第7話 霊媒体質と吉報

 


 げんなりとした表情をした澪は、それを振り払うように頭を軽く振るうと空気を換える様に顎を上げた。


「逆に益を為す隠は小さな幸福が多数集まって生まれることが多いから、そんなに大した力を持っていないの。

 精々、生まれたその人の近くにいて回りの悪意から守ってくれる程度みたい。でも、誰かに幸せになってほしいと願われた人には小さな幸せがやってくることが多いけどね。守護霊とか、虫の知らせとかもこっちに入るのかな」


 小さな幸せでも寄り集まれば人に幸福をもたらすものになるから、と話す澪はとても柔らかい微笑みを称えていた。



「と言っても神様とかは全く別口だよ? もともと核となる逸話や伝説があってそれを人間が信仰しているから力を持っているっていう感じだし、人間から生まれたわけではないからね。……まあ信仰を失ったら力を失うのだろうけれど」



 それにしても、と大きな伸びをすると澪は柚月の顔をまじまじと眺めた。

「君達は運がよかった。普通に考えれば崖から車で落ちて擦り傷程度で済んでいるのも奇跡に近いのに、あのレベルの隠…妖に襲われて子供が2人も生き延びたのは本当にすごいことだよ」

「え?」

 言われて見れば確かに。



 柚月は今に至るまでずっと必死で過ごしていたため深くは考えなかったが、車が崖から落ちた時も木々がクッション代わりになったため助かっている。

 普通であれば地面に打ち付けられたり、木が突き刺さったり、とにかく生きている可能性は低く、傷もこれだけで済む可能性などほとんどないだろう。


 あの妖に襲われたときも間一髪で助けに来られた。


「よっぽど君には幸せを願ってくれる人がいたのね」

 にこりと優しい眼差しを向けられるとどういう反応をしたらよいのか分からなくなるが、そうであるのなら、きっとそう願ってくれていたのは父と母だろう。



(…そうだといいな)

 柚月はじんわりと胸が温かくなるのを感じた。

 胸に手のひらを当ててみる。

 ドクンドクン、と規則正しく一定のリズムを打っている。

 生かされたのだとしたら、大切にしなければ。

 柚月は改めてそう感じた。



「君たちの両親は君たちをとても大切に思っていたんだね。じゃないと柚月は助かっても奈留ちゃんは怪しかっただろうから」

「え?」

「親から何か話を聞いてなかった? 奈留ちゃんの体質について」

 奈留の体質? なんだそれは。



「特に何も…。昔から体が弱いってこと以外は、特に」

「そう、それだよ」

「それ?」

 澪は首を縦に振り、じっと柚月の目を覗き込むように見つめた。



「体が弱かったんでしょ? それが奈留ちゃんの特異体質だね。周囲の感情を他人よりも多く感じたり負の感情を取り込んじゃったりして体調を崩す、もしくはその感情につられてしまう体質があって、それらの子を霊媒体質と呼んでいるわ」

「霊媒体質…?」



「そう。この体質の子たちは生者の出す感情も隠の出す感情も感じ取りやすくて、隠たちからは自分のことをわかってもらえると思われてよって来られるから、隠とも遭遇率も高いの。奈留ちゃんもそうだと思うよ」

 奈留が霊媒体質? 

 だが、つい先日まで隠なんて見たことがなかった。



 柚月は信じられず、視線をさまよわせた。

「いや、だってついこの間だよ、隠なんて見たの」

「そう。だからご両親がとても大事にされていたんでしょう。奈留ちゃんには術の掛けられたお札が持たされていたから」

「術? 札?」



 今度は何の話だろうか。

 分からないことばかりで頭が痛くなってきた。

「ええ。目くらましの術と感知低下の術式だったかな。彼女のポケットに入っていたお守りの中に入っていたわ」

「そんなものが…」

 目くらましは隠に対して、感知低下は奈留に作用していたようだ。



 そんなものちっとも知らなかった。

 衝撃を受けている柚月であったが、澪は説明を続ける。

「うん。だけど効力がだいぶ弱くなっていた。だからここに向かっていたのだろうね」

「ここに? ……ここって僕たちの目的地だったの?」

「うーん正確に言うと目的地とはちょっと違うけれど、大まかに言えば術の掛け直しをやってもらいにこの山の中腹の村に行こうとしたんだろうね」



 澪は人差し指を顎に下にくっ付け小首をかしげた。

 何か不審なことでもあったのだろうか。

「何? どうかしたの?」

「あぁ、いやごめん。なんでもないよ」

「?」



 疑問に思い口を開きかけた時、部屋の外、縁側の方から声がかかった。


「ちょいといいかい」


「はい、どうぞ」

 柚月は反射的に返事をした。



 襖を開け入ってきたのは僧正だった。

 切れ長の目を細めて二コリと笑うと部屋に入ってきた。

「あれ? どうしたの僧正」

 澪は驚いたように腰を上げた。



 僧正は軽く手を上げてそれを制す。

「ああ、いやそのままで大丈夫だよ」

「そう?」

「用があるのは柚月くんにだから」



 ちらりと視線を向けられると、なぜだか背筋を伸ばして正座をしなくてはいけない気分になる。

 それも分かっていたのか僧正は軽い調子で畳に胡坐をかいた。



「座布団使う?」

「いや、大丈夫」



 澪は先ほどの一瞬の緊張などもうなく、気楽に尋ねている。

 それに対する僧正も気楽なものだった。

「それで?」

 伺うように顎をくいっと上げた澪は話を促した。

 ああ、うんと気の抜けた返事をする僧正はややあって話をしだした。



 何というか、ここの人たちはペースがゆっくりな気がする。

 澪にしろ、僧正にしろ、よく言えば器が大きい、悪く言えばマイペースな人が多いのだ。

 まあ、いいのだが……。



「奈留ちゃんの負っていた火傷だけど、もう私が治療しなくても大丈夫になったよ。明日からは目の傷の治療に専念できるから、交代で弟子たちに診てもらうつもりっていう連絡をしようと思ってね」

「本当!?」

「うん。火傷の跡もあと数日で消えるし、もう心配ないよ」


「……っ! よかったぁ」

 力の入っていた体から一気に力が抜けてぐらりと倒れこむようにして正座を崩した。



 その様子をニコニコと人の好い笑みで眺めていた僧正。

 やれやれという感じで畳に手をついて眺めている澪。

 そのどちらからも安堵の色が見て取れる。



「奈留ちゃんももう明日には目を覚ますと思うから、柚月くん」

 僧正が真っ直ぐに柚月を見る。


 力の抜けた体を気合で起こした柚月はぐっと腹に力を入れて僧正を見つめ返す。

「はい」

「ちゃんと妹さんの面倒を見てあげるんですよ。たぶん、パニックに陥ったり気落ちしたりをすると思いますから」



 それはそうだろう。

 柚月だって相当気落ちをしていた。両親を失い妹も失ってしまうのではないかと、気が気ではなかったのだが、それでも妹さえ無事でいてくれたからこそ気を保てていたのだ。



 だが奈留は訳も分からないだろうし、何より傷が深い。

 痛みや恐怖と言った感情は柚月よりも何倍も強いだろう。



「分かっています。兄として、奈留をしっかりと支えます」

「よい返事ですね。ではそういうことで私は朝の修練へ向かいます。柚月くんも澪もまだ朝餉を食べていないのだろう? しっかり食べてきなさいね」

「あ、はい!」

「はぁい」



 僧正はやはり見た目とは裏腹に、終始穏やかな声色で出て行った。

 それを見送った二人はどちらからともなく立ち上がる。

 部屋の時計は午前7時30分を少し過ぎた所だ。



 頭を使ったからか、それとも安心感からか、意識した途端にお腹が鳴りだした。

「お腹、減ったね」

「そうね。そういえば私、昨日の夜も何も食べてなかったな。なんか胃に優しいものあるかしら」



 お腹を軽くさすりながら忘れていたという澪だったが、その様子は飢えている状態には見えなかった。

 本当に空腹を感じていないのか、はたまた空腹状態に慣れているのか。

「ええ、そうなの? たくさん食べないとだめだよ! 体が動かせなくなっちゃうってよく言われたもん」

「はは、そうね。しっかりと食べないとね」



 二人の声色は穏やかだ。

 そんな会話をしながら食堂へと続く廊下を歩く二人の顔を、いつの間にか雲の隙間から顔を出した朝日が柔らかく照らしていた。




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