第12話 気と霊力

 


(そうだった。鼬(仮)の攻撃に怖気ついている訳にはいかない。自分の目標はこれを従えているような存在なんだ!)


 柚月は両手に滲んだ汗をズボンで拭うと胸に手を添えて大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出した。


(澪ちゃんとの手合わせで一矢報いるために、何としても時間内に本を探し出してやる!)


 そのためには、と幹の隙間から周囲をくまなく見てみる。


 今のところあの場所から移動する気配はない。

 空中で右に左にふわふわと漂っているような印象で、恐らくまだ隠れ場所には気が付かれていないようだ。



 何でこちらを感知しているのだろうか。


(視覚か……? いや、視覚だとしたらこちらから姿が見えなったにもかかわらず真っ直ぐ僕に突風を放つのはおかしい)


 夜の森では人間の視覚では闇が広がっているように見えるだけで、しかもこれだけたくさんの木々が生えている状態で先に出発した自分を目で追えるようには到底思えなかった。


 もちろん獣相手に人間の常識が通用するとは思っていないが、それにしてもほかの方角へは突風を放った音もなかった。

 つまりは完全に柚月の居る方角がわかっていたということになる。


(……嗅覚? いや違うな。嗅覚ならこれだけ近くにいて気づかれないのはおかしいし聴覚にしても同じはず)


 普通の鼬なら優れた嗅覚を持っており狩りを得意とするだろうが、あの鼬に限っては聴力や嗅覚で獲物を追っている素振りが見受けられない。

 あの鼬が何を追ってここまで来たのかは、どれだけ考えてもわからない。



 ならば、と柚月は考え方を変えることにした。自分は先ほど何故あの鼬から逃れられたのか。


 確か突風が吹く直前に背筋に悪寒が走った。

 ここにいては危ないと本能的に感じ取ったかのようだったが、少なくてもあの直感的なものがあれば危険を回避できるかもしれない。

 どうにかその状態を維持して進めないだろうか。


「……」


 しかしながら、どうやってやったのかわからない。


 そもそも意識的にやったことではなかった。

 けれども本能的にやったことを物にしなければ到底夜の森の中から本など見つけられるわけもない。

 ここはどうしてもあの感覚を思い出さなくては。


(確か悪寒を感じて一瞬振り返った時にも、闇の中に何かが見えたような気もした。あれは何だっただろうか)


 思案に耽りそうになるが、当然鼬がじっとしていてくれるということもないだろう。

 じっくりと考えることができない状況下というわけだ。


 当の鼬は辺りを見回し、木の間をあちらこちらに飛び交っている。

 自分が隠れているこの場所もいずれは見つかってしまうだろう。

 そうなれば本を見つけることもできずに終わってしまう。

 それは避けたいところだ。


 柚月は考える時間を稼ごうと近くに転がっていた石を数個拾い上げ、自分の居る方向とは反対側に投げた。


 コツリという音がした。

 投げた先の木に当たり地面に転がったようだ。

 もしも聴覚で追ってきたのならこれに食いついてくれないだろうか、と様子を見ていると鼬が様子を伺うように顔を上げた。


 けれどもじっと音のした方向を見るだけでそちらに向かっていく気配がない。

 それどころか一瞬顔を上げただけで、数秒後には再び柚月が先ほどまで走っていた辺りを探し始めている。



 やはり聴覚で追ってきたわけではないらしい。


 けれども音のした方向をじっと見ていた。

 何かを探っていたのだろうが、それはいったい何なのだろうか…。


 もう一度、全神経を集中させて鼬を見てみる。


 ゆらゆらと空中を漂っている鼬は先ほどまで自分が走っていた付近の木々を中心に調べている。

 もっと言えば、一つの木をじっと見つめては別の木へ移るという動作を繰り返しているようだ。


(何かを見ている……?)


 鼬は何かを見定めるような動きをしているように思えた。


(視覚なのか? いや、もしかしたら見えているものが違う……?)



 そこまで考えると、ふと以前聖と剣道の手合わせをしているときに言われたことを思い出した。


 彼曰く、柚月はまだ“気や霊力”を操れていないらしい。

 気とは自然にあふれている生命力、霊力とは自身に宿った生命力だ。


 柚月にはイマイチ分らなかったが、聖はそれを剣に乗せて打ち込んでいるらしい。

 確かに、聖の剣は見た目に反してとても重い。

 自分の使っている木刀と同じもののはずなのに、圧倒的なまで打ち込みの重さが違う。

 そのくせ切り返しも早ければ、柚月の打ち込みは動きを予測しているかのようにひらひらと躱すのだ。


 柚月よりも先に剣を握っていたということを差し引いても同じような体のつくりでここまで差が出るものかと疑問に思ったが、気や霊力を視認できるようになればそれも可能なのだという。


 そんな都合の良いモノなんてあるのかと疑問に思ったのだが、ここでは気や霊力を視認し自在に使うことできて当たり前なのだという。


 そうでなければ隠と戦うことも、守りたいものを守ることもできないのだ、と少し目を伏せた聖は特に印象的だった。



 そうだ。

 この敷地内にいるものは隠と戦うために普通とは違う力を身に着けたものたちなのだ。


 それは動物であっても例外ではないのではないか。

 だとすればあの鼬も気や霊力を追ってきている可能性がある。



 試してみる価値はある。



 柚月は持っている小石に霊力を込めるべく力を入れてみるが、うんともすんとも言わない。


 それもそのはず。

 柚月は気や霊力を使ったことは愚か、視認したこともないのだ。

 何がどうなれば霊力を乗せられるというのだろう。



 石に霊力を乗せようと躍起になりすぎたのだろう。

 悪寒を感じてパッと顔を上げるとそこには熊のような小さな顔が迫っていた。


「うわぁ!!」

「キュ!」



 目が合うと同時に驚きで声が漏れる。

 いや、なんでお前(鼬)まで驚いているんだよ。というツッコミを入れたくなるが、そこはぐっと堪え素早く立ち上がると一目散に逃げだす。


 やはり後ろからは追ってきている気配がビンビンに伝わってきて、このまま走っていてはすぐに追いつかれてしまうということが嫌でもわかる。


 柚月はパニックを起こしかけながら、何とか現状を打開しなくてはと手に持っていた石ころを手当たり次第に投げつけた。

 手持ちがなくなるとポケットに入れていたものを取り出しては投げ取り出しては投げを繰り返す。


「キュ、キュウ」


 そのうち2,3個の石が当たったのか後ろから鳴き声が聞こえてくるが、確認している余裕などない。

 鼬がこちらから一瞬目を離した隙に、坂道を一気に駆け下り岩の陰に潜む。


 下り坂というよりは二階くらいの段差があったのだ。

 半ば落下のように駆け下りたため手に持っていた小石はすべて坂の上に落としてしまったようだ。


 岩陰から息を潜めて坂上を見ていると数秒後に鼬がゆらゆらとやってきたのが見えた。


 息を殺す。


 ゆらゆら、きょろきょろ


 その間数秒。


 鼬は落ちている石ころに近づいてじっと見てはきょろきょろを繰り返していたがやがて諦めたようにその場を離れ坂の上を探し始めた。


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