第三十五話 おめでたい話は続く

 セレスタン殿下との会談の翌日、わたしは幻影宮の庭園でハーラルトと待ち合わせの約束をしていた。

「大切な話があるから来て」と言われたのだけれど、心当たりがない。気ぜわしさで忘れているのかしら?


 そう、わたしを含めた王室や周囲はにわかに忙しくなったのだ。ハーラルトとの婚約もアウリールおじさまの叙爵も、正式な手続きや儀式を経て、今後周知させていくことになるだろうし、わたしは花嫁修業をしなければならない。


 それ以上に国にとって一大事なのは、カトラインとセレスタン殿下の婚約だ。

 わたしとハーラルトのことは目立たなくなって、かえってよかったかもしれない。アウリールおじさまがいくら周囲からの信頼が厚く、尊敬を集めているといっても、嫉妬する人間は少なからずいるだろうから。


 三時の鐘が鳴る。待ち合わせ場所である、花をつけていない薔薇のアーチの脇には、既にハーラルトが待っていた。わたしは小走りに駆け寄る。


「ごめんなさい。待たせてしまったかしら」


「いや、待つのも楽しみだから」


 そう言って、ハーラルトは優しく笑う。

 喜びが胸から溢れ出しそうになる。

 ああ、わたし、この人が好き。

 思わずぴとっとくっつこうとすると、ハーラルトに慌てて止められた。


「ちょっと待って! イチャイチャするのは、話を終えてからにしよう」


「そういえば、話って? 大切なことなの?」


「もしかして……心当たりがない?」


「ええ」


 ハーラルトはがっくりとうなだれた。そのあとで、恨めしそうにわたしを見つめる。


「まだ、プロポーズをしていなかっただろ? 婚約を宣言なさったのは、あくまで国王陛下で」


「あ……」


 そういえばそうだった。ハーラルトとの婚約が他ならぬお父さまに認められ、セレスタン殿下と結婚しなくてすんだことで、安心してしまっていたのだわ。

 ハーラルトはわたしの前にひざまずいた。昔、おもちゃの指輪でプロポーズしてくれた時のように。


「フェイエリズ、君を誰より愛してる。結婚、してくれるかな?」


 その言葉を最後まで聞いた瞬間、視界が歪んだ。


「リ、リズ!?」


 わたしはぽろぽろとこぼれる涙を拭うと、驚くハーラルトに笑顔を向けた。


「……違うの。嬉しくて。セレスタン殿下がご来訪なさったという話を聞いた時は、もうあなたとの結婚は無理かな……と、思っていたから、余計に嬉しくて」


「じゃあ、答えは……」


 わたしは首元からネックレスを取り出した。そこには、かつてハーラルトからもらったおもちゃの婚約指輪が揺れている。わたしの大切な宝物だ。

 チェーンに通された指輪を前に、ハーラルトの若草色の目が大きく見開かれる。

 わたしは小首を傾げながら尋ねた。


「ハーラルト、今のわたしにぴったりの指輪をくださる?」


「もちろん」


 ハーラルトはニコッと笑ったあとで、わたしに手を伸ばし、身体を包み込んでくれた。最初は壊れ物を扱うかのように緩く優しく。そのうち、力が強まり、固く抱きしめられた。


「ありがとう、リズ。俺、君を絶対に離さないから」


「ええ、分かっているわ」


 わたしもハーラルトの背に腕を回し、彼を抱きしめ返した。


   *


 それからのわたしは、せわしなくも充実した日々を過ごしていた。降嫁するとはいえ、花嫁修業に打ち込み、未来の公爵夫人にふさわしい教育を受ける毎日だ。

 わたしも大変だったけれど、それ以上に大変なのは隣国の王太子に嫁ぐカトラインだ。既にヴィエネンシスに帰国したセレスタン殿下と正式に婚約し、三年後に決まった結婚式に向け、奮闘している。


「リズお姉さまはいいなあ……外国語のお勉強も今まで通りでいいし、ヴィエネンシスの歴史や習慣も猛勉強しなくていいし、何よりアウリールおじさまとエルスベトおばさまはお優しいし……」


 厳しいお妃教育に音を上げて、カトラインはよくぼやいている。

 そのたびに、わたしはこう答える。


「そうよ。羨ましいでしょ?」


 そうすると、カトラインは頬を膨らませたあとで、おかしそうに笑う。

 お妃教育の合間にセレスタン殿下と文通を始め、つい最近、初めて婚約者からの手紙と贈り物をもらったカトラインは、結構幸せそうなのだ。これから、ゆっくりと愛を育んでいくのだろう。

 劣等感を抱いていた妹とこんな風に話せる日が来るなんて、以前は考えもしなかった。


 これから息抜きにお茶でもしないかと話していると、ディーケお姉さまとジェイラスお義兄にいさまが廊下を通りかかる。

 ディーケお姉さまの頬は薔薇色に染まっていて、なんだかとても幸せそう。ジェイラスお義兄さまも満面に笑みをたたえていらっしゃる。

 わたしとカトラインは顔を見合わせる。


「お姉さま、お義兄さま、何かよいことでもありましたか?」


 わたしが訊くと、ディーケお姉さまはニコニコしながら告げる。


「分かる? 実はね、わたしたち、ついに赤ちゃんを授かったの! さっき、侍医が間違いないと保証してくれたわ」


 わたしとカトラインは「えー! わー!」と歓声を上げ、甥になるのか、それとも姪になるのか分からない新しい命の芽生えを喜び合った。


「これから、お父さまとお母さまにお知らせしにいくのだけれど、あなたたちも来る?」


 お姉さまにそう尋ねられたわたしとカトラインは、揃って頷く。

 お二人とも、きっと喜ぶだろう。

 四人で二階に向かう。階段を上る時に、さり気なくお義兄さまが妊婦のお姉さまを気遣っている姿にグッときてしまう。わたしとハーラルトにも、いつかそんな日が来るのかしら?


 二階に上がり、ノックのあと、みなでお母さまのお部屋に入る。

 赤ちゃんの話を聞いたお母さまは、「まあ! まあ!」と喜んでいた。お母さまは大の子ども好きなのだ。正殿にいらっしゃるお父様を、すぐにラリサ伯夫人が呼びにいく。


 みなで話しながら待っていると、お父さまが部屋に駆け込んできた。

 そして、お姉さまとお義兄さまの手を代わる代わる握り、しまいにはお母さまに抱きついた。


 少し落ち着いたお父さまは、わたしたち姉妹がお母さまの胎内に宿ったと知った日のことや、わたしたちが生まれた日のことを聞かせてくださった。


「ロスヴィータがディーケを懐妊した時は、わたしたちもステラエ市民もお祭り騒ぎだったよ。リズを妊娠したことが分かった時は、ディーケが『はやくおねえさまになりたい!』と大騒ぎしたものさ。カトラインの時は、リズが『これでわたしもおねえちゃまね!』と妙に偉そうにしていたなあ」


 わたしは思わず赤面する。


「え、やだ。そんなこと、覚えていないわ」


「ふふ、そうだろうね。君たちが生まれた時は、宮廷も市民も大騒ぎで……」


 お父さまもお母さまも、わたしたちが生まれる前から、ずっとこうして愛してくださっている。

 そのことが改めて深く分かり、わたしはみなと話に花を咲かせながら、幸せを噛みしめた。


「お父さま、お母さま、今日のことで自分が望まれて生まれてきたことがよく分かりました。ありがとうございます」


 わたしが機会を見てそう言うと、お母さまはほほえみ、お父さまは感極まって涙を浮かべていた。

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