さみしさ 【Heath エリカ】

 茜空にぶら下がった夕方の日差しが丘を照らし始めた頃、本を破いたと思われる主は一人で二階の図書エリアを訪れた。この施設は三階建てとなっており、一階は交流エリア、二階は図書エリア、三階はカフェとなっている。図書エリアはたくさんの本が置いてあるが、図書館ほど厳格ではなく、ここを訪れる人たちの憩いの場になっていた。

 私はカウンターから、その主の小さな背中を目線で追っていた。今日は一人のようだ。

「僕はね、本を破いたのはつばさくんだと思っているんだよ」

 今朝、施設長が言っていたのは、ある少年の名前だった。彼はおばあちゃんとよく、この図書エリアに訪れては児童向けの物語や植物図鑑などを読み聞かせてもらっていた。

 近所に住んでいるようで、最近は1人でゲームブックやひこうきの本を目的にふらっと立ち寄りに来る。

 「こんにちは」とあいさつすると少し照れくさそうにするものの、ちゃんと返事をできる、しっかりとした少年というイメージがあっただけに、私としては少し、心にくるものがあった。

 彼は、お気に入りのひこうきの本をもって、花柄のクッションの上に腰かけ、熱心に読書を始めた。

 私は珈琲をすすりながら、彼の本に向けられた真剣なまなざしを眺める。いまの彼の姿からは本を破るなどと想像もできない。

 私は熱心な少年が本を閉じるのを、ただじっと待った。壁にかけられた丸時計は歩みを続けるのだが彼はまだ視線を手元から離そうとはしない。

 本の虫とは彼のようなことをいうのだろう。少年に自分を重ね合わせながら、私は指先で天井に明かりを灯した。

 彼は上空で電球蛍が輝きだしたことで、やっと外が暗くなりかけていることに気づいたようだった。本を閉じ、何やら独り言をつぶやいて、棚へと戻しに行った。

 私は紺色に染まった空を見て、彼を引き留めてよいものかとためらった。完全に暗くなる前に家に帰した方がよいのではないかと。

すると,彼は私がためらっている間に、別の本を手に取ってカウンターにきた。どうやら本を借りに来たようだった。私は高鳴る鼓動を抑えて、声を出した。

「つばさくん、今日は1人? その本を借りたいの? 」

 彼は少し顔を俯かせて、ほんの少しだけ首を縦に動かした。

 私は笑顔をつくって、その動作に答える。

「じゃあ、その本、私に渡してくれるかな? 」

 彼はうつむいたまま、私に本を差し出した。本を受け取るも束の間、つばさくんは逃げるようにその場から去ってしまった。

 私は話すタイミングを失ってしまったことを悔いつつも、心配になって彼の後ろ姿に声をかけた。

「今日は誰かと一緒にきたの? 」

 彼は一瞬、立ち止まって、振り返らずに答えた。

「三階でお母さんがまってる」

「そっか、この本は借りていかなくて……」

 私が言い切るまえに彼は階段を駆け上がってしまった。立ち去る少年の背中を見つめながら、安堵と共に溜息をついた。

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