第三十四話 大団円
どういうこと? それじゃ、まるでお父さまがクーデターで王位に即いたみたいじゃない。お父さまは祖父が亡くなったあとに即位なさったはず。確かに、お父さまと祖父の仲は、決してよくはなかったみたいだけれど……。
セレスタン殿下は続ける。
「マレの王女殿下を妃に迎えるにあたり、わたしは貴国の歴史を学び直しました。そして、あなたが即位なさる数年前から、先王陛下の威勢が急速に弱まっていったことに疑問を感じるようになったのです。その時期は、どうやらあなたが王妃陛下とご婚約なさった頃と重なっている。……マレの民衆の間では、あなたが王太子時代に妃を迎えた際の詩曲が歌い継がれているようですね」
わたしはハッとした。そうだ。祖父はお父さまの恋人だったお母さまに懸想していたのだ。
「シュツェルツ陛下、わたしはこう考えました。あなたは王妃陛下を奪われまいと王室内でクーデターを起こし、それを
セレスタン殿下の追求を黙って聞いていたお父さまが、口を開いた。
「……驚いたな。大体は正解だ。ただひとつ違う部分があるとすれば、あの歌は予が意図的に広めたものではない。宮廷に流布させた噂話が、いつの間にか吟遊詩人の詩曲として民衆に伝わったのだ。セレスタン殿下、これほど
大好きな詩曲の真実を予期せぬ形で知り、わたしは動揺していた。多分、お父さまとセレスタン殿下以外は、みなそうだったと思う。
セレスタン殿下はお父さまの瞳を見返して言った。
「わたしはあなたのようにはいたしません。正しい手順を踏んで国王になります。もちろん、国王になるまで手をこまねいているつもりはありません。妃に迎える女性や志を同じくする者たちとともに、父王と正々堂々渡り合います」
わたしは初めてセレスタン殿下に怒りを覚えた。
確かに、それが人の子として道徳的に正しい方法なのだとは思う。
でも、それしか採る方法がなかったとしたら、恋人を奪われそうになったお父さまは、黙ってそれを受け入れていればよかったの?
当時王太子で国王より弱い立場だったお父さまは、クーデターを起こすか、お母さまと亡命するくらいしか道はなかったのだと思う。
何よりお父さまとお母さまが結ばれていなければ、わたしたち姉妹は生を受けることさえなかった。
それに、お父さまが隠していた秘密をわざわざ娘たちの前で暴露するなんて、デリカシーがなさすぎる。
たとえハーラルトと恋仲ではなくても、わたしはセレスタン殿下とは相容れなかっただろう。
わたしはセレスタン殿下の緑の瞳を見据えた。
「セレスタン殿下、父は道義的には間違ったことをしたのかもしれません。ですが、母を含め、父に心を寄せる人たちは、きっとそれが最善の方法だと思っていたはずです。同じことをしなさい、とあなたに申し上げるつもりは
セレスタン殿下が目を見開く。おそらく、彼は初めてわたしという人間を知ったのだ。
「わたしもフェイエリズ殿下のご意見に同意いたします」
そう言ったハーラルトと一瞬、目が合う。
「わたしの父は、若い時に先王陛下に恋人を奪われました。そのような、あってはならない悲劇が繰り返されることをお食い止めになった国王陛下を、わたしは心から敬愛しております。あなたはなんの権利があって、個々の事情を無視なさった上に、妃だけはよこせとおっしゃるのですか?」
次々とわたしの知らなかった新事実が明らかになる。祖父は相当悪どいお方だったらしい。お父さまと仲が悪かったのも当然だわ。
わたしとハーラルトに援護されたお父さまは、少し瞳を潤ませている。過去を暴かれた動揺など、そのお顔には一切残っていなかった。
「セレスタン殿下、王座を奪い取るのが嫌だとおっしゃるのなら、我が国はあなた個人を支援することができる」
「わたし個人を……?」
わたしとハーラルトから揃って非難されたセレスタン殿下は、少し
お父さまは頷く。
「そうだ。マレとの友好関係を重視し、ヴィエネンシスの民のための政策を進めると約束していただけるなら、我が国はあなたの後ろ盾となり、必要とあらば資金や技術、人材を支援する。元々、父王陛下と
「それは……確かに願ってもないことですが……なぜ?」
「予はあなたの将来性に期待したいのだ。リュシアン陛下のように覇王を目指すのではなく、賢王を目指すのであれば、予は喜んであなたに力を貸そう」
老練な国王と未来しかない隣国の王太子がしっかりと視線を交わし合う。
その歴史的な瞬間。
「そうです! セレスタン殿下には将来性があります!」
唐突に大声を上げたのは、今まで黙っていたカトラインだった。
わたしを含め、その場にいたみなが唖然とし、カトラインを注視する。
カトラインはお父さまとセレスタン殿下を交互に見た。
「お父さま! それなら、わたしがセレスタン殿下に嫁ぎます! そうすれば、セレスタン殿下も、マレから支援が打ち切られることを恐れることもないでしょう?」
口をぱくぱくさせていたお父さまが、ようやく言葉を発した。
「カ、カトライン……?」
「お父さまがわたしとセレスタン殿下との婚約に乗り気でなかったのは、わたしが十三歳だからですよね? それなら、婚約期間を長くして、あと二、三年したら結婚式を挙げて正式な夫婦になればよろしいでしょう?」
ぐうの音も出ないくらい正論だった。お父さまもさすがに困っているようだ。
「いや……それじゃ、わたしがこの案を考えた意味が……」
「どの道、セレスタン殿下をご支援なさるのでしょう? 同じことじゃありませんの。それにわたし、この機会を逃したら、セレスタン殿下のような興味深い殿方とは、もう二度と知り合えないような気がしますし!」
わたしにもお父さまのお気持ちがよく分かる。わたしたちが頑張ってきたのはカトラインを政略結婚させないためでもあったのに、本人がそれをぶち壊しにしようとしているのだ。
お父さまが助けを求めるようにセレスタン殿下に目をやる。
「……セレスタン殿下、あなたはどう思う?」
「そうですね……歳が離れていることもあり、カトライン殿下との婚約は、あまり前向きに考えてはいなかったのですが……」
「そうだろう、そうだろう」
「ですが、実は昨日、密かに
「それって、もしかして……」
わたしは思わず呟くように言葉を発していた。
セレスタン殿下は少し気恥ずかしそうに答える。
「はい。カトライン殿下さえよろしければ、婚約の話をお受けしたいと思います。ただし、カトライン殿下が先ほどおっしゃったように、結婚は二、三年後で──」
「許さん! わたしは許さんぞ! セレスタン! 貴様は爽やかで誠実そうに見えて、美少女好みの気があったのか!? そんな奴は可愛い娘にふさわしくない!」
あ、言葉遣いといい、お父さまが色々とおかしなことになっているわ。
カトラインの決断には姉として複雑な気持ちになったけれど、せっかく全てが大団円を迎えそうだったのに。
お父さまは長椅子から立ち上がり、セレスタン殿下を指さして糾弾する。わたしとカトラインがなだめていると、ハーラルトとリシエラが異口同音に言った。
「王妃陛下を呼んで参ります」
……数十分後、ハーラルトとリシエラの二人がお母さまを連れて現れた。お母さまの姿を見ると、お父さまも気まずそうに大人しくなる。
ハーラルトがお母さまの分の椅子を運んできてくれた。
既に事情を聞いていたらしいお母さまは、ハーラルトにお礼を言って腰かけると、頬に右手を当て、ため息をつく。
「陛下、リズの婚約は認めて、カトラインの婚約は認めないのは、ちょっと不公平ではございませんか?」
「いや、そうは言っても、まだ十三歳のカトラインに目をつけるような変態野郎に、大事な娘を嫁がせるわけには……」
「わたくしが陛下を意識し始めたのは、カトラインと同じ十三歳の時です」
「……うん」
「そして、婚約したのは十六歳の時。陛下はおっしゃいましたね。『ロスヴィータがこんなにわたし好みになるんだと分かっていれば、もっと早くに婚約したんだけどなあ。そうしていたら』──」
お父さまが、わーわーと声を上げて妨害する。
お母さまはそれを横目に追い打ちをかける。
「それに、婚約する前から理由をつけて抱きついてきたり。わたくしからしてみれば、陛下のほうがよっぽど変態寄りです」
……それは確かに引くわね。
過去を暴露され、石のように固まっているお父さまに、お母さまはくすりと笑ってみせた。
「別に、カトラインはおかしなことを言ってはいないでしょう? セレスタン殿下もお待ちくださるようですし」
お父さまが復活する。
「会ったのが昨日の今日じゃ、今はよくても、お互いにそのうち気が変わるかもしれない」
「そんなことを言っていたら、婚約や結婚なんてできませんよ。セレスタン殿下、婚約期間中、カトラインはマレで過ごしても構いませんか?」
マレ随一の美女であるお母さまに声をかけられたからだろう。セレスタン殿下はびくりと肩を震わせたあとでかしこまった。
「おっしゃる通り、たとえ父が、婚約中も花嫁はヴィエネンシスで過ごすよう申してきたとしても、それだけは譲るつもりはございません。カトライン殿下にはご家族と過ごすこれからの数年間を大切になさって欲しいですから」
お母さまは顔を輝かせた。
「まあ……とても話の分かる若者じゃありませんの。陛下、これ以上の口出しは無粋でございます」
眉間に皺を寄せてたっぷり考え込んだあと、お父さまは仕方なさそうに口を開いた。
「……分かった。ロスヴィータがそこまで言うのなら、カトラインとセレスタン殿下の婚約を認めよう」
「やったあ!」
カトラインが飛び上がって喜ぶ。
途中で思わぬ展開になってしまったけれど、これで一段落だ。
カトラインとセレスタン殿下が婚約することで、マレとヴィエネンシスには友好関係が結ばれ、わたしは公爵令息となったハーラルトとなんの憂いもなく結婚できる。
隣の椅子に座るハーラルトに視線を向けると、彼と目が合う。わたしはハーラルトとほほえみ合った。
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