第十九話 御前会議

 マレ王国の国王シュツェルツは、正殿の廊下を歩いていた。目的の部屋は小規模な会議室である「リュロイの間」。これから、側近だけを招集した会議を行うのだ。


 やがて、シュツェルツは「リュロイの間」の前に到着した。扉脇にたたずむ近衛騎士が敬礼を送ってきたので、右肘を曲げながら掌を前に向け、揃えた指先を額に当て、答礼する。


 うしろに従っていた近衛騎士の青年が扉を叩き、「国王陛下のおなりでございます」と呼ばわった。大将軍の長男、ジークヴァルト・シュタムだ。

 子ども時代を知る、今年で二十三歳の若者が自分付きの近衛騎士となっていることに、シュツェルツは嫌でも月日の流れを感じずにはいられない。


(やれやれ、わたしもすっかり中年だな)


 扉が近衛騎士によって開かれたので、シュツェルツはジークヴァルトと別れ、「リュロイの間」に入室した。

 既に席から立ち上がっていた四人の側近がいっせいに礼を執る。その所作は文官と武官で綺麗に二分されていた。


 秘書長官、メタウルス子爵アウリール・ロゼッテと大法官、ラリサ伯レシエム・エタイン・メーヴェ・グライフは右手を胸に当て、頭を垂れる紳士の礼を。

 大将軍、ガデス男爵エリファレット・シュタムと近衛騎士団長、ルエン・アストは敬礼を。


 シュツェルツは部屋の奥にある国王の席に座る。主君の着席を待って、四人はそれぞれの席に着いた。

 この四人は国王であるシュツェルツに礼儀は払うが、若い頃から仕え続けてくれている気心の知れた仲だ。彼らの前では、シュツェルツも家族や友人と接している時のように振る舞い、自らを「予」と呼ぶこともない。

 シュツェルツは一同を見回し、口を開いた。


「今日は忙しい中、集まってくれて礼を言うよ。今回、君たちに集まってもらったのは他でもない。是非、わたしがこれから話すことについての意見を聞かせて欲しいんだ。先日、ヴィエネンシス国王リュシアン陛下が、かの国の王太子とわたしの娘たちとの縁談を申し込んできたことは記憶に新しいと思う」


「陛下が我々にもお話しくださらなかった、例の縁談ですね」


 風に花がそよぐような、長閑のどかかつ優雅な口調でアウリールがツッコミを入れてくる。遠慮がないのは、この中でも最古参の側近中の側近だからだ。

 一同から笑い声が上がる。

 シュツェルツは降参の意を込めて、軽く両手を挙げてみせた。


「その通りだよ。ディーケは結婚しているし、カトラインはまだ幼すぎるから、わたしは恋人と別れたばかりのフェイエリズに話を持っていった。王太子は二十一歳だというから、歳も釣り合うと思ったのでね。だが、フェイエリズはアウリールのご令息、ハーラルトと付き合うことになったので、この話は断ることにした」


「シーラムのマルヴィナ陛下がご寛容なお方でようございました」


 レシエムがため息をつくように言った。繊細なところのある彼は、この縁談を知ったあと、だいぶ心を砕いていたのだ。

 シュツェルツは再確認の意味を込め、シーラム関連の顛末を話す。


「ああ、本当にね。娘婿のジェイラスと相談した上で、ヴィエネンシスとは因縁が深いマルヴィナ陛下には既にこのことをお伝えしてある。彼女は『ご息女を政略結婚させるのはあなたらしくないと思っているから、好きなようにして』とお返事くださったよ」


 端的に説明するとこざっぱりした話なのだが、そこに至るまでは様々な葛藤があった。

 縁談だって初めは即決で断るつもりだった。

 ヴィエネンシス国王リュシアンと違って、こちらは自分の娘たちを政略の道具に使う気など、さらさらないのだ。


 若い頃、奔放な恋を繰り返した末に王妃ロスヴィータと結婚したシュツェルツは、娘たちも好きな相手と結婚すればいいと思っている。

 だから、父親としては複雑な気持ちになりつつも、恋愛に積極的なフェイエリズを内心では応援しているのだ。フェイエリズは父親離れが早かった分、余計に可愛い。もちろん、ディーケもカトラインも同じくらい可愛い。


 ディーケに関しては、自分で結婚相手を探すのは無理だと泣きつかれ、仕方なくセッティングしたお見合いで当人同士が意気投合してしまっただけで、無理強いしたわけではない。


 ところが、縁談が舞い込んでくると同時に、当時のフェイエリズの恋人、ベルノルトが早いうちから浮気をしていたことが発覚する。

 これは別れるのも時間の問題だと思った。フェイエリズ本人か、リシエラあたりにそれとなく伝えようか迷いもした。


 そこではたと気づく。ベルノルトと別れたあと、フェイエリズはどうなる?

 男性不信に陥って、しばらくは恋もできないかもしれない。

 そうなる前に、今度こそまともな相手を紹介したほうがいいのではないか。


 幸い、というべきか、ヴィエネンシスの王太子は冷酷な父王に似ず、容姿も性格もよく、有能で品行方正らしい。

 ここまでくると、人物像を詐称しているのではないかと疑いたくなるが、確かな筋からの情報だ。


 シュツェルツは誰にも相談せず、フェイエリズに縁談を持ちかけてみることにした。そのほうが娘も断りやすいだろうと思って。

 その判断が誤解を呼び、周囲を巻き込み、何をどう間違ったのか、フェイエリズとハーラルトが交際することになってしまった。

 シュツェルツはハーラルトが生まれたばかりの頃、抱っこさせてもらったこともある。今まで血の繋がった甥のようにも、歳の離れた弟のようにも思ってきた。


(まあ、ハーラルトは昔からリズに対して一途だったし、基本的にいい青年なんだが……)


 そうは言っても、彼が自分から娘を奪おうとしている泥棒野郎であることに変わりはない。

 そのハーラルトに面差しのよく似たアウリールが補足する。


「縁談を辞退する親書の草稿は、わたしが陛下からご相談を承り、十三日前にヴィエネンシスに送りました」


 シュツェルツは頷いたあとで、上着の内ポケットから筒状に巻かれた紙片を取り出した。


「これは、ヴィエネンシスに駐在している我が国の大使から、鳩便で送られてきた手紙だ。読んでみて欲しい」


 アウリールが立ち上がり、シュツェルツから手紙を受け取る。彼はまず、廷臣筆頭の地位にある大法官のレシエムに手紙を渡した。続いて、大将軍のエリファレット、近衛騎士団長のルエンの順に手紙を渡す。


 アウリールが一番最後に手紙を読んだ。これは別に、彼がこのメンバーの中で最も格下というわけではなく、長官といえども秘書官としての役割を忠実に務めているからだ。

 シュツェルツに長年信頼を寄せられ、今や大法官と政務を分担し、叙爵されるほど重用されていても、他の廷臣たちから嫉妬を買いにくい理由のひとつだろう。


 手紙を読み終えたばかりのアウリールを含め、全員が渋面になっていた。

 かいつまんで言うと、手紙にはこう書かれていたのだ。


『リュシアン陛下は縁談がまとまらなかったことに、酷く気分を害しておいでになります』


 シュツェルツは苦笑しながら一同を見回す。


「調べさせたところによると、リュシアン陛下は今まで内外に敵を作りすぎたことがたたって、国内の平定に腐心しているようだ。だから、シーラムよりは国同士の仲がまだマシな我が国と姻戚関係を結んで、是が非でも援助を求めたいようだよ。……ま、それはともかくとして、そのうちリュシアン陛下から返事が届くと思うが、その前にみんなから対処法についての意見を聞いておきたいと思ってね」


 アウリールが冷静に述べる。


「王女殿下方の婚姻とは別の方法で、リュシアン王を懐柔すべきでしょうね」


 レシエムがやや語気を強めた。


「その懐柔の仕方が問題なのです。あの国王なら、詫びとして法外な資金や領地を要求してくるかもしれませぬ」


 エリファレットが髪と同じホワイトブロンドの眉を寄せて反論する。


「仮にそのような無理な話を言ってきたとしても、こちらが聞いてやる義理はないと思いますが。元々、縁談自体が先方からの急な申し入れなのでしょう? マレにとってはさして魅力的な話でもありませんし」


「リュシアンが冷酷無情な国王であることは、お二人のほうがご存知なはずではありませんか。場合によっては、また王室のお方が命を狙われることになるかもしれませぬ」


 リュシアンが裏で糸を引いていた「ラトーン事件」の現場に居合わせたこともあるアウリールとエリファレットは、苦い表情で顔を見合わせる。

 アウリールもエリファレットもシュツェルツが幼い頃から仕え続けてくれている。この二人のリュシアンに対する感情は深刻なほどに悪いはずだが、どちらも「いい歳」であるため、表立っては口に出さないだけだ。

 働き盛りの三十七歳であるレシエムが、まだ若いのだろう。


 シュツェルツはレシエムより一歳年少の近衛騎士団長ルエンのほうを向く。短い茶色の髪をした彼は、元々が貧しい羊飼いの子という、この中で身分が最も低かった関係からか、いつも発言は控えめだ。


「ルエンはどう思う?」


「そうですね……懐柔するか、こちらが強く出るか、それも大切だとは存じますが、抜け道のような案も用意しておくべきかと愚考いたします」


 押しても引いてもダメなら、別の方法を考える。それが、シュツェルツが今まで得意としてきたやり方だ。


(ルエンはわたしのことをよく分かっているな)


 シュツェルツは頷いた。


「なるほどね」


「それでしたら、『フェイエリズ殿下は無理だが、カトライン殿下ならば社交界にデビューなさったあとに婚約を考えてもよい』という条件をつけ、縁談を先延ばしにすべきでは?」


 レシエムの意見は正論すぎて耳が痛い。若くして大法官に任命された彼は、こんな風にあえて悪役を演じてみせることがある。本来は自分よりも遥かに心優しく、女性や子どもを犠牲にするなど、間違ってもできない性格だ。


 それに、シュツェルツは知っている。彼がリュシアンに敬称をつけず、敬語も使わないのは、人一倍、自分に忠誠を誓ってくれているからだということを。

 シュツェルツが口を開きかけた時、アウリールが先に言葉を発した。


「そもそも、先方がマレの王室と姻戚関係を結ぼうとすること自体が、我が国の王位継承権を得るためでもあるのです。縁談を蒸し返そうが、別の道を選ぼうが、潜在的なリスクは同じですよ」


 アウリールは全面的にこちら側に立ってくれている。レシエムの真意が分かってはいても、やはりシュツェルツは嬉しかった。

 エリファレットが首肯する。


「わたしもアウリールに同意いたします。ヴィエネンシス軍は精強だと聞き及びますが、いざという時はこちらも軍を動かせるようにしておきますので、いつでもご命令を」


 ルエンが表情を引き締める。


「先日のフェイエリズ殿下暗殺未遂事件のこともございますし、わたしは警備体制を全面的に見直すことにいたします」


 四人の意見は出揃ったと見ていいだろう。

 シュツェルツは再び口を開いた。


「四人とも、貴重な意見をありがとう。この件の決定はわたしに任せてくれないか。必ず君たちの意見も熟考した上で、答えを出すよ」


 四人は居住まいを正し、声を重ねた。


「御意」


 シュツェルツは席を立つ。さほど広くない「リュロイの間」を出ると、既にジークヴァルトが待っていた。敬礼ののち、少しうしろからついてくる彼に、シュツェルツは声をかける。


「ジークヴァルト、国王という立場は厄介なものだね」


 答えに詰まる青年の戸惑いが伝わってくるようだ。シュツェルツは続けた。


「わたしはね、本当はただの父親でいたいんじゃないか、と時々思うんだ。娘たちの幸せをただ願っていられればそれでいい、そんな父親にね」


「……ご立派なことだと存じます」


「ありがとう。でも、一国の王となると、そうはいかないものでね。不思議だな。なしたいことがあって国王になったはずなのに、今はその立場にがんじがらめになっているのだから」


 娘たちを政略の道具には使いたくない。だが、国王である以上、国民の平穏と利益を守らねばならない。

 シュツェルツは返答を考え込んでいるらしいジークヴァルトを一度だけ振り返ると、国王執務室「ウィタセスの間」に向けて歩き出した。

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