第10話 裏山、入山

 

 それにしても、一度は死んでしまうかもしれないというけがをしたというのに外傷も殆ど残ることなく、ここまで回復できたのには当人も柚月も驚いたものだった。


 奈留も治療と生活面の面倒を見てくれているここの人達に感謝の念を抱いており、いつも寺の掃除や食事の用意、時には兄や坊主たちのサポートを買って出ていた。


「おや、今日は奈留ちゃん神社にいなくてもいいの?」

「はい! 今日の分のリハビリも勉強も終わりましたし、夕餉の時間まで少し時間が空いているのでお手伝いを。と思いまして」

「いい子だなぁ~」


「いえ! それに…今日は澪ちゃんも来るって聞いていましたし、お兄ちゃんだけじゃなくて私も会いたかったので」

 少しはにかみながら頬を指で掻く奈留に、澪は天を仰いだ。


 いや、わかる。奈留可愛い。流石は僕の妹。

 柚月もつられて天を仰いだ。

 彼はシスコンであった。


 仕方がないよね。だって唯一の兄妹だし、あんなに怖い思いをして死の淵まで見たのだ、兄である僕が守ってあげないといけないだろう。

 といった具合にシスコンを正当化しているのである。

 それはもはやシスコンというより過保護の域に入っているのだが、彼はそれを隠しているのである。


 理由は簡単。妹に嫌われたくないからだ。

 とはいえ隠しきれていると思っているのは柚月だけで、実際は兄がシスコンであることも知っているし、最近は少しそれを恥ずかしく思うようになっているのだが、それは知らぬが仏である。


「? お兄ちゃんも澪ちゃんもどうしたの」

「「……いや、別に?」」

 こういうところは似た者同士の師弟である。


「そう?」

 奈留は運んで来たほうれん草のお浸しを二人の前に置きながら話を続ける。

「澪ちゃんは、今日はどのくらい居られるの?」

「あ、そうだった」


 澪は手をポンと打つ仕草をしながら視線を柚月に向けた。

「今日はこれから柚月を山に連れて行こうと思っているの。だから少なくとも明日の朝まではここにいるつもりだよ」

「山って……裏にあるあの山のこと?」

「うん、そう」


「あそこって入るの禁止にされてなかったっけ?」

「そうだよ。柚月も寺の子たちに話を聞く限り、もうそろそろあそこに入ってもいいかなと思ってね。一応今日が試験みたいな感じかな」



 もぐもぐと口を動かしながら事も無げに言い放つ澪に、柚月は食いついた。

「ちょっと待って、試験!?」

「うん」

「聞いてないけど!?」


「だから今言ったの。まぁ試験って言っても簡単なものにしようと思うし、気負わずにやりなよ」

「本当に澪ちゃんは大事なこと言い忘れるよね!? ……はあ、わかったよ」

「はは、理解してくれてるみたいで嬉しいよ」


「……」

 理解をしているというわけではなく諦めなのだが。


 そんなことお構いなしに澪は出されたおかずをちびちびと口に運ぶ。

 上に乗せられた鰹節がふわふわと揺れていて美味しそうだ。

「ほらほら、早く食べて準備しないと日が暮れちゃう…いや日が昇るまでに終われないよ」

「え?」


 普段ののんきな口調のまま冗談なのか本気なのかわからない言葉が飛び出してくる。

「ほらほら」

「……」

「あ、はは。まあ頑張ってよお兄ちゃん」


 きっとジトリとした湿度を帯びた目をしていたのだろう。

 自分と澪の顔を交互に見比べた奈留が場を取り持つように言った。


 この人には何度肝心なことは前もって言ってくれと言っても駄目なのだろう。

 仕方がないという思いを、差し出されたお浸しと共にかみ砕くと飲み込んだ。


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