が狭まってくる。
それでも時間がないのは明白なわけで、焦りつつも思考はクリアにしていなければどちらにせよ試験をクリアすることなどできないのだ。
土壇場で霊力を扱えるようにならなければ、きっとこの試験に合格することは愚か、この広い森の中から本の1冊など見つけられっこない。
そういう意味でこの追いかけっこは、本当に試験の意味合いで行っているのだとようやく気が付いた。
(なるほど、だから澪ちゃんはああいう言い方をしていたんだな)
冷静になってみれば、普段立ち入らない広い森の中からどこかに隠された1冊の本をとって来るなんて不可能な話だ。
柚月は浮かれていた自分を恥じた。
いつもできていた人探しは普段一緒に暮らしていてその場所を知り尽くしているからこそなんとなくその人の行動パターンがわかっていたからできていたにすぎないのだ。
けれども今回の訓練は一人で入ることを今まで禁じられていた森の中だ。
勝手などわかるはずもない。
「詰んでるじゃないか」
少しずつ訓練の目的も分かってきたが、残り時間はあと精々四十五分と言ったところだろう。
こうなってしまえば、もう気長に霊力の込め方など探っている暇などない。
鼬を無視してでも、澪の霊力が恐らく込められているのであろう本を探すことに集中しないとゲームオーバーとなってしまう。
(だったら、霊力を込める方に労力を使うんじゃなくて、見る方に掛けないと!)
霊力さえ見えれば本を探せる可能性が上がるし、鼬からの攻撃も見えてさえいれば何とか避けられるのではないか。
「よし!」
柚月は隠れていた岩からあてどもなく走り出した。
考えるのを放棄したわけではない。むしろその逆で、あれこれわからないことを考えるよりも行動していた方が自分は習得しやすいのではと考えたのだ。
がさがさと枝を分け入る音が響く。
冬のはずなのに木々には葉が生い茂っていることにも今になって気が付いた。どういう原理なのかはわからないが、今はとにかく雪が積もってなくて助かった。
もしも積もっていたら霊力をどうこうするよりも足跡の方に気を取られていたかもしれない。
はあはあと息を切らして、鼬に攻撃されたときの感覚を考え続けながら走る。
あの時、確かに何かの予感はあったのだ。
でなければきっと気が付かずにそのまま傷だらけで倒れている。
できるだけたくさんの木々に触れて不規則に進みながらも思考を止めない。
あの予感をどうやって感じたかが問題で、どれだけ考えてみてもわからない。
もう1回攻撃してくれないかな、などと考えていると坂の上から突き刺すように鋭い視線が向けられているように感じ身を翻した。
暗闇の中を冷たい風がビュオォという唸り声をあげ、空気を吸い込んでいく。
目で見たところで闇が広がっているだけだが、突き刺されるような感覚が止まずここにいては本当に串刺しにされてしまうのではないかという不吉な感覚が拭えない。
それこそ、先ほど鼬が攻撃してきたときのような悪寒だった。
(もしかして……)
柚月は自分の感覚を信じて90度方向を変え走り出す。
走り出すとほぼ同時にまた突風が吹いた。
豪という音が鼓膜に響く。
風は先ほどまで柚月がいた所を寸分も違わず抉り、その衝撃が柚月へと到達する。
「うっ」
あまりにも強い風は周囲のものを軒並み薙ぎ倒す台風のようで、柚月も立っていられずその場に倒れこむ。
とにかく頭を守らなければ。
柚月は必死で頭を抱え込むように蹲りひたすら風が止むのを待つ。
数秒後徐々に弱まると、やはり核と呼ぶべき部分にはあの鼬がいた。
違うのは、鼬と柚月との間になんの遮蔽物がないということ。
強すぎる風のせいで今まで間にあった木々が軒並み傾き、鼬の周りに小さなサークルを作っていた。
鼬は風を操るのを終えるときょろきょろと周りの状況を確認するように見回している。
当然数メートル先に蹲っている柚月も丸見えになるわけで、鼬は嬉しそうに声を上げた。
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