第三章 波乱再び

第二十三話 仲直り

 家族との夕食後、わたしは自分を鼓舞して両親の居住空間である二階へ向かった。

 夕食の時は気まずかった。お父さまは何度かわたしに声をかける素振りをみせたものの、結局は口をつぐんでしまったのだ。


 このままじゃいけない。わたしはお父さまの愛情に気づくことができた。だから、ちゃんとそのことを伝えないと。


 お父さまがいらっしゃるだろう居間の前に立つ。付き添ってくれたリシエラが、ノックをしたあとで「どうぞごゆっくり」とほほえむ。

 察しのいい彼女のことだ。わたしがお父さまと色々あって、仲直りするためにここに来たことを推測ずみなのかもしれない。


 居間を警衛する近衛騎士が扉を開けてくれたので、中に入る。

 広い居間には両親が並んで長椅子にかけ、談笑していた。お母さまが声をかけてくださる。


「あら、どうしたの? リズ」


「ちょっと、お父さまにお話があって……」


 お母さまはお父さまに意味ありげな視線を向けると、にこりとした。


「じゃあ、わたくしは先に寝室に行っているわ。二人とも、どうぞごゆっくり」


 お父さまが頷く。


「ああ、あとでわたしも行くよ」


 両親は病気になった時以外は、今でも同じ寝室で休んでいるのよね。本当に仲のいい夫婦だ。

 お母さまは部屋を出ていき、あとにはわたしとお父さまが残された。

 お父さまがわたしを見る。


「リズ、かけなさい」


「はい」


 わたしはお父さまの向かいの長椅子に腰かけた。お父さまの目をまっすぐに見つめる。


「お父さま……昼間はごめんなさい!」


「うん」


 そう相槌を打つお父さまの目は、とても優しかった。その表情に背中を押されて、わたしはさらに言葉を紡ぐ。


「わたし、ずっと勘違いしていたの。わたしはお祖母さまにそっくりだから、お父さまに嫌われていると思って……それで、お父さまのお気持ちが分からなかったの。お父さまはわたしのことをご心配くださったから、ああおっしゃってくださったのに……」


 お父さまは驚いた顔をしたあとで、真剣な目をした。


「余計な噂話を聞いてしまったようだね。……何年前に?」


「八年くらい前です」


「そうか……八年もわたしに嫌われていると思い続けなければならなかったなんて、辛かっただろう。よく頑張ったね。……それから、すまなかった。以前のように懐いてくれなくなった君の変化に気づいていながら、わたしは見守ることしかできなかった。三人も娘がいれば、父親離れが早い子がいても不思議はない、なんて、楽観的に考えてしまったんだ。どうか許して欲しい」


 優しい声で労われ、謝られて、涙が出そうになる。

 お父さまにこれ以上嫌われないよう、心配をかけないよう、ことさらいい子に振る舞おうとした記憶が蘇る。


 確かに辛かった。だけど、たとえお父さまがわたしに「何かあったのかい?」と問いかけてくださったとしても、わたしは何も言えなかっただろう。

 お父さまのことが、大好きだったから。あの噂話を伝えることで、お父さまに悲しい思いをして欲しくなかったから。


「そんな……。お父さまは何も悪くありません」


 お父さまは眉を下げて笑った。それから、どこか遠い目をする。


「わたしが子どもの頃、母上に愛情を注いでもらえなかったのは事実だ」


 わたしは恐る恐る質問する。


「だから、見かねたアウリールおじさまがお父さまをお育てに……?」


 お父さまは懐かしむように微笑した。


「ああ、そうだね。彼には一生かけても返しきれないほどのものをもらった。わたしの父親同然の人だ」


 お父さまは祖父とも仲が悪かったのかしら。多分、言うまでもないのだろう。お父さまは祖父については一切触れてこないのだから。『シュツェルツ王太子と美姫ロスヴィータの恋』でも、二人は恋のライバル同士として描かれているのだ。


 お父さまは続けた。


「それでも、わたしは母上のことを嫌いにはなれなかった。ずっと慕っていたと言ってもいい。母上だって、わたしを疎んじていたわけじゃない。生まれつき病弱だった兄の看病に打ち込みすぎただけだ。わたしが王太子になったあと、アウリールと母方の叔父のおかげで関係の改善もした。だから、母上に似ているからといって、わたしがリズのことを嫌いになるなんてありえないんだよ」


 お父さまは立ち上がると、こちらに近づいてきて、わたしの頭にぽんと手を置いた。


「それにね、母上に似ているということは、わたしに似ているということでもあるんだから」


 どうして今まで気づかなかったのだろう。

 言われてみれば、その黒い髪といい、顔立ちといい、お父さまはお祖母さまにそっくりだ。

 そして、わたしの灰色がかった青い瞳は、お父さまの瞳の色と同じ。お祖母さまの瞳は海の青だから、わたしの瞳の色は間違いなくお父さまから受け継がれたのだ。


「わたしはね、実を言うと、自分の瞳の色があまり好きではなかった。でも、リズがその瞳を受け継いでくれたことで、好きになれたんだよ」


 そういえば、肖像画の祖父は灰色の瞳をしていた。お父さまも、ご自分の容姿にコンプレックスがあったの……?

 お父さまの手が、わたしの頭を撫でる。


「マルガレーテという母上の名前をリズにつけたのはね、君に幸せになって欲しかったからだよ。母上に生き写しの君に。母上の人生は息子のわたしから見て、あまり幸せなものではなかったから、余計にリズに幸せになって欲しかったんだ」


 今度こそ本当に涙が溢れそうになってきて、わたしは必死にこらえようとした。けれど、涙はせきを切ったようにあとからあとからこぼれ出てくる。涙は今まで蓋をしていたわたしの感情そのものだった。


 お父さまはわたしの隣に座ると、そっと抱きしめてくれた。わたしはお父さまにくっつくと、小さな子どものように泣きじゃくった。

 ようやく涙が引っ込み、しゃべれるようになったわたしは、お父さまに告げた。


「……お父さま、昼間、ハーラルトのことが好きか、お尋ねになりましたよね。わたし、彼のことが……好きです。今までに好きになった誰よりも」


「そうか」


 お父さまはわたしの背中をぽんぽんと優しく叩いた。それから、その手に力を込める。


「リズは必ず、わたしが守る」


 お父さま……?

 どういうことだろう、と思ったけれど、なんとなく今訊くべきことではないような気がして、わたしは何も言えなかった。


   *


「……というわけで、父とは仲直りできたわ。心配かけてごめんなさいね」


 翌朝、わたしは顔を合わせたハーラルトに昨夜のことを報告した。もっとも、子どものようにお父さまに甘えてしまったことは、恥ずかしいので伏せてある。ハーラルトが嫉妬するといけないし。

 ハーラルトは花がほころぶような笑顔になった。


「よかった。でも、俺は君なら必ず、国王陛下と仲直りできると信じてたよ」


 そう言ってくれたあとで、心なしかもじもじとする。可愛い。

 そう。好きだと気づいてから、ハーラルトがとっても綺麗でかっこよくて可愛く見えてしまうの。すっかり恋する乙女目線になってしまったみたい。

 やがて、ハーラルトは意を決したように口を開く。


「リズ、デートしないか?」


「え……」


 どうしよう、嬉しい。胸が弾むって、こういうことを言うのね。

 わたしがこの喜びをどう表現すべきか悩んでいると、ハーラルトが急に肩を落とした。


「ごめん……突然言われても困るよね。休みの日くらい好きなことをしたいよね……」


 わたしは慌てて両手を振る。


「ち、違うの! 嬉しすぎて何も言えなかっただけで……わたし、ハーラルトとデートがしたいわ!」


 ハーラルトがうつむいていた顔を上げる。


「本当に……?」


 わたしは何度も首を縦に振る。


「本当よ」


 デート中に改めて、わたしから告白するのもいいかもしれない。

 ハーラルトは本当に嬉しそうにニコニコしながら提案する。


「じゃあ、午後のお茶の時間に場所を決めよう」


「ええ、楽しみにしているわ」


 どんなところに行こうかしら。

 好きな人と二人きりでデートできると考えただけで、わたしの胸は躍った。

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