第三十二話 直談判

 リズたちと一緒に国王執務室「ウィタセスの間」を目指し、正殿を歩いていた俺は、ふと足を止めた。父上の執務室の傍を通りかかったからだ。俺はあることを思いつき、リズに声をかけた。


「リズ、悪いけど、先に行っていてくれないか。俺、父と話しておきたいことがあるんだ」


「それは構わないけれど……」


 リズはちょっぴり不安そうな顔をしている。そんな表情も可愛い。俺はほほえんでみせる。


「あとで必ず合流するよ。大丈夫、ちょっとくらい俺がいなくても、君ならできるよ。大事な時にリズを放っておいて、と国王陛下にはお叱りを受けるかもしれないけど」


 くすりと笑い、リズは頷く。


「ありがとう。そうならないよう、わたしがちゃんと説明しておくわ」


「じゃあ、また」


 俺はリズに軽く手を振ると、父上の執務室まで早足で歩いていき、扉の前に立つ。国政の多くを担う秘書長官である父上は忙しい。本来ならアポイントメントが必要だけど、俺はあえて直接扉をノックした。


「父上、ハーラルトです。火急の用があって参りました」


 少しの間があった。一分でも時間の惜しい俺には、とてつもなく長く感じられる。

 じりじりと待ったのち、扉の内側から父上の声がした。


「入りなさい」


 父上は応接セットの椅子に座っていた。補佐役の人が控えているだろう続き部屋を目で示すと、俺をじっと見つめる。


「人払いはすませてある。で、火急の用とは?」


 俺は父上の向かいの席にかける。


「俺はヴィエネンシスの王太子にリズを奪われたくありません。というわけで、父上にご協力いただくために参りました」


 父上は苦笑する。


「どうも色々とはしょりすぎな気はするが……フェイエリズ殿下は今どうなさっていらっしゃる?」


「大法官閣下とそのご令嬢がお付き添いになり、国王陛下の御許にお向かいになっていらっしゃいます」


「なるほど。陛下と直談判をなさり、そのあとは──セレスタン王太子との会談にお持ち込みになるおつもりかな?」


 さすが父上だ。俺はその洞察力に舌を巻いた。


「……その通りです。俺は彼女の助けになりたい。ですが、ヴィエネンシスの王太子に対抗するためには、大貴族に匹敵する地位と権力が必要になります。それに、今すぐにでもリズと結婚できるだけの保証も必要です」


 続きを促すようにこちらを見ている父上を前に、俺は頼み込んだ。


「父上、お願いですから公爵位叙爵のお話を受けてください!」


 父上はため息をひとつついた。


「君がその話を知っていたとはね……俺とエルスが話していたのを聞いたのか?」


「すみません! 盗み聞きをするつもりはなかったのですが、つい……」


「別にいいよ。君が言いふらしたりしない性格だということは、よく分かっているから。……しかし、そうだな。本人に頼まれてしまったとあれば、俺も覚悟を決めざるを得ない、か」


「え、どういうことですか?」


「君がリズさまと交際を始めた頃から思っていたんだ。俺が叙爵の話を受ける時が来るとしたら、それは君たちの結婚に障りが生じた時だろう、とね。今がまさにその時だというわけだ」


 俺はゴクリと唾を飲み込み、父上に確認する。


「……ということは、お話をお受けいただけるということですね?」


「ああ。だが、君も覚悟しておくんだな。上級貴族になれば様々な恩恵にあずかれる反面、今までより責務も重くなる。古くから続く家柄の貴族たちからの当たりも強くなるだろう」


「分かっています。そもそも、俺が結婚したいと思っているお相手は、『殿下』と呼ばれるお方ですよ?」


 俺の返答を聞いた父上は微笑した。


「そうだったね。では、行こうか。俺も国王陛下にお話ししなければいけないことができたからね。リズさまたちと合流しよう」


「はい、ありがとうございます!」


 父上が隣室に控えている部下に声をかける。俺は父上を待ちながら、一刻も早くこのことをリズに伝えたいと思った。


   *


 わたしとラリサ伯、それにリシエラは国王執務室の前に立っていた。ラリサ伯がアポイントメントを取る必要はないと言ったので、お父さまに会うまでは彼に一任している。ラリサ伯はノックのあと、室内に向けて呼ばわる。


「国王陛下、レシエムでございます。至急ご相談したき儀がございますゆえ、なにとぞ謁見のご許可を賜りますようお願い申し上げます」


 しばらくすると、扉が内側から開く。中から現れたのは、おそらく秘書官だろう青年だった。


「国王陛下がお会いになるそうでございます」


 そう告げたあとで、秘書官はわたしとリシエラに気づき、ぎょっとする。

 ラリサ伯はおもしろくもなさそうな顔で彼に命じた。


「親子の大切な話ゆえ、人払いがしたい。そなたは控えの間で待っていてくれ」


 秘書官はお父さまに事情を話す暇さえ与えられず、廊下に締め出された。ちょっと気の毒だったけれど、お父さまもわたしたちがここに来た要件を知れば、事情を察してくださるだろう。


 わたしたちは秘書官と入れ替わるように室内に入った。重厚な机の前で国王らしくどっしりと座っていたお父さまの目が見開かれる。


「リズ……? レシエム、これは一体」


 わたしはラリサ伯にお礼を言い、お父さまの机の前に進み出る。


「お父さま、突然申し訳ございません。西殿さいでんにご滞在なさっているという、ヴィエネンシスの王太子殿下についてお話があるのです」


 お父さまは文字通り頭を抱えた。


「まいったな……もうリズのところまで噂が届いてしまったのか。この分だと、カトラインも知っているだろうな……」


「お父さま、わたしはハーラルト以外の方と結婚するつもりはございません。もちろん、その代わりにカトラインを嫁がせるつもりもございません。わたしはその旨をセレスタン殿下にはっきりとお伝えしたいのです」


「リズ……」


 お父さまはわたしの名を呟きながら、感動したように瞳を揺らした。


「わたしはね、もしかしたら、君がハーラルトと別れてヴィエネンシスに嫁ぐと言い出すかもしれないと思っていたんだ。だが、リズはわたしが思っていたよりも遥かに強い女の子だったみたいだね」


 今度はわたしが言葉に詰まる番だった。

 さっきハーラルトと話した時に分かったの。わたしは小さい頃からずっと、お父さまが喜ぶような結婚がしたかった。恋愛結婚をしたいと思ったのも、お父さまが「好きな相手と結婚していいんだよ」とおっしゃったから。


 でも、ハーラルトを好きになって気づいた。わたしは恋愛結婚がしたいんじゃなくて、他でもないハーラルトと結婚したいんだって。

 たとえお見合いで出会っていても、親同士が決めた許嫁でも、政略結婚の相手でも、きっとわたしは彼のことを好きになった。

 お父さまは、わたしが自分勝手に振る舞っても喜んでくださるの?


「……わたしをわがままな娘だとはお思いにならないのですか?」


 お父さまは優しく笑った。


「思わないよ。わたしは元々、君たちには好きな相手と結婚して幸せになって欲しいと思っていたんだ。リズは誰より親孝行だよ」


 わたしが親孝行だなんて、今まで考えたこともなかった。付き合っている彼も四人目だし、恋多き王女と噂されることがあったのも知っている。お父さまだって、わたしが長く恋人と続かないことで頭を悩ますこともあったはずだ。


 そもそも、王族や貴族として生を受けたからには、政略結婚するのが当たり前だというのが一般的な考え方なのに、お父さまはわたしを親孝行だと言ってくださった。


「お父さま……」


 呟きながら、わたしは目に涙がにじむのを感じていた。

 お父さまは立ち上がり、机を回ってわたしの肩に手を置く。


「リズ、泣くのはまだ早いよ。嬉し涙を流すのは、ハーラルトとの結婚式の時でいい。……ところで、肝心のハーラルトの姿が見えないようだが」


 わたしは慌ててフォローする。


「ハーラルトはアウリールおじさまにお話ししたいことがあるとかで、あとで合流することになっているのです」


 お父さまが何か言いかけたその時、ノックの音が響いた。


「陛下、アウリールでございます」


「入ってくれ。ちょうどいいタイミングだ」


 お父さまが返答すると、アウリールおじさまとハーラルトが入室してきた。アウリールおじさまは室内を見回す。


「おやおや、役者は揃った、というところでございますね。ちょうどいい。陛下、叙爵のお話、お受けいたします」


 叙爵? と首を傾げるわたしを横目に、お父さまは珍しく苦笑した。


「唐突だね。こちらとしては願ったり叶ったりだが……手続きはできるだけ手早くすませるよ。おめでとう、ハーラルト。これで君はいつでもリズと結婚できる」


 ハーラルトは頬を紅潮させた。


「ありがとうございます!」


「え、ちょっと待ってください! 叙爵って……アウリールおじさまは伯爵になられるのですか?」


 慌てて問うわたしに、お父さまはいたずらっぽく笑った。


「公爵だよ。彼の今までの功績を思えば当然のことだ」


「ということは……ハーラルトは公爵令息に?」


 ハーラルトは照れたように頭をかく。


「そういうことになるね。まだ実感は湧かないけど」


 お父さまはハーラルトを呼び寄せると、わたしと彼の手を取った。


「国王シュツェルツが許可を出す。今この時をもって、マレの王女、フェイエリズ・アネマリー・マルガレーテとメタウルス公爵令息、ハーラルト・ロゼッテは婚約するものとする。ハーラルト、そなたは公爵の嫡子だ。これからは儀礼称号としてメタウルス子爵を名乗るがよい」


 ハーラルトと視線が絡み合う。心臓が高鳴り、今までにない幸福感がわたしを満たした。わたしの頬も、彼に負けないくらい赤く染まっていることだろう。


「……お父さま、ありがとうございます」


 お父さまは微笑とともに頷きながら、わたしとハーラルトの手を重ねた。


「すぐにセレスタン殿下との会談の場を設けよう。もちろん、君たちも出席しなさい。その場で見せつけてやるんだ。君たちの信頼と愛情、それにマレ人としての矜持きょうじを」


「はい!」


 わたしとハーラルトの声が重なった。

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