第三十一話 カトラインが出会った人

 大法官ラリサ伯の訪問を受け、ハーラルトは立ち上がり、お辞儀する。

 彼に目礼すると、ラリサ伯は低い声で静かに告げた。


「娘に呼ばれ、参上いたしました。わたしが知りうる限りのことを、殿下にお伝えいたします」


 実の父親とはいえ、わざわざこの国の重鎮、ラリサ伯を呼ぶなんて、さすがリシエラだわ。

 わたしは驚きながらも、ラリサ伯を促した。


「ご足労いただき感謝いたします。是非、教えてください」


「かしこまりました。昨日、国王陛下はヴィエネンシスのセレスタン王太子とご会見なさいました。その時の話を分析いたしますと、王太子は父王リュシアンから、マレの王女を花嫁に迎えてくるように、と命じられてきた由にございます」


 やっぱり……。わたしたちの推測は正しかったのだ。


「……国王陛下は王太子殿下になんとお答えになったのですか?」


「即答は避け、王女殿下方と王太子が接触せずにすむように、彼を西殿さいでんに滞在させることになさいました。正しいご判断であったと存じます。……ただ、人の口に戸は立てられなかったようでございますが」


「わたくしはもう大丈夫です。……ラリサ伯は、わたくしがヴィエネンシスに嫁いだほうがいい、と今でも思われますか?」


 ラリサ伯はゆっくりと首を横に振った。


「あなたとハーラルト殿の仲を引き裂いてまで、ヴィエネンシスと縁組をする必要はございませぬ。……これは、妻と娘から叱られたからでもございますが。カトライン殿下にしても、ご本人のご意思が最優先だと考えております。娘にこう言われて目が覚めました。『王室や貴族が国民を食い物にするのは許されないことです。ですが、国の鏡である王室の方々が最低限の幸福も得られないような国は、果たしてまともな国と言えるのでしょうか』と」


「……お恥ずかしい」


 リシエラは照れたようにほほえんだ。ラリサ伯はそんな娘をちらりと見、口元をほころばせたあとで続ける。


「色々と腹の立つお方ではございますが、シュツェルツ陛下はわたしの大切なご主君でおわします。そして、陛下が愛しておいでになるあなたさま方にも、わたしはお幸せになって欲しい……そう認めることができるようになりました。フェイエリズ殿下、あなたさまのご希望をお聞かせ願えますか? 微力ながら、お力添えをいたしとうございます」


「わたくしは──」


 うしろに控えるハーラルトを振り向く。わたしと目が合った彼は、優しくほほえんで笑ってくれた。


「わたくしは国王陛下にお会いして、自分の希望を伝えます。そして、セレスタン殿下との会談の場を設けていただきたいと思っております」


「かしこまりました」


 ラリサ伯は力強く頷くと、胸に手を当て一礼した。


   *


 マレの第三王女カトラインは、中庭で気分転換していた。比較的温暖な王都ステラエでも、さすがに薔薇はもう花をつけていないが、冬には冬にしか咲かない花もあり、カトラインは結構この季節を楽しんでいる。


 お付きの女官には回廊で待ってもらい、ささやかな開放感に浸れるのも嬉しい。白やピンク、赤のシクラメンを眺めていると、西の回廊から人影が近づいてくるのが目の端にちらりと映った。


 カトラインは顔を上げ、その人の姿を捉える。

 短い金髪をした、背の高い、遠目にもとても美しい青年だった。歳は二十歳くらいだろうか。


(見ない顔だけれど、どこかの貴族令息かしら)


 自分も社交界デビューを果たしていれば、どこの誰だか分かったのかもしれない。

 それにしても、この国の人間にしては、この青年はたたずまいが違うというか、どうにも雰囲気が変わっているような気がした。


 青年もこちらに気づいたようだ。カトラインのほうに向け、歩いてくる。二人の距離が、青年の瞳の色が緑だと分かるくらいに近づくと、彼は驚いたように足を止めた。

 こちらが王女だと気づいたにしても、あまりに反応が過敏だ。不思議に思い、カトラインは小首を傾げた。


「どうなさいました? わたくしが何か?」


 青年は照れたようにほほえんだ。


「いえ……失礼ながら、こんなにも姿形が整った女性にはお会いしたことがなかったので……」


(ああ、そういう意味で驚かれたのね)


 カトラインは自分が美少女だということを自覚しているが、過大評価はしていない。


「母はもっと美人ですよ。『マレの宝玉』とまで呼ばれておりますから」


 青年は緑の目を丸くする。


「そうなのですか。世界は広いですね」


 少年のようなその反応に、カトラインは思わず笑ってしまった。そのあとで、ようやくあることに感づく。


「もしかしてあなた、ヴィエネンシスの方? 言葉のアクセントが家庭教師の発音にそっくり」


 青年は再三、びっくりしたような顔をする。


「まさか、お分かりになるとは思いませんでした。こう見えても、マレ語には自信があったので。お嬢さんレディ、あなたのお名前は? 差し支えなければお教えください」


(うーん……今、幻影宮にご滞在なさっているヴィエネンシス人って、王太子殿下とそのお供よね)


 その噂は、もちろんカトラインも知っていた。


 ──きっと、ヴィエネンシスの王太子はフェイエリズ殿下かカトラインさまをさらいに来たに違いありません! どうしよう! カトラインさまがヴィエネンシスに行ってしまわれたら、わたし……わたし……。


 女官の一人は、勝手に想像を膨らませて半泣きになっていた。

 確かに彼女の言う通り、ヴィエネンシス側がマレ王室との政略結婚を狙っていてもおかしくはないだろう。仮にそうだとしても、ヴィエネンシス側が王太子妃にと望むのは、多分、姉のほうだ。


(ヴィエネンシスの王太子殿下って、確かディーケお姉さまと同じ二十歳くらいだったような……?)


 そう思って初めて、カトラインはハッとした。


(もしかして、今わたしは大変なお相手とお会いしているんじゃ?)


 カトラインはぐるりと辺りを見回す。回廊には近衛騎士や女官もいるし、心配性な女官の妄想通り問答無用でさらわれることもないだろう。


(それに、この方……少なくとも悪い人ではないような気がする)


 カトラインはカマをかけてみることにした。


「申し遅れました。わたくしはカトライン・ルクレツィア。以後、お見知りおきを。セレスタン王太子殿下・・・・・・・・・・


 青年は呆気に取られたような顔をしたあとで、おかしそうに吹き出した。


「あなたは本当におもしろい方ですね、カトライン王女殿下・・・・・・・・・。あなたには驚かされてばかりだ」


「まあ、ではお認めになりますのね? わたくしの知っている情報によれば、セレスタン殿下は西殿にいらっしゃるということでしたけれど」


「供の者たちやわたしの顔を知っているマレの近衛騎士たちの目を盗んで、こちらに参りました。どうしても、あなた方、マレの王女殿下に一目お会いしたいと思ったので」


(わたしたちに会いに、か)


 カトラインは小首を傾げてほほえんでみせた。


「もし違っていたらごめんなさいね。わたくしたちとお会いになりたいとお思いになった理由は、未来の花嫁がどんな人物か、お知りになりたいからですか?」


 セレスタンが初めて真顔になる。


「まいりました。そんな噂が流れているとは……」


「わたくしならともかく、姉は無理ですよ。恋人がおりますから」


 カトラインが釘を刺すと、セレスタンは苦笑した。


「国王陛下はあなたを手放すのも嫌がっておいででしたよ」


「父は『娘命!』ですから。三人もいるのに不思議でなりません」


 どうでもいいようなことを言いながら、カトラインは確信した。間違いない。ヴィエネンシス側はマレ王室との縁組を望んでいる。

 それにしても、ハーラルトという相思相愛の恋人がいる姉は花嫁候補ではないと明言しないところはいただけない。それがヴィエネンシスの流儀だとでも言うのだろうか。


「あなたはもしかして、ご自分がお会いすれば、姉が心変わりをすると思っていらっしゃる? そうだとすれば、マレ王室もめられたものだわ。それとも、成果をお持ち帰りにならないと、父王陛下からきついお叱りを受けるのかしら?」


 セレスタンは、突然殴られたかのような表情をした。そのあとで怒りもみせず、謝罪するように胸に手を当てた。


「大変失礼いたしました。わたしとしては、無法な手を使って花嫁をマレから強奪するようなつもりはありません。カトライン殿下、わたしは必ずしも父の言いなりになって縁談をまとめにマレを訪れたわけではないのですよ。我が王室にも色々とありまして。将来的に父に対抗するためには、マレの力と賢い王太子妃が必要なのです」


 セレスタンが柔和なようでいて頑ななところがあるのは、父王を恐れているからではなく、むしろその逆ということだろうか。カトラインは感心した。


(なかなか気骨のある殿方じゃない)


 もっと彼の話を聞いてみたいものだ。カトラインはそう思ったが、セレスタンは名残惜しげに告げた。


「カトライン殿下、わたしがいないことに気づいた供の者が心配するかもしれないので、これで。またお会いしましょう」


「それは残念です。では、また」


 西殿に続いている南殿への回廊に向かう、セレスタンのうしろ姿を見送りながら、カトラインはかつてないほどの高揚感を覚えていた。

 勢いのまま女官のもとに走っていく。彼女は笑顔で迎えてくれた。


「まあ、カトラインさま、そんなに瞳をキラキラさせて。先ほど立ち話をなさっていらっしゃった殿方とのお話が楽しかったようですわね」


「そうね。でも、一番に感じたのはあの方の可能性よ!」


「それはまあ、とても姿のよい方のようでしたけれど……」


 なんのことか分からない、という風に女官は首を捻った。


「時が来れば、あなたにも分かるわ」


 そう言って、カトラインはにんまりと笑ったのだった。

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