第1話-2

 かくして、要は夏生たちのチームに飛び入りで加わることとなった。


 会話の一部始終を聞いていたメンバーは、ほとんどが要を歓迎してくれた。いくら初心者の助っ人でも、人数が足りない状況よりは圧倒的にマシということだろう。特に大喜びしていたのが、夏生ほどではないが小柄な、爽介そうすけという少年だった。大きな猫目と緋色がかった茶髪が特徴的な、とにかく騒がしい男である。


「マジで!? 助っ人!? アガる!!! ふぅーーーーーー!!!!」


 いかにも軽くてチャラい印象だったが、爽介の馴れ馴れしさは好ましかった。二言三言交わしただけで、もう旧知の仲みたいに遠慮がいらなくなったというか。壁を感じない、不思議な空気感を持っていた。輪の中に要がすんなり溶け込めたのは、爽介のおかげである。


 だが、素人の要にキャッチャーを任せると夏生が言ったときの反応は、全く芳しくなかった。取り分け目くじらを立てたのが、一人輪の外で、ずっと品定めするように要を睨んでいた大柄な少年である。彼は、キャッチャーのプロテクターを着けていた。


「キャッチャーが素人に務まるわけねぇだろ。夏生、そいつにはライトの端っこでも守ってもらえよ」


 中三にして身長一八〇センチ近い要と遜色ない上背、体つきも逞しく、剃り込みを入れたツーブロックと凶悪な三白眼が厳つさに輪をかけていた。


「そんな言い方ないでしょ、まこと。僕が無理言って助っ人頼んだんだし、やりたいポジションやらせてあげようよ」


「一球ごとに後逸されまくってたら試合になんねぇだろうが。……それに、お前のキャッチャーは、その……俺だろ……」何やらごにょごにょ言っている。結局夏生には逆らえないようで、誠はぶすっとしながらも、要にプロテクターの付け方やキャッチャーの基本的な知識を手ほどきしてくれた。悪いやつではないようだった。


 あらかた教えてもらったあたりで、うちの攻撃が終了した。それぞれ粘るも三者凡退で、六回裏は無得点。最終回にしてスコアは四対五とリードしており、ここを抑えれば勝ちだ。


 相手は誠いわく、地元の高校生が寄せ集められた即席チームだった。なんでも今日は夏生のために集まってくれたらしい。


「今日は夏生の引退試合だからな」


 誠は仏頂面で意味深なことを言った。


 最終回表の守備が始まる。キャッチャーのポジションに、要が入る。ジャージの上からプロテクターとマスクを装備した姿はいかにも素人臭く、相手チームの連中からもクスクス笑われる始末だったが、飛び入り参加の要をみんな暖かく迎えてくれた。

 日が高く昇りはじめていた。夏の暑さが片鱗を見せ、重装備の体がじんわり汗ばんでいく。仲間が守備に散っていく中、夏生が要を呼び止めた。


「緊張してる?」


「いや、別に」


「あはは、まあそうだよね! たかが草試合だし!」


 背中に触れた夏生の手が、震えているのに気づいた。


「……なんなんだ? 引退試合って」


 夏生は笑顔を微かに固くして、いたずらを見つかった子どものように要の背中に隠れた。


「誠のやつ、お喋りだなぁ」


 そう言って、夏生は引退試合の意味を教えてくれた。部活にもクラブチームにも入れてもらえず、今日までずっと一人で練習してきたこと。どうしても試合で投げてみたくて、練習によく付き合ってくれていた、幼馴染の爽介と誠に相談し、中学の友達や後輩に声をかけてもらって今日のメンバーが集まったこと。


「いやぁ、食中毒で一人ドタキャンが出たときは焦ったよー」


 このとき要は、思えばひどいことを考えたものだった。全てに合点がいったと思ったのだ。


 爽介や誠を差し置いて、この軟弱そうな夏生がピッチャーである理由。要にそのポジションを譲らなかった理由。何より、メンバー全員が、ピッチャーを夏生が務めることに異論のない理由。


これはつまり、夏生のための記念試合なのだ。なんだ、と途端に胸がしぼんでいくような感じがした。


「……要君。力を貸して欲しい」


 俯いたまま要のジャージの裾を掴み、夏生がそんなことを言った。


「巻き込んで悪いけど、ボク、真剣マジだから。死んでも勝ちたい。付き合ってくれる?」


 呆気にとられて、声が出なかった。顔を上げた夏生の目は、燃えるようでいて、今にも泣き出しそうで、心も眩む燐光を発していた。


「……負ける気でスポーツするやつなんていないだろ。俺はとっくに真剣だよ」


「はは、うん、すごい安心した。やっぱり要君、いいなぁ。これで思いっきり投げられそう。じゃ、女房役よろしくね!」


「女房?」


「キャッチャーのことを、野球の世界じゃそう呼ぶんだ。ピッチャーの恋女房って。ピッチャーって概してエゴイストだから、ひたむきにそれを支えるキャッチャーは奥さんみたいな役割なんだって。男女差別って最近うるさいからあんまり使われなくなったけど、ボクは好きなんだよね。ピッチングは投手と捕手の共同作業だもん」


 クサイことを平然と言う夏生に呆れ果てながら、自分に女房という言葉があまりにも似合わないことに軽く吹き出した。


「それじゃお前が亭主関白かよ。それこそ似合わねえな」


「むー、じゃあかかあ天下ってことでいいよ」


 笑い合ったら、お互い緊張もすっかりほぐれていた。


「あ、要君。自由にやってもらっていいんだけど一つだけ約束して?」


 いざそれぞれの守備位置につこうというとき、夏生がさらりと言い放った。


「ミットを決めたところに構えたら、一ミリも動かさないでね」

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