第10話-3

 続く七番もセカンドゴロに抑え、ノーアウトで救援したこの回をゼロで切り抜けると、手厚い歓迎が待っていた。


「お前、なんで素人のフリなんかしてやがった!?」


「ドッキリ? やめてよ心臓に悪い」


 不破と加賀美に怖い目で詰め寄られ、要は反応に困った。隠していたつもりはなかった。ただこの一週間、練習内容的に肩を披露する機会がなかっただけだ。


「一条もナイピ! まーお前の実力は知ってたけどなぁ」


 不破に背中を叩かれて、夏生も俺の隣ではにかんだ。


「色々驚かされたけど……とにかく、二人のおかげで一気に空気が変わった。よくやってくれた。今年の一年は怖いなぁ」


 称賛が飛び交う輪の外で、山路が一人居心地悪そうにうつむいた。


「二点差だ。この回一気にひっくり返そう!」


 おおっ、と盛り上がったところを挫くような変化が相手にあった。五回裏のマウンドに上がったのは、初回から投げ続けていた背番号十ではなかったのだ。先発投手より一回り小柄なシルエット。短く刈り揃えた頭でも映える、目鼻立ちのしっかりした色男。卒業して髪を伸ばしたら一気に垢抜けそうな美形である。背番号は、一八。向こうも投手交代か。


「夏生、あのピッチャーのデータは?」


「……ないよ」一八番の顔を一目見て、夏生は首を振った。


「ボクが調べた各高校の情報は最新で去年の冬まで。だから、今年のデータはないよ」


「……なるほど、てことはあの一八番」


「うん。ボクらと同じ一年だ」


 光葉ナインに動揺が走る。確かに、あの投手の体つきはまだ発展途上という感が否めなかった。しかし部員数八十を超える名門で一年から背番号をもらうなんて、並大抵ではない。


「この回、次誰からだっけ」


「山本だろ?」


「俺もう下がってるぜ」


「あ、そうか」


 八番の山本に代わって今出場しているのは――要だ。


「行ってきます!」ベンチを飛び出し、右打席に入った要に対して、代わった相手投手がボールを握る手は、左。この一年生はサウスポーか。要は静かに目を閉じて、息を吐いた。


「打つ」目を見開く。せっかく流れを変えて臨む裏の攻撃。どんな形であれ、先頭バッターとして塁に出なければならない。この一週間、一番力を入れて練習してきたのがバッティングだ。絶対に、結果を残す!


 相手投手が振りかぶる。来い――闘志に燃える要の表情が、次の瞬間一変した。


 相手投手の、打者に背中を向けるような体勢から振り抜かれた左腕が、地面と水平に伸びたのだ。――左の、サイドスロー……!?


 白い光の矢が胸元を抉った。たまらず吹き飛ばされ、たたらを踏む。左投手の横手投げから右打者の内角へ、対角線上に放たれた火の出るようなストレート。要は勉強していたから、こういうボールを何と呼ぶか知っていた。――クロスファイヤー。


「ストライーク!」


 あとで夏生から聞いた。このときのスピードガン表示は、『一三三キロ』。夏生の球より三十キロ以上速い。夏生と酷似した投球フォームから放たれる、夏生とは比べ物にならない威力のストレート。


 二球目、今度はあまりに遠いゾーンを白球が一瞬で通過した。何千回と素振りしたのに、ここにきて、バットの振り方を忘れる。大丈夫、落ち着け、今のは手を出さなくて正解だ。


「ストライーク!」


 思わず球審を振り返った。今のが、入ってる? 地面と水平に腕を振ってリリースすることで、綺麗な横回転がかかり、シュートボールのように外へ逃げていく球だった。要からは完全にボールに見えたし、なんなら、バットをめいっぱい伸ばしても当たりそうにないくらい、遠く感じた。


 三球目。インハイ、アウトローと来て、最後はど真ん中に来た。必ず振ると決めていたから、今度こそバットが上手く出てくれた。打てる――


 その瞬間、ど真ん中に来ていたはずのボールが、突然横滑りして要の方に向かってきた。バットが空振る。スイングの勢い余って膝をついた要と、マウンド上の投手の目が交錯した。それほど大きくない体から放出する、異様な威圧感。形の良い目が要を捉えて、すぐに反らす。路傍の石など気にも止めないという王者の貫禄。


 さっきの球は――スライダー……だよな?


 ベンチに戻りながら、自分の知るスライダーとのあまりの差に愕然とする。夏生のスライダーは球速がない分、山なりに大きく変化するが、彼のスライダーは打者の手元で急激に曲がる感じだった。球が生き物みたいに唸りながら飛んでくる。夏生のボールとは、次元が違う。


 要は今まで、夏生の球が遅いのは、女だからというだけでなく、横から投げているからだと思っていた。夏生がひたすら球速を磨いても、女の筋力では限界がある。だから夏生は小学三年生にして、変則フォームで制球力と変化球を武器に打ち取るスタイルを選んだ。


 サイドスローとはそういうものだと思っていた。球速を犠牲に、その変則性で打者を打ち取る搦め手なのだと。あれが、本当の――一流のサイドスロー。


「当てつけみたいに代えてくれちゃって……」


 桜火ベンチで老獪に笑う浦島に向かって、入れ替わりで打席に立った佐藤が憎々しげに呟く。その佐藤、更には爽介までも簡単に打ち取られ、三者凡退。戻りかけた流れは、たった一人の一年生投手によって完全に向こうへ持っていかれた。


「ナイスピー、二階堂にかいどう!」


 桜火ベンチが叫んだその名が、要と夏生の頭に焼き印みたいに刻み込まれた。そのとき、要は、決して考えてはならないことを考えてしまった。


 もしも夏生が、男に生まれていたら――こんな投手になれていたのだろうか。


 野球は、流れのスポーツである。要はそれを、この日初めて痛感することになる。

六回表、桜火の攻撃。夏生は一挙に五点を失った。

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