第十七話 孤児院慰問(後編)

 弾き語りのあと、わたしたちは孤児院の中を見学した。外側は質素に見えても、雨漏りなどはなく、冷暖の対策もきちんとしたものだった。

 設備がしっかりしているだけではない。この孤児院が明るい雰囲気なのは、院長をはじめとした職員の人柄が大きい。


 国営の孤児院がこんなに素晴らしいのは、誇るべきことだわ。

 お父さまが慰問先にしっかりした孤児院を選んでくださったにしろ、わたしは父王の治世が行き届いていることを実感した。


 ソルエ孤児院を去る時、すっかり打ち解けてくれた子どもたちは、院長や職員に付き添われながら、わたしたちを車寄せまで見送ってくれた。


「みなさん、今日はありがとう。また会う日まで元気でね」


 子どもたちに手を振ろうとした時、門のほうから人声がしたので振り返る。外で警衛に当たっていた四人の近衛騎士が、一人の男を連行してくるところだった。

 すかさず、ハーラルトとリシエラが守るようにわたしの前に出る。


「……何事ですか?」


 わたしが尋ねると、近衛騎士の一人が代表して答える。


「王女殿下を狙った暴漢でございます。壁をよじ登って敷地内に侵入したところを捕らえました」


 背筋が冷えた。こちらに刺すような視線を向けている男は、凶悪な暴漢というよりは、どこにでもいそうな若者だ。

 王族として生まれたからにはこんなこともあるだろう、と覚悟していたつもりだったけれど、ショックを受けている自分に気づかざるを得ない。

 何度も命を狙われながら王位に即いたお父さまは、やはり偉大だ。

 動揺を抑え、近衛騎士たちにお礼を言う。


「事件を未然に防いでくださってありがとう。ひとまず安──」


 続く言葉を言いかけた瞬間、子どもたちから悲鳴のような声が上がる。


 もう一人の見知らぬ男が庭のほうから走ってくる。手には短剣を持っていた。その背中を二人の近衛騎士が追いかけながら叫ぶ。


「もう一人いた! さっきの男は陽動だ! 捕まえてくれ!!」


 だけど、彼らが追いつく前に男はわたしに向け、突進してくる。とっさに動いた近衛騎士たちが間に入ろうとする。


 凛とした声が耳に届いた。


「リズに近づくな」


 ハーラルトだった。

 彼はその場にいた誰よりも速く男に駆け寄る。目にも留まらぬ速さで男の腕に手刀を入れた。

 男が短剣を取り落とす。

 ハーラルトは男のうしろに回り込み、体重をかけて拘束した。うしろ手にさせた男の手を捻り上げる。


 武術は馬術と弓術しか学んだことのないわたしですら分かる、全く無駄のない流麗な動きだった。

 驚いた。ハーラルトって強いのね。

 わたしは感謝を込めてハーラルトの傍にしゃがむ。


「ありがとう、ハーラルト」


「いいえ、大したことではございません。それよりも、ご無事でようございました」


 お仕事モードのハーラルトは、はにかむように笑った。

 一方、わたしの周囲を油断なく見回していたリシエラが、何を思ったのか、地面に転がっていた短剣を拾う。

 彼女は屈むと、ハーラルトに取り押さえられている暴漢の頬を刃でぺちぺちと叩く。


「誰に頼まれて王女殿下を狙いましたか? 返答次第では、あなたとお仲間の罪は軽くも重くもなりますよ」


 これって、ちょっとした拷問? いえ、尋問かしら。リシエラは相当怒っている。

 暴漢がリシエラを睨みつける。


「我々は誰からも指図を受けていない! 命を捨てるつもりで王女を狙ったのだ!」


「ほほう。では、質問を変えます。なんのために、決死の覚悟で王女殿下を狙ったのです?」


「国王がマレ古来の伝統を無視し、第一王女を王位継承者としたからだ! 我々は王統から然るべき男子を選び、正式な王太子とすることを──」


「フェイエリズ王女殿下は第二王女であらせられますよね? ディーケ王太女殿下が次期女王となることをお決めになった国王陛下や政治家でも、王太女殿下ご本人でもあらせられません。もう一度訊きます。なぜ、フェイエリズ王女殿下を狙ったのですか?」


「本当は第一王女を狙うつもりだったが、ちょうどいい機会がなかったのだ。それに、第二王女に危害を加えれば、国王も目を覚ますはず。我々はマレを正しき方向に導く嚆矢こうしとなるはずだったのだ」


 リシエラの目が、すっと細まった。


「いい加減にしなさい。この、ど腐れ卑劣漢。勝手にあなた方の理想の国とやらに行って、そこで好きなだけ御託を並べているといい」


 どこからどう見ても完璧な美少女のリシエラの口から出た強烈な言葉に、暴漢はポカンとしている。

 わたしも襲われかけた動揺や腹立ちが内心で渦巻いていたのだけれど、リシエラが怒ってくれたから、なんだかすっきりしてしまった。

 さっきまで凍るような冷たい視線を暴漢に投げかけていたハーラルトも、今では笑いをこらえている。


 ただ、わたしは王女だ。政治的な理由で命を狙われ、父である国王と姉である王太女を侮辱された以上、何か一言言っておくべきだろう。

 それに、この場には国の未来を担う子どもたちもいる。わたしが黙っていては、彼らの将来に重大な影響を与えてしまうかもしれない。


 子どもたちは院長たちと寄り添いながら、目を背けずにこの場に留まっている。彼らに凄惨な場面を見せずにすんでよかった。心からホッとしてしまう。

 でも、子どもたちは怖がっているというよりは、目を輝かせているような?

 もしかして、ハーラルトの活躍を目撃したからかしら。


 ちょっと拍子抜けしながらも、わたしは立ち上がり、二人の暴漢を交互に見た。


「わたくしはあなた方を裁く立場にはありません。ただ、これだけは言っておきます。父も姉も、何ひとつ間違ったことはしておりません。二人はあなた方とは違う視点で物事を見て、ただマレをよくしていこうと思っているだけです。その志を持つ者に、男も女も関係ありません。わたくしの言葉が何を意味するのか、一生考え続けてください」


 暴漢たちは何も言わず、互いに顔を見合わせた。

 二人の近衛騎士が彼らを連行していく。王族を暗殺しようとした犯人だから、あとで近衛騎士団に取り調べられることになるだろう。


 昔、王室メンバーを狙った暗殺事件は、未遂・既遂にかかわらず、秘密警察の管轄だったそうだ。お父さまは即位後、秘密警察を新たな諜報機関に変え、暗殺事件の捜査は近衛騎士団に一任することにしたのだという。


 わたしたちはもう一度、孤児院のみなに別れの挨拶をした。


「ごめんなさいね、怖い思いをさせて」


「ううん、王女さまが無事でよかったです。お兄ちゃん、強いんですね! 僕も大きくなるまでに強くなりたいな!」


 ハーラルトが困ったように応じる。


「ありがとう。でも、危ないことはしないようにね?」


 小さな女の子が興奮した様子でリシエラに話しかける。


「お姉ちゃんも、とっても強いよね! かっこよかった!」


「わたくしの場合は、『気が強い』というのです」


「そこがかっこいいの!」


「ふむ、そうですか。ありがとうございます」


 わたしがニコニコしてリシエラと子どもたちを見守っていると、ハーラルトがこっそり耳打ちした。


「ああは言っているけど、リシエラ嬢は結構強いと思うよ。身体の動かし方に無駄がないから」


 そういえば、わたしがベルノルトと別れる直前に、リシエラまで逆恨みをされたら大変だからという理由で彼女の付き添いを断わった。その際、リシエラは「父に鍛えられているので大丈夫ですよ」と言っていたっけ。

 あれって精神的な意味じゃなくて、物理的な意味だったのかしら。


「彼女ならあり得るわね。スペックが高すぎるから。……ところで」


「何?」


「改めてお礼を言わせてちょうだい。助けてくれてありがとう。ハーラルトがあんなに強いなんて知らなかったわ」


 ハーラルトは照れたように頭をかいた。


「エリファレットおじさま……大将軍閣下直々に鍛えられたからね。父との約束通り、君を守れてよかった」


 それからハッとしたように慌てて言い直す。


「もちろん、これからも君を守っていくよ。それに、リズのほうが俺なんかより遥かに強いと思う」


「わたしが?」


「うん、君は単に自分の感情をぶつけるでもなく、あの暴漢たちを諭そうとしたじゃないか。それって誰にでもできることじゃないよ。すごくかっこよかった。さすが、俺の大好きなフェイエリズ王女殿下だと思ったよ」


 胸の奥がじん、と熱くなった。自分の訪問や弾き語りに子どもたちが喜んでくれたのとは、また別の喜びがわたしを満たしていく。

 嬉しい。ものすごく嬉しい。


 この気持ちを言葉にしなければ、と思い、ふと気づく。

 わたしたち、この場にいるみんなにじっと見られている!

 お互いの両親公認の仲とはいえ、さすがに恥ずかしいわ……。

 わたしがうつむくと、ハーラルトもようやく周囲の視線に気がついたようで、赤面しつつ片手で顔を覆った。

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