第二十四話 ハーラルトとのデート
午後のお茶の時間、わたしとハーラルトはどこでデートをするか話し合った。おそらく、どこに行くことになっても、護衛の近衛騎士はついてくるだろうことを指摘された時は、「やっぱり……」とやや心が萎えた。
わたしはよほど残念そうな顔をしていたらしい。ハーラルトは苦笑する。
「しょうがないよ。リズは王女だし、この前の暗殺未遂事件のこともあるし」
「そうね……お忍びで街に行くのはやめたほうがいいかしら。両親を心配させたくないわ」
わたしの言葉に、ハーラルトは微笑した。
「よかった。リズが国王陛下の親心をちゃんと理解できるようになって」
そう言われると、照れてしまう。
「……ハーラルトのおかげよ」
ハーラルトは頬を染め、早口で言った。
「リズうちに来ない? 警備もしっかりしてるし近衛騎士もぞろぞろとはついてこないと思う」
わたしは目を瞬いた。
ハーラルトが暮らす王都のメタウルス子爵邸なら、子どもの頃に行ったことがある。
でも、彼のことをただの幼なじみだと思っていた頃ならともかく、好きな人の家に行くのって、ちょっと緊張してしまうというか……。
両家の家族公認とはいえ、正式なハーラルトの恋人として、彼のご家族に会うのも初めてだし。
「嫌?」
ハーラルトに心配そうな顔でそう訊かれてしまい、わたしはぶんぶんと首を横に振った。
「そんなことないわ。ただ、緊張してしまいそう、と思っただけよ」
ハーラルトはこちらを安心させるように笑う。
「なんだ。大丈夫だよ。休みの日には両親も妹も家にいるけど、邪魔しないようにしてもらうから」
「それはそれで緊張してしまうかも……」
わたしがボソッと言うと、ハーラルトは赤面する。
「部屋に連れ込んだりしないよ!?」
「なーんだ」
本当は分かっているわ。ハーラルトがそんな大胆なことをするわけないって。
わたしはいたずらっぽく、ころころと笑ったのだった。
*
次の日曜日、わたしはメタウルス子爵家のタウンハウスに招かれた。
ハーラルトは馬車で幻影宮まで迎えにきてくれた。彼にエスコートされ、メタウルス子爵家の紋章──一輪の薔薇が描かれた馬車に乗る。護衛の近衛騎士が数名、騎馬姿で馬車に付き添う。
貴族街を進んでいくと、見覚えのあるお屋敷が見えてきた。大貴族が住むような豪邸ではないけれど、緑に囲まれた
馬車を見るなり、門番が門扉を開けてくれる。石畳を進んだ先にある車寄せでは、子爵夫妻とコルデーリアさまがたたずんでいた。
先に馬車を降りたハーラルトに手を取られ、わたしが降り立つと、アウリールおじさまが笑顔で前に進み出る。
「リズさま、今日は我が家によくお越しくださいました」
「こちらこそ、お招きいただきありがとう存じます」
わたしとおじさまはお互いにお辞儀し合った。続いて、子爵夫人とコルデーリアさまともお辞儀し合う。
歓迎されていることが伝わってきて嬉しくなる。
お屋敷の中に招き入れられ、コートを預かってもらうと、ハーラルトがくつろいだ表情で言った。
「リズ、大広間に来てくれないかな? 見てもらいたい──いや、聴いてもらいたい音楽があるんだ」
聴いてもらいたい? 楽師でも呼んでいるのかしら。
「ええ、もちろん」
近衛騎士たちに付き添われながら、ハーラルトに案内され、大広間に向かう。自室の大広間よりかなり広い、中規模の舞踏会を開けそうな部屋だ。
中央の椅子にはリュートを抱えた男性の楽師が座っている。その前には二脚の椅子。楽師の身なりは小綺麗だけれど質素だった。
「もしかして……本物の吟遊詩人の方?」
わたしの姿を見るなり楽師が恐縮したように立ち上がり、肯定するようにお辞儀する。
子どもの頃に王宮に招かれた吟遊詩人は、もっと着飾っていたような気がする。多分、ハーラルトが街で演奏している時に近い服装を指定したのだ。
もしかして、街で吟遊詩人の演奏を聴いているような臨場感を出すために……?
ハーラルトがわたしを椅子まで導き、「どうぞお座りください」と優雅に手で席を指し示す。わたしは席に着いた。隣に座ったハーラルトが微笑しながら説明してくれる。
「孤児院慰問の打ち合わせの時に、君がまた吟遊詩人の奏でる詩曲を聴きたがっているように思ったから、今日のために呼んだんだ。本人は貴族の家に招かれるのに非礼があってはいけないと言って、借金してでも一張羅を新調したがっていたけど、俺が止めた。……君が王女だと知ったら、卒倒してしまうかもね?」
最後の台詞だけ囁くような小声だ。ちょっとドキドキしてしまう。
「わたしは街での演奏を聴けないから嬉しいわ。なんでも好きな曲を弾いていただけるのかしら?」
「お、お好きな曲をおっしゃってください、お嬢さま」
吟遊詩人の声はガチガチに緊張していた。お嬢さまと呼ばれるなんて、お忍びで街に出たみたいね。機嫌をよくしたわたしはにっこり笑った。
「じゃあ、『シュツェルツ王太子と美姫ロスヴィータの恋』の弾き語りをお願いできるかしら」
「かしこまりました」
吟遊詩人はもう一度椅子に座ると、リュートの弦を爪弾き始める。
何度も自分で弾いたことのある、よく知る旋律。吟遊詩人は朗々と歌い始めた。
わたしは目に焼きつけるように吟遊詩人をじっと見つめながら、曲に耳を傾ける。
懐かしい。別人の弾き語りだから印象は違うけれど、宮廷楽師が奏でるものより素朴な歌と音楽は、子どもの頃に聴いたあの詩曲そのものだった。
曲が終わってしまうと、静寂が部屋を満たした。わたしは力いっぱい拍手する。
「素晴らしかったわ。あと二、三曲お願いできる?」
「喜んで」
わたしは神話に題材を得た曲と騎士物語をリクエストした。曲はどれも生き生きとしていて、役者が乗りに乗っている演劇を見ているような気分になってくる。
全ての曲を聴き終えたわたしとハーラルトは、吟遊詩人にお礼を言って、大広間を出た。彼にはあとで報酬が与えられるらしいので、わたしからも心付けを渡してくれるようハーラルトに頼む。
廊下を歩きながら、ハーラルトは頷く。
「分かった。その時は王女からだと明かしてもいいかもね。彼にとってはいい記念になると思うよ。ところで、知ってる? 吟遊詩人って、今は平民が多いけど、昔は貴族や騎士、それに聖職者がなるものだったんだって。もちろん、平民の吟遊詩人もいたけどね」
「そうなの。よく知っているわね」
「うん、本に書いてあった。昔の吟遊詩人は貴族の館や宮廷を回って、詩曲を演奏したんだよ。おもしろいよね。大衆化した現代の吟遊詩人を貴族の館に招くなんてさ」
「言われてみればそうね。わたしは王侯貴族も、たまには庶民の音楽に触れてみるべきだと思うわ」
「リズがそう言ってくれてよかった。実は、両親は昔、俺たち兄妹に聴かせる音楽を巡って、若干対立してたらしいよ」
とても仲がよさそうに見えるハーラルトのご両親が意見を戦わせていたなんて、にわかには信じられない。
わたしの表情を見たハーラルトがくすりと笑う。
「父は地方の神官の息子で、まあ、平民みたいなものだったけど、母は生粋の伯爵令嬢だから、考え方の違いは結構あったみたいなんだ。そのたびに夫婦の話し合いや家族会議で解決してた。両親からは話し合うことの大切さを学んだよ」
それでわたしとハーラルトが付き合いたいとお父さまたちに申し出た時、メタウルス子爵家では家族会議が開かれたのね。
ハーラルトは本当にご両親のことを敬愛しているのだと思う。今だって思い出を愛おしむように語っているのだから。
「結局、俺たちは貴族の音楽も庶民の音楽も、両方聴いて育った。だから、『シュツェルツ王太子と美姫ロスヴィータの恋』以外にも無数にある、庶民の音楽の素晴らしさに、君にも触れて欲しくて」
「ありがとう。とてもすてきだと思ったわ。こんなことしか言えないのが残念なくらい」
「充分さ。次は庭を案内するよ。寒いけど大丈夫?」
「ええ、平気よ」
もう十二月なので、預かってもらっていたコートを二人で着込む。
お屋敷の中に入った時とは別の出入り口を使い、ハーラルトとともに庭に出る。近衛騎士たちは気を利かせ、わたしたちから距離を取ってくれている。
石畳の道の上に今は花をつけていない蔓性の薔薇のアーチがかかり、トンネルを形作っている。左右に赤、黄、白、ピンクなどの四季咲きの薔薇の花が咲き誇っている。今年最後の薔薇だ。
その先には薔薇を中心とした
「この庭はね、母が指揮を執って造ったものなんだよ」
「子爵夫人は王宮の薬草研究所にお勤めでいらっしゃるものね。それにしても、すてきなお庭……」
わたしは小道に入って、花々を眺めた。気になる草花を見ているうちに、ハーラルトとの会話が途切れた。ふと、花をつけていないローズマリーから顔を上げると、隣には誰もいない。
「ハーラルト?」
思わず大きな声で呼ぶと、向こうの小道からハーラルトが現れた。
「ああ、よかった。君とはぐれた時は冷や冷やしたよ」
ハーラルトは安堵の表情を浮かべ、近づいてくる。
わたしは小さく笑った。
「大げさね。近衛騎士たちもいるし大丈夫よ」
「でも、先月にあの暗殺未遂事件が起きたばかりだから心配で。周りに警備兵はいるけど、この庭だって結構広いんだよ?」
すぐ隣まで歩み寄ってきたハーラルトは、そろそろとわたしの手にその手を伸ばすと、軽く握った。
「……こうしたほうがはぐれないかな? と思って」
ハーラルトとは子どもの頃に手を繋いだことがある。お付き合いを始める時も握手をしたし、今日、馬車から降りる時も手を取ってもらった。
それでも、彼のほうから握ってくれた手の大きさと温かさに胸が熱くなり、頬も熱くなっていく。
無言でいるわたしに勘違いをしたのか、ハーラルトが手を離そうとする。
「ごめん、驚かせちゃったか──」
わたしはハーラルトが言い終わらないうちに、彼の手を強く握り返した。
ハーラルトの目が驚きに見開かれる。その目が優しく細められるまで、そう時間はかからなかった。
わたしたちは手を繋いだまま歩き出した。
これって、告白するチャンスじゃないかしら。でも、もう少しこうして歩いていたい。不思議ね。手を繋いでいるだけで、こんなに温かで幸せな気持ちになれるなんて。
今日一緒に過ごして思った。わたし、ハーラルトと結婚したら、両親のような、彼のご両親のような夫婦になりたい。年を取っても、こうして手を繋いで庭園を歩けるような。
結局、その日、わたしはハーラルトに好きだと伝えられなかった。せっかくのいい雰囲気を壊すのが怖かったのだ。
それなのに、幻影宮まで馬車で送ってくれ、車寄せで別れるまでのハーラルトは、とても満ち足りた顔をしていた。
「じゃあ、また」
彼にちょっと切なげな表情でそう言われ、わたしが内心で悶絶しそうになったのは内緒の話だ。
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