第4話-3

 ――第一関門、クリアだな。


 自己紹介を終え、整然としていた輪が崩れるのと同時に、要も大きく息を吐いて緊張を解いた。隣では夏生が、今にもへたれこんでしまいそうなほどに脱力して天を仰ぐ。


「よかったぁ~……すんなり入部認めてもらえて……」


「変に誤魔化さず、ちゃんと覚悟を伝えたのがよかったんじゃないか」


「怖かったよぉ~……!」


 男子野球部に、選手として入部したい――そんな奇特な女子を、はいそうですかと即座に歓迎してくれる野球部は稀だろう。夏生がこの高校を選んだ理由の一つは、もしかしたらこの柔らかいチームの雰囲気なのかもしれない、と要は納得した。


「いい雰囲気のキャプテンだな。最初はちょっとナヨいかと思ったけど」


「うん! 去年の夏大会を見てたから、実はちょっと知ってるんだ。苦しい展開が続いて終盤かなりイラついてたピッチャーを、佐藤さんが何度もマウンドに行って鼓舞してた。すごく頼もしくて、かっこよくて。来年は絶対この人が主将になるって思ってたよ」


「マウンドに……じゃあやっぱり、キャプテンのポジションは」


「うん。捕手だよ。ライバルだね、要」


 副主将の田中と談笑する佐藤の横顔を見つめる、要の目が激しく燃える。


「なんか、久しぶりだ、この感じ」


「なにが?」


「限られた椅子をかけて、レギュラーを争う、このヒリヒリ感――たまんねえな」


 思わず口角をあげた要を、夏生は遠い存在を見るように見上げた。


「要は、根っからのスポーツマンだよね。これからどんどん、あっという間に上手くなるんだろうな」


「なんだ? 俺が上手くなるのが嫌みたいな言い方だな」


「そんなわけないじゃん。ないけど、なんだろ。ボクにはないものばっかり持ってる要が、時々羨ましくなるよ」


 眩しそうに目を細めた夏生の笑顔は、いつもより儚く見えた。


「――すんません、遅れました~!」


 そのとき、練習着姿の少年が一人、小走りにグラウンドへやってきた。


「おお、不破! 早いね! 学年集会はもう終わったの?」


「はい! 早く野球やりたくて走ってきちゃいました!」


 一目見て二年生の先輩だと分かり、要がまず挨拶する。そのド迫力につられて一年全員が続くと、不破と呼ばれた少年は鋭い目をまん丸にして立ち止まった。


「うお、一年か。元気いいなぁ。初日でこんなに集まるなんて、今年はすごいっすね」


「そうでしょ!? しかも逸材ばかりなんだよ!」


 自分を褒められたみたいに喜ぶ佐藤に、少年も「ほえ~」と感心げだ。


「皆紹介するよ。新二年生の不破ふわ竜児りゅうじ、見た目はちょっと怖いけどいいやつだから」


「よろしく~」と要たちに手を振る不破。佐藤の言う通り、焦げ茶色の長髪を後ろでくくった奇抜な身なりにギョロリとした三白眼はいかついが、笑顔はずいぶん人懐っこい。


「……ん? 女子マネまで初日から入部希望っすか?」


 不破の笑顔が、夏生を見つけて消えた。


「あ、いや、彼女は選手希望だよ」


「は、選手? ………………“なんで”?」


 あまりにも純粋で、鋭利な三文字だった。きょとんと不破に見つめられて、夏生の顔が凍りついたように強張る。不破は目を見開いたまま、数歩夏生に近づいてきた。


「キミ、るいのファン?」


「え……はい?」


「違うの? じゃあ碧都あおと目当て?」


 困惑する夏生に、不破は顔をしかめて要たちを見渡した。


「それとも、この中に好きな奴でもいるパターン?」


 夏生は、異国の言葉で畳みかけられているみたいに、呆然と立ち尽くす。要もまた、この男が何を言っているのか、しばらく全く分からなかった。


「違う、不破! 一条さんはそういうんじゃないから!」


「またそうやって、慎之介さん。去年だけでクソ邪魔オンナが何人湧いたと思ってんすか。こういうのは早めに潰しとかないと増殖しますよ」


 不破が佐藤をたしなめる。まるで目の前の夏生を、佐藤が誤って紛れ込ませたゴキブリか何かみたいに。


「そういうわけで、冷やかしなら帰ってよ。ワリイけど俺ら忙しいから」


 他人向けの笑顔。返答を待つように、じっと夏生を見つめる目は全く笑っていない。


 隣で、火山が噴火する寸前だった。今にも不破をぶん殴りそうな勢いで進み出た誠を、爽介が抱きついて抑える。


「離せ、アイツぶっ殺してくる」


「待てって。何でもかんでも夏生を守りすぎだ。アイツがそんなに弱く見えるか?」


 長い付き合いだけあって、爽介は誠の扱いをよくわかっている。こう言われたら誠は矛を納めるほかない。


「これは夏生の問題だ。あいつがなんとかするしかないぜ」


 普段はバカでチャラくて、夏生の弟みたいな爽介だが、時々こんなふうに、兄のように見えることがある。幼馴染である二人は、まだ知り合って一年足らずの要よりも、ずっと長く濃密な時間を共有してきたのだと、そのたびに思い知らされる。


 要たちの見守る前で、夏生はうつむき、震えていた。気弱で、相手の顔色を敏感にうかがう性格の夏生が、野球部の先輩相手に、それも初対面で何か言い返せるとは思えなかった。せめて泣くのをこらえるのが精いっぱいだろう。誠の額に青筋が浮かぶ。


 要は一方で、不破の言い分にも一定の理解を示していた。


 ゆるふわに整えた髪、年相応に短いスカート、薄くながら施された化粧――知らない者が初めて彼女を見たとして、誰が夏生をスポーツマンだと見抜けるだろうか。無駄に顔が良いこともあって、夏生はどうしてもチャラついて見える。似合うのはスタバのカップであっても白球ではない。ハンドボールに命を懸けていたあの頃、こんな女が現れて「男に混じって試合に出たい」と言い出したら、要もさすがに冷やかしだと断じてしまっただろう。


「爽介の言う通りだ、誠。そもそもこんな大事な日にチャラチャラめかし込んできた夏生も悪い。あんなナリじゃ、覚悟も何も伝わらないだろ」


「あああ!? 夏生を悪く言うやつは、たとえお前でも殴るぞ要ェ!」


「まーまーまー」と誠をなだめつつ、爽介は要にも、あの兄のような顔を向けた。


「要、夏生は女の子なんだぜ」


「は? 知ってるよ、そんなこと」


「いいや、全然わかってないね。まあ夏生は、お前のそういう『女扱いしないところ』が気に入って相棒にしたんだろうから、普段はそれでいいんだけどよ」


「……何が言いたいんだ?」


「今日夏生が、なんで目いっぱいオシャレして来たのか、それすらわかんねえやつには言ってもムダだろ」


 けけけけっ、と軽快に笑う爽介に、要と誠は目を合わせて首をひねった。


 ――そのとき、うつむいたままだった夏生が、初めて声を発した。


「不破先輩――」


 そう対面の相手を呼ばわり、顔をあげた夏生が――笑っている。


 鳥肌が立った。真っすぐ不破を射抜く夏生の目に、光がない。夏生の心は笑っていない。ものすごく、怒っているのだ。初めてあんな顔を見た。爽介が白い歯を見せる。


「打席に立ってください」


「……は?」


 不破の目は滑稽なほど丸くなった。ハムスターに突然指を食いちぎられたような顔だ。


「一打席勝負をしましょう。ボクがピッチャー、先輩がバッター」


「……お前、俺をなめてんのか」


 言葉の意味を理解するにつれ、不破の目に燃えるような敵意が漲る。しかし、それも一瞬。


「なめてるのはそっちでしょ」


 即座に低い声で切り返した夏生に、不破は絶句するほかなにもできない。


「投げて、証明します。ボクが野球選手だって」

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