第十八話 お父さまの気持ち
わたしたちが馬車で幻影宮に戻った頃、空はオレンジ色に染まろうとしていた。
初めての一人きりでの公務。いいえ、ハーラルトもリシエラも、近衛騎士たちもいてくれた。それに、わたしを馬車で運んでくれた御者や従者、馬たちもね。
危険な目にも遭ったけれど、王宮の外を目にし、普段関われない人たちと会えたことで、とても勉強になった。暴漢たちの主張を聞いたことで、自分がマレの王女なのだという自覚も強まったように思う。
幻影宮の玄関広間に足を踏み入れるなり、ハーラルトが言った。
「わたしは国王陛下に、今回の暗殺未遂事件についてご報告して参ります。フェイエリズ殿下はお部屋にお戻りください」
「そうね。近衛騎士団からも、じきに報告が上がるでしょうけれど、そのほうが早いわ」
「かしこまりました」
「じゃあ、また」
わたしは正殿に向かうハーラルトと別れ、リシエラとともに奥の間に戻った。
リシエラにコートを脱がせてもらいながら、ハーラルトが彼女を「結構強いと思うよ」と評していたことをふと思い出す。
「ハーラルトが言っていたのだけれど、リシエラって護身術とかできるの?」
「はい、まあ、そこそこは。父に勧められて、幼い頃から習っておりました。国王陛下もそれをご存知だからこそ、わたくしをリズさま付きの女官にお選びになったのだと存じますよ」
やっぱり……。でも、お父さまがそんな事情でリシエラをわたし付きになさっただなんて、なんだか意外だ。
最近、お父さまが本当にわたしをお嫌いなのか、分からなくなる。
「護衛という意味では、今日はお役に立てませんでしたが、代わりにハーラルトさまがご活躍になれたので、リズさまにとってはよろしかったのではないかと」
「え!? それは……確かにかっこよかったけれど……」
そういえば、あのあと機会を逃してしまって、ハーラルトに褒められて嬉しかったことをまだ彼に伝えていないのよね。
うーん。どうしよう。
今度二人きりになった時に伝えればいいかしら。
そう思った瞬間、けたたましいノックの音が響く。
びっくりして扉のほうを見ると、バタンと音を立てて血相を変えたお父さまが室内に入ってきた。うしろには、ハーラルトとアウリールおじさまが控えている。
お父さまはわたしに駆け寄り、がばっと抱きついた。
「リズ……無事でよかった……!」
お父さまに抱きしめられたのは、何年ぶりだろう。
戸惑っていると、ハーラルトの声がした。
「陛下、あまり長くお抱きつきになりませんよう」
まあ、ハーラルトったら。父親に嫉妬する小さな子みたいで可愛いわ。
お父さまは我に返ったように顔を上げる。
「ああ、そうだね。リズ、驚かせてしまってすまない。君が暴漢に襲われそうになったと聞いて、動揺してしまって。怪我はないと聞いているけど、本当に大丈夫かい?」
心からこちらのことをご心配くださっているらしいお父さまに、わたしは気の利いた言葉を返せなかった。
「大丈夫です。ハーラルトや近衛騎士たちが守ってくれましたから」
お父さまはハーラルトを振り返る。
「ああ、そうらしいね。ハーラルト、リズを守ってくれてありがとう」
「いいえ、とんでもないことでございます。当然のことをしたまででございますから」
「そうは言っても、王女の命の恩人に何もしないとあっては、国王の名がすたる。あとで褒美を取らすよ。何がいいかな?」
ハーラルトは即答した。
「ならば、リズさまとの結婚をお許しください」
お父さまも即答した。
「いや、それはまだダメだ」
「なぜでございますか。今日のことでわたしがリズさまを守れると証明されたでしょう」
「それとこれとは話が別だ。第一、夫というのは妻を物理的に守ることだけが役目ではないよ」
「わたしは仕事もきちんとしております。そして、リズさまに対する愛なら誰にも負けません」
「いや、わたしには負ける」
……あのー、二人とも何をおっしゃっているのでしょう。
ツッコミを入れられないでいるわたしを気の毒に思ったのか、アウリールおじさまが咳払いをする。
「ハーラルト、話が飛躍しすぎた。それに陛下、リズさまが困っていらっしゃいますよ。父親に恋人の前で愛を叫ばれても、困惑なさるだけです」
「え! そうなのかい!?」
「当たり前ですよ。父親は思春期の娘と接する時には、細心の注意を払うべきです」
「アウリール、君は娘を一人しか育てていないよね? それに、コルデーリアは十六歳だよね? 娘を育てた期間は、わたしより短いはずだよね?」
おじさまはお父さまの問いかけには答えずに、わたしに向けて笑いかける。
「リズさま、国王陛下があなたをとても大切に思っておいでになるのは本当ですよ。多少の失言は多めに見て差し上げてください」
本当に本当ですか? お父さまはわたしのことをお嫌いではないのですか?
喉からそんな言葉が出かかったけれど、わたしは結局呑み込んだ。
この場には、わたしを悪しざまに罵るような人はいないのに、みんなの前で確認するのが怖かったのだ。
子どもの頃からもう何年も、わたしはお父さまに嫌われていると思っていた。その意識を変えること自体が、無性に恐ろしく感じられた。
結局、わたしは可愛げのないことを言った。
「お父さま、ご心配をおかけいたしました。お仕事中でしょう? もうお戻りください」
お父さまは少しだけ悲しそうなお顔になった。
「……うん、実はそうなんだ。じゃあ、わたしは失礼するよ。そうだ、ハーラルト」
「はい」
「もう少し今回の事件に関する詳細な報告が聞きたい。君はわたしと来てくれ」
「かしこまりました」
ハーラルトはわたしに向けてほほえむと、お父さまとおじさまのうしろに従い、部屋を出ていった。
正直、暗殺の標的となったことよりも、お父さまの本心が分からないことのほうがずっとわたしの心を揺らしている。
リシエラが声をかけてくれるまで、わたしはお父さまの消えていった扉をぼんやりと見つめていた。
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