第4話 アンナ・アントン
私は掃除婦でした。あの方の泊まっていたホテルの部屋の掃除婦。ただそれだけでした。
この仮面の下が気になりますか。見たら驚きますよ。見ないことをお勧めしますわ。この下は隠さなければならないほど醜いの。わけは、聞かないで。……私はあなたを撃ち殺したいわけではないのよ。
……冗談です。本気になさらないで。
あの方との馴れ初めくらいは、教えてあげられますから。
私はあの方の妻ではなく、情婦に過ぎなかったのではないかと、今も思うのです。ただ彼の、突き上げるような性欲の吐口として、掃除婦が選ばれたに過ぎないのではないかと。
それくらい唐突でした。まさか自分が掃除したベッドの上で、初めてを奪われるなんて思ってもみませんでしたし。彼がホテルに滞在する間……何度も関係しました。そのあと、急に妻にされるとも思っていませんでした。階段を一段飛ばしに走り抜けて、誰かと競走でもしているみたいな人だったわね。
あの人は情熱的だった。まるで私自身が全て許されて愛されているみたいだった。夢のような時間だった。
でも、夢だったのよね。彼が愛していたのは……私じゃなく、ヴィーナスの欠けた腕なのよ。
僕のヴィーナス。ね。ふふ……。
ロジャー・アントンというのはそういう人だったのよ。肉欲に支配された男。欠けた腕の情婦が欲しかっただけの……。ただの、変人だったのよ。かわいそう。かわいそうにね……。
……ごめんなさい。涙を拭きたい。あっちを向いていて。
厭ね、何年も前に死んだ男のために泣くの。私を愛していたわけでもない男のために泣くの……。
顔全体を覆っている白いマスクが外されると、顔の上半分がひび割れていた。額が割れたような、裂けたような、恐ろしい顔が浮かび上がった。ほおや眉間の肉は割れ、皮膚はミミズのように跡を残し、ところどころ灰色に変色していた。私は彼女の顔を食い入るように見つめた。ひどく醜い女だった──。
「見ないでと」
アンナが微笑む。口元だけは美しい──おぞましい笑顔だった。
「見ないでと言ったのに。酷い人ね」
それから彼女は涙を拭って、呟いた。
「私……ずっとずっと思ってた。美しくなりたいって。今も思ってる」
屋敷の人々が口を揃えて、奥様は美しいと言うのに。目の前の女はひどく醜い顔を白い面で隠して生きている。
「美しくなりたかったの。美しい顔になりたかった。これはその罰」
誰かに囁くように女はいい、手をひらりと振った。
「私から話せることは、もう何もないわ」
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