スイッチ!~女投手と素人捕手が甲子園を目指す話~

旭 晴人

第1話-1

 なつき、と最初に名乗られたとき、確かに中性的な名前だなとは思った。



 中三の夏休みに住み慣れた東京を離れ、かなめは長野県東部に位置する南佐久郡の山村へやってきた。義祖父母の家に約一ヶ月の長期滞在。養父であるアキラの両親に会うのはそれが初めてのことで、少し緊張していた。


 長野と山梨を跨ぐ山塊、八ヶ岳に寄り添う南佐久。アキラの運転する車に揺られ、高速をおりた辺りから、助手席の窓から見える景色がみるみる畑や田んぼばかりになった。


 挙げ句険しい山道をずんずん登り、「どんな秘境に連れて行かれるのか」と怯える要がたどり着いたのは、上から巨人の手に押し潰されたような平べったい民家だった。


 要をおろして、アキラは親の顔も見ずに去ってしまった。ここで、一ヶ月も暮らすのかぁ。生粋の都会っ子としては、流石に少しばかりの抵抗があった。それでも、決して人付き合いの得意な方ではない要が、一ヶ月も初対面の老夫婦の住む田舎で生活することを決めたのは、アキラと最近上手くいっていなかった、という微妙な事情も影響していた。


 幸い、義祖父母はむちゃくちゃに要を歓迎した。特に義祖母は、「ずっと要君に会いたかったのよ。あのバカ息子ったら一人で育てるって聞かなくて。いつまでもいてくれていいからね」などと優しい笑顔で迎えてくれて、いきなり気合の入ったご馳走でもてなしてくれた。


 義祖母がアキラのことを、バカ息子、と温かい声音で呼ぶのが、要は唯一気に食わなかった。そんな風に呼んでもらう資格はもうあの人にはないはずだ。


 反対に、義祖父は寡黙な人だった。近寄りがたさはあるが、怖いとは感じなかった。目元がアキラに似ていたからかもしれない。暑くないか、腹減ってないか、部屋は暗くないか……などと、顔を合わせては無骨な顔で聞いてくる、不器用で優しい人だった。


 その場所を教えてくれたのも、義祖父だった。


「要、この山下ったとこにでかい公園があるぞ。お前くらいの歳の子どももよく遊んでる。気が向いたら行ってみろ」


 都会育ちの要は、公園で遊ぶ中学三年生がどうしても想像できなかったし、友達なんて欲しくなかったから、最初その話にはあまり興味を持たなかった。しかし、どうしようもない性で、公園があると聞くと、無性に体を動かしたくなってしまった。


 ジャージにスニーカーという装備を整えると、携帯とマイボールだけ持ってふらりと公園へ出かけた。


 ただ、結論から言うと、せっかくたどりついた公園には先客がいた。それも二十人近い大所帯である。遊具のたぐいもないだだっ広い公園で、彼らは野球をしていた。


 三塁側のスペースに固まったユニフォーム姿の少年たちが、打席に声援を送っている。要は防球ネットを挟んで、彼らのすぐ背後に立った。


 投手と打者の攻防をぼんやり眺め、これじゃあ公園使えないなぁ帰るかぁ、なんて考えていたところに、目の前の背中の一つだけが不意にくるっと振り返って、要を見上げた。


 地べたに体育座りをしていた彼の、ずいぶん低い位置にある目と要の目が合った。彼は最初驚いたような顔をして、次に意を決したようにこう切り出した。


「あのっ、好きなんですか? 野球」


 それが夏生だった。


 突然のことに驚きながらも、スポーツなら全般好きだった要は、あぁ……まぁ、と曖昧に頷いた。気の弱そうな少年はぱぁっと笑顔になった。


「じゃあ、一緒にやりませんか? ドタキャンが出て人数足りなくて、困ってるんです」


 夏生の声に、ひとりふたりと気づいて要を見上げる目の数が増えていく。


 戸惑い、少し迷った要の返事は。


「……そうだな。ピッチャーならやってもいいけど」


 なぜか上から目線だった。


 要はボールを投げることに関してだけは今でもそこそこ自信があったのである。それに他のどのポジションよりもかっこいい。少年は困り顔で頬をかいた。


「あー……ごめんなさい、ピッチャーはボクなんです。代わってあげたいけどみんなが納得するかな……」


 それには素直に驚いた。その少年はお世辞にも、スポーツが得意そうには見えなかったからだ。まず、背が低い。一六〇センチもないくらいだろうか。それに加えてとにかく華奢で、とてもじゃないが、速い球を投げそうな雰囲気は皆無だった。顔つきもいわゆるカワイイ系で、その整った造形からは雄々しさなんて見つけるべくもない。日焼け知らずの綺麗な白い肌と、長い睫毛が女顔に拍車をかけている。


「あー、そういうことなら俺、キャッチャーやろうか?」


 まだこの時は、自分がどれだけ大変なことを気楽に言っているのか分かっていなかった。


「えっ、キャッチャー? できるんですか?」


「君のボール捕って投げ返すだけだろ?」


「あー、いや、うーん……うん、そうかな、そうかも、うん」


 夏生は無理やり自分を納得させるように何度も頷いた。


「じゃあ、よろしくお願いします。……えっと、名前」


「あぁ。要。王城おうじょう 要。中三」


「えっ、同い年なの!? めちゃくちゃ高校生だと思ってた……。ボクは夏生。一条 夏生です。よろしくね、要君!」


「お、おう」


 それは男にしては、少々可憐すぎる笑顔だった。

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