第11話 鼬、出現

 


 そこからは本当に一瞬で、澪に連れられて山に入ったかと思うとどこからともなく現れたのがあの鼬だった。

 澪は何食わぬ顔で鼬を抱き上げると普通の小動物を愛でるかのように触れ合いだした。


「よしよし。今日も毛艶よし、元気よしで可愛いね」

「キュウ!」

「え?? 何? その動物」

「この子? この子はキューちゃんだよ。今日君の相手をしてくれるの」

「は?」


 そう言いつつ鼬の腹を撫でまわす澪に思わずと言った様子で声が漏れた。


「ん? 何か不思議?」

「え、いやだって。そんな小動物とどう試験をするっていうの?」


「え?」

「キュ?」

「え?」


 逆に不思議そうに見つめられて再び疑問の声が出る。

 何なら獣も不思議そうにこちらを見つめているではないか。


 一拍の後、盛大な溜息が澪から漏れた。


「やっぱりまだまだだねぇ、柚月は」

「はぁ? 何急に」


 やれやれというように首を横に振る澪に、一回殴っておきたい衝動に駆られたのだが、自分が振りかぶったところで楽しそうに躱されておしまいという結末しか見えてこなかったためぐっとこらえることにした。


 柚月は澪の実力だけは信じているのだ。


「目に見えることだけで物事を判断したら痛い目に合うよって、いつも言っているだろう。この子はこう見えてとっても優秀な式だよ?」

「これが……?」

「あ、信じてないな?」

「キュキュウ」

「ね。失礼しちゃうよね」

「キュウ」


 獣は言葉を理解しているのか澪としゃべり合いをした後、こちらをジトっとした目で見つめてきた。


 僕がおかしいのだろうか、と柚月は思ったがよくよく思い返しても澪の言葉をうのみにしてはいけないと思い直す。


「澪ちゃんは今までの言動を見つめなおしたほうがいいと思う」

「えーなんのこと?」


 悪びれもせずニコニコと笑っている澪は、これ以上言っても聞きはしないのだろう。

 このままではまた揶揄われて終わりだ。


 ならば、と話の続きを促すことにした。


「……それで? この子が優秀な式だとして、どうやって試験するっていうの」


 少し物調面になっていたのか、澪はにんまりとした意地の悪そうな表情で笑っている。

 きっと頭の中でどう弄ってやろうかなどと言ったことを考えているのだろう。


「そうだなぁ、手合わせより追いかけっことかのほうがいいかな。試験だし」

「追いかけっこ~? 試験っていうよりお遊びじゃないのそれ?」

「うん。だってキューちゃんが本気で相手したら柚月、無事じゃすまないよ?」


 鼬の顎を撫でながら何でもないというような顔をしている澪の言葉が本意かそれとも冗談なのか、いまいち推し量れない。


 とはいえ獣相手に自分が傷つけられるということを前提に話をされるのは癪に障る。

 毎日訓練をしていたし、何ならお坊さんの修練にも付いていけるようになったという少しの自負もあった。


 柚月は少しむっとして獣を見た。

 やはり寸胴で可愛い見た目をしている。


(これが僕よりよっぽど強いって)


「いやいや、ないでしょ。だって獣相手だよ? それに僕最近じゃ落とし穴も全部避けれてるし、だれを選んでもその人がどこにいるかっ探し当てられるようになったし」

「ふーん? そこまで言うならちょこっと様子見させるけど、本当に大丈夫?」

「よゆーだって! で、何をするの?」


 柚月は自分の成長ぶりを自覚していた。


 だからこそ余裕綽々と言った物言いをしたのだった。


「……そうだね。じゃあ私が森のどこかに置いてきた本をとってここまで戻ってくることにしよう。それで先にここへ着いた方が勝ち」

「それだけ?」


 拍子抜けだった。


 澪のことだから、また無茶な課題でも出すのかと思っていた柚月は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。


「そう。ただし、柚月が動き出した後数分したらキューちゃんを離して妨害をしてもらう。そのつもりで挑みなさい」


 柚月は少し思案して頷く。


「わかった。制限時間は?」

「……そうだね、じゃあ2時間以内で。それまでに帰ってこられたら私が手合わせしてあげる」


 現在の時刻は午後6時半を回ったところ。

 3月なので辺りは6時台と言っても暗闇に包まれてはいるが、2時間後であっても午後8時だ。手合わせをする時間は十二分にある。


「本当!?」

「もちろん。……ただし甘く見ないほうがいいよ。しっかりと状況を見極めて考え続けなさい」

「大丈夫! 分かってるよ」


 その時の柚月は完全に浮かれていた。

 何しろ澪自ら手合わせをしてくれることなどほとんどなかったから。


 それは澪が意地悪だというわけではなく、隠を討伐に向かう澪は不規則なリズムの生活をしていて学校から帰ってきた柚月と訓練をするほどの時間がなかなか取れないという理由だった。


 もちろんいるときは稽古をつけてくれと強請るのだが、それも途中で仕事に赴かなくてはならないことも多い。

 だからこそ澪からの手合わせのお誘いには身を乗り出した。

 全身がうずうずするのを自身でも感じ取れるぐらいに。


 もちろん自分でできるトレーニングはしてきた。

 学校から帰ってから、基本的な体力や筋力向上のために筋トレや走り込みはもちろん、澪がいない日は敷地内にいるほかの人と手合わせをしていた。


 ある人からは剣道の稽古を、またある人からは空手の稽古を……といった形で実に様々なトレーニングではあったが、それでも得るものは多かったと柚月は自分のことながら思っていた。



 それでも月に2回行っている澪との手合わせの際にはまだ一度も、一本たりとも取れたためしがないのだ。


 それは剣道をはじめとする武術は愚か、バランス感覚の勝負や知識量などでも同じ結果であった。

 それどころか武術では柚月の攻撃はすべて躱されて終わりで、むしろ澪が攻勢に転じたところを見たことすらなく、毎回体力が尽き果て柚月が転がって終わるのが通例となっているところがある。


 その度にまた駄目だったと落ち込みはするのだが、同時に自分の目標は自分のはるか先にいると実感し自身ももっと近づきたいと願うようになった。

 今日こそは、と意気込むのも無理はなく、柚月は興奮も冷めやらぬまま夜の森へと足を踏み入れたのだった。



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